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海嶺30

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:角帆     五 夕食を終えた重右衛門は、船頭部屋に引き揚げた。仕切り戸一枚向こうの水主部屋《かこべや》から、誰かの太い
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角帆
     五
 夕食を終えた重右衛門は、船頭部屋に引き揚げた。
仕切り戸一枚向こうの水主部屋《かこべや》から、誰かの太い笑い声が聞こえる。博打《ばくち》でも始めたらしい気配《けはい》だ。
「丁《ちよう》だ!」
ドスの利いた声は辰蔵か。
重右衛門は茣蓙《ござ》の上に横になったが、何となく先程《さきほど》の岩松の表情が気にかかった。
(腕の立つ男だが……)
胸の中で呟《つぶや》きながら、重右衛門は腹這《はらば》いになって煙草盆を引きよせた。水主頭《かこがしら》の仁右衛門が、岩松を心よからず思っているのが、今夜の様子でよくわかった。仁右衛門はやはり、岩松が突如《とつじよ》船を脱《ぬ》けて、御蔭参《おかげまい》りに行った二年前のことが気に入らぬのだ。
「今時の若いもんは……」
岩松が脱け出した時、仁右衛門がそう呟いたのを覚えている。二年前、仁右衛門は四十一、岩松は二十六であった。
だが、仁右衛門もそれ以上は言わなかった。事は伊勢神宮への御蔭参りである。世は挙げて御蔭参りに浮かれていた。女子供でさえ、家人《かじん》に断りもなく脱け参りをしていたのだ。
船子たちの伊勢神宮への信仰は、金比羅権現《こんぴらごんげん》への信仰と共に、殊《こと》のほか厚い。それは絶対的とも言えるほどであった。その伊勢神宮の神罰《しんばつ》を恐れて、仁右衛門はそれ以上のことは言わなかったのだ。
(だが、利七までがなあ)
煙草を煙管《きせる》に詰めながら、重右衛門は屈託ありげに、六角の吊《つる》し行灯《あんどん》を見た。利七は、明るい性格の男なのだ。それが、今夜の利七は少しちがっていた。仁右衛門と一緒に、岩松に対して厭味《いやみ》を言った。
「師崎の星は、舵取《かじと》りに特別に光ってみせたんやないか」
はっとするような厭味だった。よく岩松が怒らなかったものだと思う。岩松の女房絹が、師崎で体を売っていたことを知っての、利七の厭味だった。
(そうか!)
利七が岩松に厭味を言ったのは、絹が美し過ぎたからかも知れぬと、重右衛門は気づいた。絹は熱田の港まで岩松を見送りに来た。ひたと岩松をみつめていた絹の美しさは、二十の利七には妬《ねた》ましかったのかも知れぬ。船が熱田を出てから、誰かが利七に、
「あの女なら、俺も買うたことがあるぜ」
と、積み荷の蔭《かげ》で言っていた。
それを思いこれを思うと、重右衛門は、今夜|出帆《しゆつぱん》したほうがいいと言った岩松の言葉が更に気にかかった。幸か不幸か、風がぱたりと落ちたので、出帆の仕様がなかった。だが、今夜の水主たちには、岩松の言葉を無視したい空気があったように思う。
船頭である重右衛門は、常に水主《かこ》たちの和を計らねばならぬと思っている。そしてそのためには、人を立てねばならぬと考えていた。が、事によっては、すべての人を立てるわけにはいかぬ。そこに重右衛門の決断が問われた。
だが、源六という優れた父を持った重右衛門は、幼い頃《ころ》から、いつも父の決定に従う癖がついていた。それが船頭となって何年かを経た今も、まだ心の片隅に残っていた。誰かの決定を待ちたい思いがともすれば頭をもたげた。それが時には、三役への一任という形に出ることもあった。そしてそのことが、今までのところ、三役たちを満足させてもきた。
「おや?」
重右衛門は銜《くわ》えていた煙管《きせる》の灰を、煙草盆に軽く叩《たた》いて、行灯《あんどん》を見上げた。先程《さきほど》より、少し行灯の揺れが大きくなったように思ったからだ。
「風が出て来たのかな」
重右衛門はむっくりと起き上がった。
重右衛門は、欅《けやき》の引き戸をあけて、水主《かこ》部屋に入った。案の定《じよう》、仁右衛門を中心に、水主たちは博打《ばくち》に興じている。壺《つぼ》ふりは相変わらず千之助だ。片肌脱いで、今、千之助は、鮮やかな手つきで壺をふっていた。どこの水主頭《かこがしら》もそうであるように、仁右衛門もまた博打に強い。
「半!」
仁右衛門の声が冴《さ》える。
「丁《ちよう》!」
利七の声が張る。賽《さい》の目は半と出た。みんながどっとどよめく。
「いや、おやじにはかなわん」
利七が頭を掻《か》くのを、水主《かこ》たちは見て笑った。その騒ぎをよそに、音吉と久吉が、幼い顔をして片隅に寝入っていた。
重右衛門は梯子《はしご》を登って、一人|艫櫓《ともやぐら》の上に出た。冷たい風が頬《ほお》をなぶった。先程《さきほど》、ぱたりと風が落ちたのは、一時《いつとき》だったのだ。重右衛門は空を見上げた。星がまたたいている。
(やはり、今夜のうちに遠州灘《えんしゆうなだ》を突っ切ったほうが、よいかのう)
重右衛門は、岩松の言葉どおりに、出帆《しゆつぱん》したほうがよいような気がした。
伊豆の下田を 朝山巻いて
晩にゃ志州領の 鳥羽浦へ
という歌の文句のとおり、風によっては一日で遠州灘を突っ切れる。今はまだ宵《よい》の口だ。すぐに出帆すれば、朝飯は下田の港で取ることができるかも知れない。お誂《あつら》えの風だと重右衛門が思った時、すぐ傍《かたわ》らを出て行く船があった。重右衛門の心は定まった。
重右衛門は、胴の間に堆《うずたか》く積んだ米の上を通って、岩松に声をかけた。岩松は舳先《へさき》に一人突っ立っていた。
「舵取《かじと》り、風が出てきたのう。帆を上げることにしようか」
「そのほうがいいと思いますで、親方」
岩松が自信ありげに答えた。重右衛門は艫櫓に戻ると、梯子《はしご》にひと足かけて叫んだ。
「帆を上げろ!」
さすがに凛然《りんぜん》とした下知《げち》であった。仁右衛門はじめ水主たちが、すっくと立った。
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