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海嶺36

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:黒瀬川     二 岩松は腕を組んで作業|甲板《かんぱん》に突っ立っていた。帆柱のささくれだった折れ跡を秋の日が明るく照
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黒瀬川
     二
 岩松は腕を組んで作業|甲板《かんぱん》に突っ立っていた。帆柱のささくれだった折れ跡を秋の日が明るく照らしている。今、帆桁《ほげた》を帆柱の代わりに立てようとして、千之助はじめ水主《かこ》たちが五、六人、切り残された帆柱を抜きとろうとしていた。それを見守りながら、
(ここは一体どこなのだ)
と考えていた。岩松には、未《いま》だかつて、自分の船の位置が全くわからなくなった経験はなかった。
(あの方角が日本か)
遥《はる》か日本とおぼしき方向に、岩松はまた目を凝らした。が、点ほどの島影もない。水平線が宝順丸を中心に、輪を描いたようにまるい。海は決して、だだっぴろい平面ではなかった。風はほとんどないのに、船は潮に流されていく。茄子紺《なすこん》のこの海の色は、黒潮特有の色であった。
「舵取《かじと》り、日本はどっちの方向かのう」
いつの間にか重右衛門が傍《かたわ》らに来て言った。その声が老人のようにしわがれている。
宝順丸にも磁石はあった。が、方位を示すだけで、船の位置を知らせてはくれない。
「あっちの方向かと俺は思うのだが……」
岩松は暗い声で指さした。と、重右衛門と共に来た仁右衛門が言った。
「何だ、あっちのほうか。俺はまた、こっちのほうかと眺《なが》めていたが」
「どっちがどっちやら、わからなくなってしもうた。三宅島《みやけじま》のあたりは、とうに通り過ぎたのかのう」
重右衛門は心もとなげに言った。
「まさか、八丈島を過ぎたわけではあるまいな」
仁右衛門も気弱そうに言う。仁右衛門は後悔しているのだ。確かに岩松が言った通り、嵐が如何《いか》に長くても、せいぜい七日か八日だ。言わば一時のことなのだ。今考えると、千石船《せんごくぶね》がひっくり返った話を聞いたことはない。水船になって沈んだことは聞いても、帆柱への風当たりが強くて、ひっくり返った話は聞かない。仁右衛門は、帆柱を切らねば、帆柱への風当たりで、船が陸から遠く押し流されると案じたのだが、帆柱を切ったところで、何の役にも立たなかったような気がする。風は容赦《ようしや》なく、ぐいぐいと船を沖に押し出したからだ。
(岩松の言い分が正しかったかも知れぬ)
師崎から真っすぐ外海に出たならば、あの嵐に遭《あ》わなかったと、そのことも仁右衛門は悔いていた。だが帆柱のことにも、あの夜のことにも、岩松は一度も触れない。
(御蔭参《おかげまい》りに脱《ぬ》け出しやがって……)
無責任な偏屈男《へんくつおとこ》と思っていたが、何となくそれが見当ちがいであったような気がしはじめていた。帆柱を切り倒す時の、真摯《しんし》な岩松の働きぶりも仁右衛門の胸にある。
重右衛門もまた、岩松に負い目を感じていた。帆柱を切ったことにも、鳥羽に入ったことにも、仁右衛門と同じ思いを抱いていたが、筈緒《はずお》を切る瞬間を、岩松は正確につかんでくれた。しかもそのことを、岩松は誰にも言わない。
(仕事のできる男と思ってはいたが……)
新たな信頼を、重右衛門は岩松に感じていた。
船は、茄子紺《なすこん》の黒潮に乗って、絶え間なく流されている。が、大海の真ん中では、さして流されているようには思えない。黒潮の恐ろしさを水主《かこ》たちは聞いていた。しかしまだ、その本当の恐ろしさを誰も実感してはいなかった。帆柱の代わりに帆桁《ほげた》を立て、帆を上げれば、風を待っていつかは故国に帰れるような気がしていた。
やがて、垣立《かきたつ》の傍《そば》に片寄せられてあった帆桁が、水主たちの手によって立てられた。帆桁の長さは七丈余りだった。だが、船底の帆柱の座に据えつけるために、作業|甲板《かんぱん》から上の高さは五丈に足りない。切り倒した帆柱は、全長九丈五尺もあったのだ。
新たな帆桁には、数本の水棹《みさお》をつないで使った。こうしてやっと仮帆を上げたが、帆は元の四半分の広さもない。それでも、舳《へさき》には小さな補助帆の弥帆《やほ》もあった。
だが仮帆はいかにも貧弱に見えた。七丈もある二十八反帆を日夜見上げていた水主たちにとって、七反帆の仮帆は、ひどく心もとなく思われた。
「これで、国に帰れるのやろか」
夕焼け空に上がった帆を見上げて、吉治郎が呟《つぶや》いた。
「帰れるとも」
利七が言下に言ってのけ、
「たとい小さくても、帆は帆だでな。東風《こち》さえ吹けば国に帰れるで」
岩松はその二人の声を背中に聞いたまま、黙って海をみつめていた。
(この黒潮から逃れ出るには、舵《かじ》がなければならぬ)
舵を失ったことは、自分自身の責任だと岩松は思っていた。
(とにかく、何よりも羽板を作らにゃあ)
元の羽板は八畳敷の広さを持っていた。だが、せめてその二分の一の羽板でも、岩松は欲しいと思った。
(五尺を使うか)
五尺とは舳《へさき》の船べりにある、取りはずしのできる板である。重右衛門も羽板は作ることができると言ったのだ。岩松は、明日中に羽板を舵柄《かじつか》に取りつけようと思った。
(俺は帰るぞ。どんなことがあっても帰るぞ)
常夜灯の壁を背に、いつまでも自分を見送っていた絹の姿を、岩松は言い難い思いで思い浮かべた。
(岩太郎、父《と》っつぁんは帰るからな)
(お父っつぁん、おっかさん。すぐに帰って行くでな)
帆柱を切り落としてしまった時、岩松は国へ帰る手だてを失ったと心のうちに帰国を諦《あきら》めた。だが今こうして、小さくとも帆が無事に上がり、舵の羽板を取りつける見通しがつくと、俄《にわか》に岩松の胸は大きくふくれ上がった。
と、同時に、不意に命が惜しくなった。激浪《げきろう》の中では、死んだつもりで岩松は働いた。絹には不憫《ふびん》ではあっても、死ぬのはいたし方なしと、早くも諦めていた。それが俄に死が恐ろしくなったのだ。
(帰るぞ。帰って見せるぞ!)
岩松は幾度も自分自身に向かって誓った。
(しかし、それにしてもこの海の色は……)
黒瀬川と呼ばれる黒潮の流れが、次第に無気味なものに思われてきた。
「一度入りこんだら、逃れることはできない」
と聞いた言葉が胸にひろがってきた。だが、その思いをふり切るように、岩松は呟《つぶや》いた。
「なあに、舵《かじ》さえあれば、この潮から逃れて見せる」
舵取りとしての自信を岩松はまだ失ってはいなかった。小さくとも、帆と舵がある限り、国に帰れると思ったのは、必ずしも岩松一人の気負いではなかった。誰の顔にも、喜色が浮かんでいた。寝こんでいた岡廻《おかまわ》りの六右衛門までが、帆が上がったと聞いて、胴の間に出て来て帆を仰いだ。
夕色がいずこからともなくしのびより、空に星がまたたきはじめた。あたたかい静かな夜を、水主《かこ》たちは交替で寝た。船底にアカを汲《く》む音を聞きながら、岩松もその夜は二の間で深い眠りにひきこまれていった。
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