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海嶺34

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:怒濤     四 風は激しいが、雨が小降りになっていた。音吉は六角|行灯《あんどん》を手に持って、帆柱の傍《かたわ》らに
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怒濤
     四
 風は激しいが、雨が小降りになっていた。
音吉は六角|行灯《あんどん》を手に持って、帆柱の傍《かたわ》らに立った。重右衛門も行灯をかかげた。船が揺らぎ、帆柱が絶え間なく軋《きし》む。足がふらつく。
(こんな中で帆柱が切れるのか)
音吉は固唾《かたず》をのむ思いだった。
命綱《いのちづな》を体に巻き、斧《おの》を持った岩松が、風下《かざしも》に立った。行灯の灯影に、岩松の緊張した顔が照らし出された。岩松の頬《ほお》がひくひくと動いたかと思うと、
「エーイッ!」
裂帛《れつぱく》の気合《きあい》が風に飛び、斧がふりおろされた。帆柱が斧を跳《は》ね返すような音を立てた。が、次の瞬間、岩松は強風にたたらを踏んだ。
「気をつけろーっ!」
重右衛門が叫ぶ。岩松が再び斧をふり上げる。途端に大波が打ちこむ。ふらつく足を大きくひらいて、岩松は船の揺れの間合いを待つ。
「エーイッ!」
再び鋭い気合と共に斧《おの》が打ちおろされる。斧はかすかに柱を削った。つづいてまた斧をふりかざす。打ちおろそうとして、また風に体が揺らぐ。見ている重右衛門、仁右衛門、音吉たちの体も、岩松と共に大きく揺らぐ。揺らぎながらも、手を握りしめて岩松を見守る。
その間も、船倉からはアカが汲《く》み出され、米俵《こめだわら》を打ち捨てる作業がつづけられていた。
「ようやく雨もやんだのう」
重右衛門がそう呟《つぶや》いたのは、岩松が斧を持って帆柱に切りこんでから、四半刻を過ぎた頃《ころ》であった。
「どれ、今度は俺が替わる」
仁右衛門が手を出した。が、重右衛門がとどめて、
「利七! お前替われ」
と命じた。その声に眉《まゆ》を上げた利七が、
「おう!」
と答えて、岩松の斧を取った。二尺八寸角の柱は、それでもようやく幅五寸|程《ほど》の荒々しい切り口を、見せていた。岩松は肩で大きく息をした。ざんばら髪が額の汗にへばりついている。音吉は畏敬《いけい》の念を持って岩松を見た。
さすがの岩松もその場に坐《すわ》りこんだ。重右衛門は、帆柱を切ることに反対した岩松に、あえて第一番に斧を持たせたのだ。それは重右衛門の好意でもあった。が、岩松は複雑な思いで、自分の切りつけた帆柱を見た。
岩松に替わった利七は、若さにあふれていた。が、斧《おの》を持つと、一瞬|脅《おび》えた表情を見せた。それでも、利七も必死に斧をふるった。利七もまた、幾度も足をすべらせ、床に膝《ひざ》をつき、そして立ち上がった。大木に斧を入れるのは、陸地でも大変な業だ。まして、風と波に揺れやまぬ船の上での作業だ。
利七は四半刻《しはんとき》と経《た》たぬうちに、息も荒々と喘《あえ》いで、その場に坐《すわ》りこんでしまった。仁右衛門が替わる。そして再び岩松が斧を持った頃《ころ》には、重右衛門の下知《げち》によって、布団やかいまき、その他|苫《とま》などが垣立《かきたつ》にくくりつけられていた。帆柱の倒れた時の衝撃をやわらげるためであった。
ようやく風下《かざしも》側の切りこみが終わり、今度は風上《かざかみ》にまわって、辰蔵が斧をふるった。風下の受け口より、七、八寸高目の所に切り口を入れるのだ。行灯《あんどん》の光があるとは言え、夜半の作業は捗《はかど》らない。幸い、宵の口よりは風の激しさは衰え、雷鳴も間遠《まどお》になっていた。とは言っても、波のうねりは更《さら》に大きく、いつ果てるとも見えなかった。
ひと打ちしては、つんのめり、二打ちしては息を整える。辰蔵の頬《ほお》に疲労がありありと浮かぶ。嵐が来てからは、食する間も休む間もなく働き詰めなのだ。しかもその上に、不安と恐怖が絶えず襲う。誰もが、倒れることなく働いていることが、不思議なほどだ。
辰蔵につづいて千之助が斧を持ち、更にまた仁右衛門が替わった。切りこまれる度に、帆柱の破片が狂ったように飛び散り、暗闇《くらやみ》に吹き払われていく。
