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海嶺64

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:初 春     四「舎利子《しやりし》、色不異空《しきふいくう》、空不異色《くうふいしき》、色即是空《しきそくぜくう》、
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初 春
     四
「……舎利子《しやりし》、色不異空《しきふいくう》、空不異色《くうふいしき》、色即是空《しきそくぜくう》、空即是色《くうそくぜしき》……」
般若心経《はんにやしんぎよう》を読む重右衛門に、水主《かこ》たちの唱和する声が、水主部屋に満ちている。音吉は重右衛門のうしろに坐《すわ》って、顔に白布をかけられた吉治郎の遺骸《いがい》を見守っている。水主部屋の正面には、宝順丸の船額が掲げられ、その下は帆柱の立つ柱道との仕切り戸になっている。仕切り戸の右手に固く戸を閉ざした神棚《かみだな》があった。神棚の下の仏壇はふだん引き戸が立てられていたが、今夜はその引き戸が取り払われ、仏壇の前に、吉治郎の遺骸が安置されていた。
「是諸法空相《ぜしよほうくうそう》、不生不滅《ふしようふめつ》、不垢不浄《ふこふじよう》、不増不減《ふぞうふげん》、是故空中《ぜこくうちゆう》……」
小野浦の良参寺の檀家《だんか》は、死者が出た時、檀徒たちが主になって通夜《つや》を営んだ。その慣わし通りに、今、吉治郎の通夜も営まれていた。
(兄さ、辛《つら》かったやろな)
またしても、涙の盛り上がる音吉の目に灯明がかすむ。
吉治郎は今朝、突如《とつじよ》胸を掻《か》きむしったかと思うと、ぱたりと息が絶えた。傍《そば》に寝ていた音吉が、目ざめたばかりの時であった。正月からまだ二十日と過ぎていない。
「……無有恐怖《むゆうきようふ》、遠離一切顛倒無想《えんりいつさいてんとうむそう》……」
水主《かこ》たちの読経《どきよう》がつづく。経本を手に持つ重右衛門の声が一番高い。目を半眼にしたまま、経を誦《ず》する者、目をつむって唱和する者、様々だ。船の揺れに従って、水主たちの体もかすかに揺れる。その中で利七が、口をあけたまま、力のない目で天井を見上げていた。それを時おり見ながら、仁右衛門が一心に読経している。香の煙が水主たちの頭に漂っている。
正月十日、宝順丸は幾度目かの嵐にまきこまれた。その嵐が、誰の体にも目に見えて祟《たた》った。アカを汲《く》む作業が以前のようには捗《はかど》らない。大きな嵐に遭《あ》って、水主たちは自分の体力の衰えをはっきりと悟った。とりわけこの嵐は、身も心も弱っていた吉治郎を、衰弱させた。そして、予想よりもはるかに早く、死へと追いやったのだ。
(兄さ、折角《せつかく》水がたくさん……)
音吉の唇《くちびる》がふるえた。嵐は、何十日も降らなかった雨を持ってきた。その雨を、あらゆる器に並べて、水主たちは貯めた。今|貯水槽《かよいはず》にも、多くの水樽《みずだる》にも、雨水は一杯に入っている。伝馬船《てんません》にさえ水が湛《たた》えられた。この雨が、弱っていた水主たちの体に、新しい力を与えた。だが、吉治郎にはその水さえ、既《すで》に何の力にもならなかった。絶えず翻弄《ほんろう》される船の中で、吉治郎は恐怖の余り、力が萎《な》えた。
嵐の前、既に、吉治郎の体には薄い斑点が浮かびはじめていた。壊血病《かいけつびよう》のきざしであった。それが、嵐の過ぎたあとには、あまりにもどす黒い斑点となっていた。吉治郎はその斑点の浮かんだ手をかざして、一日中|眺《なが》めては嘆き暮らした。血は鼻からも歯ぐきからも滲《にじ》み出て、毎日増える一方となった。その吉治郎の症状に、音吉も内心|怯《おび》えていた。岡廻《おかまわ》りの死の前と、あまりにも似た症状であったからだ。
死ぬ二日ほど前、寝につこうとした音吉に、吉治郎が言った。
「音、すまんかったなあ」
低いが、別人のようなやさしい声であった。
「兄さ、何がすまん? すまんことは何もあらせんで」
「いや、何もかもすまんかった……俺はなあ、音とちがうでなあ。それはようわかっていたんや……」
「…………」
「音、お前は、四つ五つの時から、みんなのほめられもんやったもなあ。だけどなあ、俺はほめられたことは、一度もなかったでなあ……」
