返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

海嶺61

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:初 春     一 船乗りには船乗りの、元日の作法《さほう》があった。だが、重右衛門は、この漂流のさ中に、その作法そのま
(单词翻译:双击或拖选)
初 春
     一
 船乗りには船乗りの、元日の作法《さほう》があった。だが、重右衛門は、この漂流のさ中に、その作法そのままを踏み行う気はなかった。もし作法どおりにするとすれば、船より出て、神社参りに行くきまりもあり、艀《はしけ》に乗って、船から船に年始にまわるならいもある。いかに作法どおりにしようとしても、この海の真ん中では、不可能であった。仁右衛門の反対もあり、岡廻《おかまわ》りの死んだ正月でもあるので、尚《なお》のこと重右衛門は、作法を簡略にすることにした。
元日、水主《かこ》たちが、寅《とら》の刻《こく》(午前四時)に起きた頃《ころ》、重右衛門は既《すで》に、絹つむぎの着物に着更《きが》えていた。水主たちも、今日ばかりは柳行李《やなぎごうり》の中から着更えを出して身にまとった。ひげも剃《そ》り落とした。その水主たちを引きつれて、重右衛門は舳《みよし》に出た。
白い薄紙のような月が西に傾き、東の洋上が、萌黄《もえぎ》色に明るんでいた。
(わしは今日から十五やな)
音吉には、十五という齢がひどく大人に思われた。頭上にはまだ薄墨色の空が静まり返っている。西風が強かったが、身を刺すほどではない。船は前に揺れ、後ろに揺れた。
音吉はまばたきもせず、今しものぼろうとする太陽を待っていた。
と、一点、鋭い金色の光が音吉の目を射た。と思うと、その光はみるみる親指大となり、櫛《くし》の形となり、ぐいぐいとのぼってきた。正《まさ》しく元日の太陽であった。
重右衛門が重々しく拍手《かしわで》を二つ打った。水主《かこ》たちがそれにならった。そしてそのまま手を合わせて、みんな一心に何ごとかを祈りはじめた。
音吉も祈りながら、思いをふるさとの小野浦に馳《は》せた。音吉の家から見る初日《はつひ》は、低い向山から出る。すぐ近くの山だ。去年の今日、音吉は琴の家の門の外で初日を拝んだ。その一丁半ほど向こうに音吉の家があった。その家の前に母とさとが出て、初日を拝んでいた姿が、逆光線の中に影絵のように見えた。あの時琴は、自分と一緒に初日を拝んだ。その産毛《うぶげ》の生えたうなじが、今もはっきりと目に残っている。
(船玉《ふなだま》さま。無事に帰らせて下さい。父っさまや、母さまや、おさとやお琴を守って下さい)
今頃《いまごろ》、同じように、初日を拝んでいるかも知れない故里の一人一人を、音吉は思った。
既《すで》に水平線を離れた太陽を、祈り終えた水主たちは感慨深げに眺《なが》めていた。誰の顔にも、初日を拝んだという晴れ晴れとした表情はなかった。
「これが最後の初日か」
千之助が呟《つぶや》いた。
「そうやろな」
情けない声で、常治郎が答えた。それにはかまわず、重右衛門が先に立って水主部屋に入った。
一同が打ち揃《そろ》ったところで、重右衛門はまず神棚《かみだな》に向かって手を合わせ、平伏した。つづいてその下にある仏壇の戸をひらいて合掌した。そしておもむろに水主《かこ》たちのほうを向いて、一同を見まわした。仁右衛門がひと膝《ひざ》にじり出て、
「親方さま、明けまして、まことにおめでとうござります」
と、うやうやしく頭を下げた。水主たちも声を合わせて、
「親方さま、明けましておめでとうござります」
と、一斉《いつせい》に頭を下げた。仁右衛門は両手をついたまま、
「昨年中は、ひとかたならぬお世話様に相成りました。本年も何卒《なにとぞ》よろしう、おねがいいたします」
と、挨拶《あいさつ》を述べ、水主たちが再び頭を下げた。
「うむ。今日からは年が改まって、めでたいことじゃ。故里を出てから、も早三月近くになる。まさかこの大海原の真ん中で、このような正月を迎えようとは、思いもよらなんだが……」