こうして二刻半(五時間)ほども経った頃、重右衛門は、岩松を従えて舳《へさき》に立った。筈緒《はずお》を切るためであった。筈緒は帆柱の頂上から、船首に張ってある綱である。この筈緒を切るのに間合いが要る。風上側の切り口が半ばに達するか達しないうちに、帆柱は風圧によって倒れるのだ。その瞬間を捉《とら》えて、筈緒を切らねばならない。早くても遅くてもならない。帆柱が船上のどこに倒れるかわからないからだ。しかも、船は揺れに揺れている。切る間合いがよければ、帆柱は風の力で、海中に落ちてゆく。
重右衛門は、抜き身の脇差《わきざし》をしっかと右手につかんで間合いを図る。その手許《てもと》を岩松のかざした行灯《あんどん》が照らす。
胴の間の積み荷が捨てられて、艫《とも》への見通しがよくなっていた。帆柱を照らす行灯が三つ、船と共に闇《やみ》に上下している。
やがて、幾人かが大声で叫び、帆柱のそばから水主《かこ》たちの一斉《いつせい》に飛びすさぶ影が見えた。素早く重右衛門が刀をふり上げた。と、その手を岩松が、ものも言わずにむずとつかんだ。
「な、何をする!? 気でも狂うたか!」
重右衛門は声をうわずらせて岩松を見た。
が、次の瞬間、
「今だっ! 親方っ!」
岩松が叫び、重右衛門の脇差がさっとふりおろされた。と筈緒が見事に断ち切られて宙に飛び、同時にメリメリと音を立て、帆柱は頭から怒濤《どとう》の中に突っこんで行った。胴の間でどっと歓声が上がった。
重右衛門は、へたへたとその場に坐《すわ》りこんだ。
「お見事!」
言いながら岩松も坐りこんだ。
重右衛門は、ややしばらく気のぬけたように動かなかった。が、やがて、ようやく口をひらいて言った。
「舵取《かじと》り、先程《さきほど》わしの刀をとどめたのは、何でや」
「出過ぎた真似をして、すまんことをした。だが、親方。あん時は、波がぐいぐいと船を突き上げて、盛り上がって来たところだったでな。船の盛り上がる時に帆柱が倒れりゃ、船が危ないと思ったで、それで……」
「波が!? なるほどのう。わしは無我夢中だったで、波の上下までには、心が及ばんかった。そうか。波がのう」
ようやく人心地のついた顔で重右衛門はうなずき、
「もうひと振り早ければ、垣立《かきたつ》を壊したかも知れせん。いや、垣立どころか……。よくやってくれたのう、舵取り」
「いや、親方の手並みが鮮やかだったでえ」
岩松はぼそりと言った。
重右衛門と岩松が、胴の間まで歩いて行った時、仁右衛門はじめ水主たちも、艫櫓《ともやぐら》にべったりと坐《すわ》りこんだまま、帆柱の失われた空を呆然《ぼうぜん》と見上げていた。切り倒すまでは、誰もが懸命であった。だが、切り倒したあとの虚《むな》しさが、どんなに大きいものか、誰も想像することができなかったのだ。朝に夕に、水主たちは帆柱を見上げて働いていた。帆のおろされることはあっても、帆柱がおろされることはなかった。師崎の港に船を冬囲いする時だけ、帆柱は艫の車立と、舳《へさき》の車立の上に横たえられた。帆柱は言わば、帆走船《はんそうせん》である千石船《せんごくぶね》の中心であった。中心であればこそ、その下に船玉《ふなだま》を祀《まつ》りもしたのだ。帆柱を失ってはじめて、水主たちは失われたものの大きさを知った。
重右衛門も岩松も、夜空を見上げた。もはや先刻までそびえ立っていた二尺八寸角の太い帆柱はない。絶えず軋《きし》みつづけていたその軋みも消えた。七丈の高さの帆を張って海上を走った宝順丸は、再び帆を張って走る術《すべ》を失ったのだ。
が、呆然《ぼうぜん》と突っ立っていた重右衛門が、仁右衛門たちに命じた。
「アカ汲《く》みじゃーっ!」
水主たちののろのろと立ち上がる黒い影が見えた。
(アカ汲みだけか)
岩松は、心のうちに呟《つぶや》いた。水主《かこ》たちはもはや、ろくろを巻いて、帆の身縄《みなわ》をしめることもゆるめることもなくなった。岩松も、舳《へさき》に坐《すわ》って、舵《かじ》の動きを命ずることもなくなった。舵柄《かじつか》を取る水主も要らなくなった。中つぎで叫ぶ水主も要らない。
この激浪《げきろう》の中に、今、しなければならない仕事は、アカ汲みしかないのだ。そして、船の揺れ具合を見つつ、荷を捨てるか捨てないかを定めることしかないのだ。
(舵取り……か。舵を失っては、もう舵取りでもあるまい)
岩松は思いをふり払うように船倉におりて行った。そして叫んだ。
「吉治郎も久吉も、交替だ。上へ上がって少し休め」
アカは岩松の臍《ほぞ》まで浸した。
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