フーコーの晩年の情熱は大著『性の歴史』に注がれました。フーコーがそこでめざしたことの一つは「人はなぜ性についてこれほど熱情を込めて語るのか」という疑問に答えることでした。
フーコーのこの疑問には、私も深い共感を覚えます。
どうして、私たちはこれほど熱心に性的な快楽や倒錯や奇習や情熱や禁忌や神秘について語るのでしょう。
私自身は性を話題にする習慣を持たない人間なので、小説家や社会学者やフェミニストや週刊誌が、性にかかわる「新しい」言説を絶えず生産し流通させるべく、額に汗して奮闘努力しているのを眺めながら、「この人たちを性について語ることへ駆り立てる情熱は何に由来するのだろう」とつねづね不思議に思っていました。
ほんとうに、どうしてなんでしょう。
六〇年代によく聞かされていた説明は、「久しく性は抑圧され、権力的に管理されてきた。そして、性について自由に語ることは禁じられてきた。いまや、この抑圧をはねとばして、自由に性について語り合う権利をぼくたちは奪還した。さあ、どんどん語ろうじゃないか。倒錯とか変態とか不倫とか、野暮は言いっこなしさ。ぼくたちは自由で解放された人間なんだから、はははは」というようなものでした。私はこういう類のことを言う人間をまったく信用しておりませんでしたが、どうもそれから四十年近くたっても、性について語る学者のくちぶりはこれとたいして変わってはいないようです。さいわいフーコーも私と同じ不満を抱いているようです。
フーコーのこの疑問には、私も深い共感を覚えます。
どうして、私たちはこれほど熱心に性的な快楽や倒錯や奇習や情熱や禁忌や神秘について語るのでしょう。
私自身は性を話題にする習慣を持たない人間なので、小説家や社会学者やフェミニストや週刊誌が、性にかかわる「新しい」言説を絶えず生産し流通させるべく、額に汗して奮闘努力しているのを眺めながら、「この人たちを性について語ることへ駆り立てる情熱は何に由来するのだろう」とつねづね不思議に思っていました。
ほんとうに、どうしてなんでしょう。
六〇年代によく聞かされていた説明は、「久しく性は抑圧され、権力的に管理されてきた。そして、性について自由に語ることは禁じられてきた。いまや、この抑圧をはねとばして、自由に性について語り合う権利をぼくたちは奪還した。さあ、どんどん語ろうじゃないか。倒錯とか変態とか不倫とか、野暮は言いっこなしさ。ぼくたちは自由で解放された人間なんだから、はははは」というようなものでした。私はこういう類のことを言う人間をまったく信用しておりませんでしたが、どうもそれから四十年近くたっても、性について語る学者のくちぶりはこれとたいして変わってはいないようです。さいわいフーコーも私と同じ不満を抱いているようです。
[#1字下げ]「数十年来、性について語るとき、私たちはつい気負い込んだ口調になるのが常であった。既成秩序への反逆の意識、自分が秩序|紊乱《びんらん》者であることの自覚、現状を憂い未来を呼び求める熱情(略)。権力に抗して語ること、真実を述べること、享楽を約束すること、啓蒙と解放と肉の快楽を一つに結びつけること、知への情熱と掟を変えんとする意志と夢見られた愉悦の楽園とが一つになった言説を語ること、これらが、おそらく性を抑圧の語法で語ろうとする私たちの熱情を内側から支えている。」(『性の歴史』)
フーコーはこのような「抑圧からの性の解放」を呼号する言説の群を「社会の病的症候」と見なします。そしてそれに冷徹な批判的視線を向けるのです。
なぜ「私たちは性的に抑圧されている」と言うだけのために、人々は「これほどの情熱」を無償で捧げるのか。そもそもほんとうに性は「抑圧」されているのか。性的抑圧を告発していると称するこれらの言説群は、実は告発されている当の制度と「同じ歴史的網の目に属している」もの、同じ材質で編まれたものではないか、とフーコーは畳みかけます。そして、性を語る言説群を、近代を貫く「知への意志」──あらゆる人間的事象を「一覧的カタログ」にとりまとめようとする法外な野心──という地下水流の中に位置づけるのです。
ヨーロッパにおいては、一七世紀からあと「性について語ること、いよいよ多くを語ることへの制度的な煽動」という事実が観察されています。
それまでもカトリック信者は告解において性生活について詳細な報告をすることを義務づけられていました。(体位や愛撫の仕方や快楽の正確な瞬間などについての微細にわたる質疑応答は久しく告解室で行われていたのです。)
ここに、新しいタイプの性の言説が登場してきます。まずは文学です。