重右衛門は声を途切らせたが、自らを励ますように言った。
「この年がどのような年になろうものやら、それは誰にもわからぬ。だがのう、皆の衆ようく聞くがよい。たとえ陸にいても、この年、思わぬことに出遭《であ》う人間は数多《あまた》いる。死んでいく者もたくさんあろう。こうして、大海に漂っているからといって、いかなるよいことが待っているか、これまた人間の身にはわからぬことじゃ。思わぬ船が現れて、故里まで送り届けてくれるかも知れぬ。今十日も経てば、花咲く美しい島が現れ、清い水の流れる岸べに臥《ふ》すことができるかも知れぬ。思わぬ災難に遭ったように、思わぬ幸せに遭わぬものでもない」
重右衛門がそう言った時、
「ほんとやなあ。ええことが待っとるかも知れせんなあ」
と、うれしそうな声を上げたのは久吉だった。何人かの顔に、明るい表情が浮かんで消えた。
「そうや。久吉、よう言うた。何が待っているにせよ、とにかく心丈夫に生きねばならぬ。岡廻《おかまわ》りを見てのとおり、先々まで心配したところで、命をすり減らすだけじゃ。どうせ生きるなら、一日一日を、楽しく仲よく生きることじゃ。心さえ強く保っておれば、人間そうたやすく参るものでないでな。それが証拠に、お前たち今日まで、無事に生きて来たではないか」
言われてみんなはうなずいた。
「遠州灘《えんしゆうなだ》ではひどい嵐に遭《お》うた。あのあと幾度か嵐がきた。だが、みんなが力を合わせてアカを汲《く》んだ故《ゆえ》、水船にもならず、今日まで生きてきた。よいか、船は決して引っくり返りはせぬ。皆々心を一つにして、大神宮に祈るなり、それぞれの信ずる神に祈るなら、きっとよいことが待っていようぞ。春になれば風も変わる。必ず東風《こち》が吹く。東風が吹けば、故里に帰れる、よいな、皆の衆。勝五郎が心をこめて調《ととの》えてくれた膳《ぜん》に、喜んで向かおうではないか」
音吉は深くうなずいて聞いた。確かに難船した者だけが死んでいくとは限らない。陸にいても、思わぬ災難や疫病《やくびよう》で、人は死んでいくものだ。
用意された膳を運びながら、久吉が、
「ほんとやなあ。ええことが待ってるかも知れせんのやなあ」
と、また賑《にぎ》やかな声を上げる。
「しかしなあ、去年の今日は……」
千之助が愚痴《ぐち》を言いかけた。と岩松が言った。
「去年の今日がどうしたと? ぐだぐだ言うことないで。めでたい正月だでな」
きびしい声に千之助が口をつぐんだ。
「しかし舵取《かじと》り、ぐだぐだも言いとうなるわい」
仁右衛門が膳《ぜん》の上を見ながら言った。膳の上には、うすい味噌汁《みそしる》仕立ての雑煮《ぞうに》があった。雑煮と言っても、むろん餅《もち》ではない。米の飯をすりこぎでこねた団子《だんご》である。汁の実は何もない。それでも、干した小魚が、尾頭《おかしら》付き代わりに皿についていた。どこにしまってあったのか、流れ藻で作った酢の物もある。一同が盃《さかずき》を干すと、
「大変な馳走《ちそう》じゃ。勝五郎、ようやってくれたのう」
重右衛門がねぎらった。勝五郎は、両|膝《ひざ》をきっちりと合わせて、膳の前に坐《すわ》ったまま顔を上げようとしない。その鼻が赤くなっているのを音吉は見た。
「ほんとにごっつぉうや。ほんとの餅よりうまいわ」
久吉がまた大声で言った。
「そうか、ほんとの餅よりうまいか」
重右衛門の声がうるんだ。と、たまらなくなって、常治郎が泣き、利七が泣いた。泣きながらしかし、
「うまい……うん、うまい」
と、椀《わん》を持った手をふるわせた。久吉が、
「うちではな、白い餅なんぞ、食ったことあらせん。粟餅《あわもち》やったでな。ほんとうにうまいで、これは」
と、うれしそうに言う。すると仁右衛門が口を歪めて、
「餓鬼《がき》には、嬶《かかあ》も子供もいねえからな」
それが聞こえたか、聞こえないのか、岩松が、
「久公、お前はなかなかの根性《こんじよう》やな。大人より偉いで」
と、珍しく大声を上げて笑った。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论