喘《あえ》ぎ喘ぎ言う吉治郎の口から、血が滴《したた》り落ちた。その血を拭《ふ》いてやりながら、音吉は、自分が何か悪いことをしてきたような気がした。自分がほめられる度《たび》に、傍《かたわ》らにいた兄の吉治郎は、どんなに淋《さび》しい思いをしてきたことであろう。その淋しさを、音吉は今、初めて気づいたのだ。自分がほめられることは、暗に吉治郎が、くさされることであったかも知れない。ほめられて自分が喜んでいる時に、吉治郎が淋しい思いに耐えていたのかも知れない。
「兄さ、すまんかったのは俺や」
音吉はそっと、吉治郎の額の脂汗《あぶらあせ》を拭いてやりながら言った。
「いや、俺は、お前が時々憎うなってなあ、お琴は俺かて好きやった……」
「…………」
「だが、そんなことを言うたって、しようもないわなあ。音、俺はなあ。ほんまに死にとうない。なあ、死にとうないで」
「兄さ……兄さは死なん」
「いや、もう諦《あきら》めているでな。だけどな、父っさまや母さまの顔をな、一度でいいから見たいんや」
吉治郎の目尻から、涙がころがり落ちた。
「音、それでもな、俺はまだ幸せやな。音がこうして傍《そば》にいてくれるでな」
「…………」
「俺が死んだらな、きっとお前を守ってやるで。どんなことがあっても、俺が守ってやるでな」
「兄さ……」
「だからな、音、安心せい。音は必ず生きて帰るでな。……その時はな、俺のこの髪ば、父《と》っさまや母《かか》さまに、必ず届けるんやで」
そう言って、吉治郎は泣いた。
その時の吉治郎を思い浮かべながら、音吉は今、嗚咽《おえつ》をこらえていた。
半時《はんとき》以上つづいた読経《どきよう》がこの般若心経《はんにやしんぎよう》をもって終わった。重右衛門が鐘を鳴らして合掌《がつしよう》した。水主《かこ》たちも手を合わせて、
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》南無阿弥陀仏」
と、低くとなえた。
何もかも、岡廻《おかまわ》りが死んだ時と同じだった。岡廻りの死から、ひと月と経《た》たぬうちに吉治郎が死んだ。水主たちの心の中に、次は誰の番かという不安が、一段と大きく広がっていた。
「吉治郎、成仏《じようぶつ》するんやで」
重右衛門が吉治郎の顔にかかった白布を取って、その頬《ほお》をなでた。慈愛に満ちた声であった。と、すすり上げる声があちこちに起きた。吉治郎を悼《いた》む思いと、己《おの》が身を儚《はかな》む思いとが交じり合って、こらえ切れなくなったのだ。わけても、水を盗もうとした吉治郎を、小突《こづ》いたり蹴《け》ったりした夜のことが、誰の胸をも噛《か》んでいた。
(酷《むご》いことをした)
(どんなにか、水を飲みたかったんやろな)
(あれで急に弱ってしもうたのと、ちがうか)
(吉治郎、許してくれや)
それぞれの目が、それぞれの悔いを語っていた。
用意してあった空樽《からだる》の中に、吉治郎もまた、岡廻りと同じように納められることになった。仁右衛門が吉治郎の体を抱いた。思わず音吉が、
(痛くはないか、兄さ)
と、口に出すところであった。吉治郎の体は、どこもかしこも痛んでいた。特に末期には、足にさわられるのをひどく嫌《きら》った。蛙《かえる》のような恰好《かつこう》のまま、決して足を伸ばそうとしなかった。
吉治郎は、膝《ひざ》小僧を抱えるような姿で、樽の中に納められた。
「吉、痛くはないか」
勝五郎が、吉治郎の組んだ手をなでた。
仁右衛門が言った。
「もう痛くもなければ、のどの乾きもなくなったなあ、吉」
音吉はたまりかねて泣いた。死後、勝五郎がひげを剃《そ》り落としてくれたが、そのひげの下にも、黒い斑点が大きく現れた。それが今、吊行灯《つりあんどん》の下に、ひどく無残に見えた。吉治郎は首を自分の肩に押しつけるようにして、その白茶けた顔を傾けていた。数えて十九歳の最期《さいご》の姿であった。
(兄さ、兄さの言うたとおり、最後の正月だったなあ)
音吉は胸の中で呟《つぶや》いた。元旦《がんたん》の膳《ぜん》に向かって、吉治郎は団子《だんご》をひと口、口に入れるや、はらはらと涙をこぼした。その吉治郎に、
「兄さ、何で泣く?」
音吉は尋《たず》ねた。
「何で泣く? 音、お前はそんなこともわからんのか。今日は俺の最後の元旦やで。次に死ぬのは俺の番やで」
吉治郎は肩をふるわせて泣いたのだ。
(兄さ、ほんとに思いやりがなかったなあ、俺は)
死なれてみなければ、兄の悲しみがわからなかったのかと、音吉は心責められてならなかった。
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