「実際になされた行為のみならず、官能的な触れ合い、あらゆるよこしまな視線、すべての猥褻《わいせつ》な言葉……すべての妄念」を精密に再現することが文学の新たな使命として推奨されます。(この冒険的企図の最初の英雄はサド侯爵です。)
ついで医学が登場します。性的逸脱は久しく「自然に反する罪」として、刑事罰の対象でしたが、一九世紀になると、それは「治療」の対象となります。そして徹底的に科学的な調査が性的逸脱について実施されるようになります。「患者」はその遺伝的資質をたどられ、解剖学的異常や器質疾患が探られ、そのすべてが科学の用語で「言説化」されます。こうして膨大な数の性的異常のカテゴリーが作り出されます。露出症、呪物崇拝症、動物愛好症、視姦愛好症、女性化症、老人愛好症、冷感症……あらゆる性的逸脱のカタログ化に医学者たちは科学的熱情を捧げます。その感動的なまでの分類への情熱は、とても性的逸脱の「排除」や「抑圧」をめざしているようには思えない、とフーコーは考えます。
なぜ「私たちは性的に抑圧されている」と言うだけのために、人々は「これほどの情熱」を無償で捧げるのか。そもそもほんとうに性は「抑圧」されているのか。性的抑圧を告発していると称するこれらの言説群は、実は告発されている当の制度と「同じ歴史的網の目に属している」もの、同じ材質で編まれたものではないか、とフーコーは畳みかけます。そして、性を語る言説群を、近代を貫く「知への意志」──あらゆる人間的事象を「一覧的カタログ」にとりまとめようとする法外な野心──という地下水流の中に位置づけるのです。
ヨーロッパにおいては、一七世紀からあと「性について語ること、いよいよ多くを語ることへの制度的な煽動」という事実が観察されています。
それまでもカトリック信者は告解において性生活について詳細な報告をすることを義務づけられていました。(体位や愛撫の仕方や快楽の正確な瞬間などについての微細にわたる質疑応答は久しく告解室で行われていたのです。)
ここに、新しいタイプの性の言説が登場してきます。まずは文学です。
「実際になされた行為のみならず、官能的な触れ合い、あらゆるよこしまな視線、すべての猥褻《わいせつ》な言葉……すべての妄念」を精密に再現することが文学の新たな使命として推奨されます。(この冒険的企図の最初の英雄はサド侯爵です。)
ついで医学が登場します。性的逸脱は久しく「自然に反する罪」として、刑事罰の対象でしたが、一九世紀になると、それは「治療」の対象となります。そして徹底的に科学的な調査が性的逸脱について実施されるようになります。「患者」はその遺伝的資質をたどられ、解剖学的異常や器質疾患が探られ、そのすべてが科学の用語で「言説化」されます。こうして膨大な数の性的異常のカテゴリーが作り出されます。露出症、呪物崇拝症、動物愛好症、視姦愛好症、女性化症、老人愛好症、冷感症……あらゆる性的逸脱のカタログ化に医学者たちは科学的熱情を捧げます。その感動的なまでの分類への情熱は、とても性的逸脱の「排除」や「抑圧」をめざしているようには思えない、とフーコーは考えます。
[#1字下げ]「これら無数の倒錯的性行動を排除する? そんなはずがない。そうではなくて、目的は、これらの性行動のすべてをカタログ化し、一覧的に位置づけることなのだ。重要なのは、あらゆる性行動を無秩序に列挙しているように見せかけながら、実はそれらを現実のうちに整序し、個人のうちに統合することなのだ。」(『性の歴史』)
人間のとりうるあらゆる性行動についての網羅的なカタログを作り上げること、それを公共化すること、「嗜好」を共有するマニアたちを組織化すること、買売春やポルノグラフィーを扱う性商品市場を立ち上げること、医学、精神病理学、社会学などを「性についての学知」として編成すること……これらの無数の水流が「性の言説化」という滔々たる大河の流れを構成しています。そして、一糸乱れず一方向へと向かってゆく、この「統御された欲望」のあり方のうちに、フーコーは近代の権力装置の効果を見て取るのです。
[#1字下げ]「単に性に関して語ることのできる領域が拡大され、かつ絶えずその拡大することが人々に強制されてきた、というだけではないのだ。際立っているのは、言説が、ある複雑で多機能的な仕掛けを介して、性に接合されたということだ。その仕組みを禁止の掟との関係で言い尽くすことはできない。性についての検閲? 違う。そこに設置されたのは、性にかかわる言説を生産する装置、いよいよ多くの言説を生み出す装置なのだ。」(『性の歴史』)
フーコーの社会史を読むときにたいせつなことは、この性の言説化についての批判から窺い知れるように、「権力」ということばを単純に、「国家権力」とか、それがコントロールしている各種の「イデオロギー装置」という実体めいたものとしてとらえてはならないということです。「権力」とは、あらゆる水準の人間的活動を、分類し、命名し、標準化し、公共の文化財として知のカタログに登録しようとする、「ストック趨向《すうこう》性」のことなのです。ですから、たとえ「権力批判」論であっても、それが「権力とはどのようなものであり、どのように機能するか」を実定的に列挙し、それを「カタログ化し、一覧的に位置づけ」ることを方法として選ぶ限り、その営《いとな》みそのものがすでに「権力」と化していることになります。
フーコーは「権力批判」の理説を立てた、というふうに要約することはフーコーのほんとうの企図を逸することになります。フーコーが指摘したのは、あらゆる知の営みは、それが世界の成り立ちや人間のあり方についての情報を取りまとめて「ストック」しようという欲望によって駆動されている限り、必ず「権力」的に機能するということです。
ですから、そう書いている当のフーコー自身の学術的な理説も、そしてフーコー理論を祖述したり紹介したりしているすべての書物も(もちろん本書も)、宿命的に「権力」的に機能することになります。
現に、フーコーの著作はいまでは全世界の社会科学・人文科学の研究者の必読文献であり、それを「勉強する」ことはほとんど制度的な義務となっています。院生たちはフーコーの術語を駆使し、フーコーの図式に準拠して思考し、推論することをほとんど強制されています。これこそ「権力=知」の生み出す「標準化の圧力」でなくて何でしょう。この逆説をフーコー自身はおそらく痛切に予知していたはずです。
制度に「疑いのまなざし」を向けているおのれの「疑い」そのものまでが、「制度的な知」として、現に疑われている当の制度の中に回収されてゆくことへの不快。そのことに気づかずに「権力への反逆」をにぎやかに歌っている愚鈍な学者や知識人への侮蔑。この不快にドライブされた徹底的な自己言及がフーコーの批評性の真骨頂です。(この「大衆嫌い」もニーチェからフーコーが受け継いだ知的資質の一つです。)
ここにいるこの「私」は、いったいどのような「前史」を経由して形成されてきたのか。それを問うのがフーコーの批評性の構造ですが、実はそれは「自分自身の肉眼で自分の後頭部を見たい」というのにも似た不可能な望みなのです。しかし、この不可能な望みに有り金を賭けた無謀さによってミシェル・フーコーの仕事はこの先も長く敬慕され続けることでしょう。
フーコーは「権力批判」の理説を立てた、というふうに要約することはフーコーのほんとうの企図を逸することになります。フーコーが指摘したのは、あらゆる知の営みは、それが世界の成り立ちや人間のあり方についての情報を取りまとめて「ストック」しようという欲望によって駆動されている限り、必ず「権力」的に機能するということです。
ですから、そう書いている当のフーコー自身の学術的な理説も、そしてフーコー理論を祖述したり紹介したりしているすべての書物も(もちろん本書も)、宿命的に「権力」的に機能することになります。
現に、フーコーの著作はいまでは全世界の社会科学・人文科学の研究者の必読文献であり、それを「勉強する」ことはほとんど制度的な義務となっています。院生たちはフーコーの術語を駆使し、フーコーの図式に準拠して思考し、推論することをほとんど強制されています。これこそ「権力=知」の生み出す「標準化の圧力」でなくて何でしょう。この逆説をフーコー自身はおそらく痛切に予知していたはずです。
制度に「疑いのまなざし」を向けているおのれの「疑い」そのものまでが、「制度的な知」として、現に疑われている当の制度の中に回収されてゆくことへの不快。そのことに気づかずに「権力への反逆」をにぎやかに歌っている愚鈍な学者や知識人への侮蔑。この不快にドライブされた徹底的な自己言及がフーコーの批評性の真骨頂です。(この「大衆嫌い」もニーチェからフーコーが受け継いだ知的資質の一つです。)
ここにいるこの「私」は、いったいどのような「前史」を経由して形成されてきたのか。それを問うのがフーコーの批評性の構造ですが、実はそれは「自分自身の肉眼で自分の後頭部を見たい」というのにも似た不可能な望みなのです。しかし、この不可能な望みに有り金を賭けた無謀さによってミシェル・フーコーの仕事はこの先も長く敬慕され続けることでしょう。