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海嶺67

时间: 2020-02-28    进入日语论坛
核心提示:神々の名     二 明日は五月という夜、勝五郎が死んだ。勝五郎の死は、水主たちを打ちのめした。長い間、勝五郎の手による
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神々の名
     二
 明日は五月という夜、勝五郎が死んだ。勝五郎の死は、水主たちを打ちのめした。長い間、勝五郎の手による食事を取ってきた水主たちにとって、その死は大き過ぎた。米以外にはほとんど何もない中で、勝五郎は実に心を配って、食事を調《ととの》えてくれた。元日に、飯《めし》をこねて雑煮《ぞうに》をつくってくれたのも勝五郎だ。自分の枕《まくら》の小豆《あずき》を取り出して、元日の夜、小豆飯を炊《た》いてくれたのも勝五郎だ。勝五郎はみんながそば殻の枕を持っている中で、一人小豆を入れた枕を持っていたのだ。ある時は、一口ほどの小さな握り飯を、ある時は三角の握り飯をと、握り飯一つつくるにも、形を変えてつくってくれた。自分が床に打ち臥すようになってからでも、
「今日は粥飯《かゆめし》がよい」
とか、
「今日はむしろ固めの飯を、よく噛《か》んで食ってもらったほうがいい」
とか、音吉や久吉たちに何くれとなく指示していた。言わば勝五郎は、船頭の重右衛門とはまたちがった、母親的な存在であったのだ。
音吉も、勝五郎の死骸《しがい》に取りすがって泣いた。毎日あたたかい言葉をかけてくれた勝五郎の顔をさすりながら、しゃくり上げた。兄の吉治郎の死とはまた別の悲しさであった。
(俺が水を飲まんと言ったら……お前が飲まんのなら、わしも飲まんと言って……)
音吉は、吉治郎が水を盗もうとした時、明日も明後日も水を飲まぬと約束した。その約束を守って、水を飲むまいとした音吉に、勝五郎はその二日目、
「お前が飲まんのなら、わしも飲まん」
と言ってくれたのだ。この一言で、音吉は水を飲むことができた。のどがひりつくような渇きの中で、あの時の勝五郎の言葉ほど、ありがたい言葉はなかった。まだ元気だった頃《ころ》、水主《かこ》たちは時折卑猥《ときおりひわい》な話をした。その度《たび》に、
「ここには音も久もいるだで、いい加減にせんかい」
と、たしなめてくれたのは勝五郎だった。それでも話がやまぬ時は、
「お前ら、胴の間で休んで来い」
と、二人に言ってくれたものだ。その一つ一つが、音吉には今更《いまさら》のように身に沁《し》みる。とりわけ、炊《かしき》の仕事に真実こめて取り組んだその生き方は、音吉には忘れ難いものだった。
勝五郎の死んだ夜、音吉は米を磨《と》ぎながら、釜《かま》の中にとめどなく涙を落とした。米の磨ぎ方から、水盛りの仕方まで、きびしく、しかし親切に教えてくれた最初の日が思い出されてならなかったのだ。
(何で人は死なんならん)
(死んで一体、どうなるんやろう)
勝五郎の死後、音吉は幾度も幾度もそう思った。
が、勝五郎の死を存分に悲しむ間もなく、その三日後に千之助が死に、二日置いて三四郎が死んだ。十四人の乗組員が、九人になってしまったのだ。死ぬ者は皆、体が腫《は》れて死んだ。
不思議に元気なのは、音吉、久吉そして岩松の三人であった。病人の中では、仁右衛門と重右衛門、そして辰蔵がまだよろめきながらも、大小便の用を足すことができた。
だが、日一日と、誰も彼もが死に近づいていることを否《いな》めなかった。元気な岩松たち三人にしても、日毎《ひごと》に体力の衰えは感じていた。既《すで》に五人が死んだこともあって、船の中には陰鬱《いんうつ》な空気がよどんでいた。
今日も朝から、水主《かこ》たちの大方《おおかた》は寝たままで思い思いの愚痴《ぐち》を言っていた。
「先に死んだ奴《やつ》が羨《うらや》ましいな」
「そうだ、そうだ。今日か明日かと、自分の番を待っているのは、もうやりきれんわ」
呂律《ろれつ》も怪しくなった政吉が言う。
「女房の奴、俺のこの苦しみも知らねえで……」
「知るわけないさ。とうに死んだと思っているやろ」
「みんな死に絶えるのかなあ」
「そうに決まっとるで。恨《うら》みつらみなしや」
利七がふてくされたように、天井を見たまま言う。
「だが、音や久は、いやに元気だぜ」
「まだ餓鬼《がき》だからよ。しかし、あいつらだって、今に黒い斑点ができるでな」
大息をつきながら、辰蔵が干割れた唇《くちびる》をなめる。
「しかしなあ、何で岩松には……黒い斑点ができんのかな」
恨めしげに誰かが言った時だった。岩松が部屋に入って来た。みんなはひたと口をつぐんだ。
「おいみんな。これを見てみろ」
岩松が、短い刺し子の前をまくった。太股《ふともも》にうす黒い斑点があった。
「舵取《かじと》りさん!」
久吉と音吉が同時に叫んだ。誰の目にも驚きの色が浮かんだ。岩松だけは不死身のように思っていた。岩松だけは、いつまでも元気でいると思っていたのだ。
「舵取りも、体がだるいだろうが……」
仁右衛門が弱々しくいたわった。
「何、大丈夫だ。みんなも気を確かに持てば、病気に打ち勝つことができる筈《はず》だ」
岩松は腰をおろした。
「打ち勝つことができる? どうやってだ? 舵取り」
「第一は気力だ」
「第二は?」
「第二も気力だ」
「第三は?」
「第三も気力だ」
「なあんだ、それだら助かりっこあらせん」
がっかりしたように、利七は枕《まくら》に頭をつけると、半泣きになった。
「すぐにべそをかきやがる。いいか、みんなも知ってのとおり、この船に二月|頃《ごろ》から貝がついた。小指の先程《さきほど》の小さな貝で、食うこともできなかったが、俺が見てきたところでは、もうそろそろ食えるで」
「えっ!? ほんとか!」
「そ、それはほんとの話か!?」
みんなが声を上げた。
「何で嘘《うそ》をつかんならん。久公、音、腰に縄《なわ》をゆわえて、ざるに一杯取ってこい。何貝か知らねえが、貝は体の薬だでな」
仁右衛門と辰蔵が、いつのまにか布団の上に起き上がっていた。
「それに、もう一つ……」
と、岩松はみんなの顔を見渡して、
「ありがてえじゃねえか。船に藻がついたで。藻も体にはいい筈《はず》だ」
「そうか! 藻がついたか」
仁右衛門が喜んだ時、常治郎が嘆いた。
「船に貝や藻がつくほど月日が経《た》ったのか」
常治郎は声を上げて泣いた。と、常治郎の泣き声に誘われて、水主《かこ》たちは次々に泣いた。仁右衛門が怒って、
「この馬鹿共がっ! 折角《せつかく》、貝と藻が口に入ると言うのに、それを恨《うら》む馬鹿がどこにおる! さ、みんな、知っている限りの神や仏にお礼を申し上げるのじゃ。お礼をな」
叱られて水主たちは、寝たままで口々に神や仏の名を呼んだ。
そのひと時が過ぎると、利七が言った。
「おやじさま、神や仏の名を口々にとなえても、もしかして忘れた神や仏があったら、罰《ばち》が当たらねえかなあ」
仁右衛門が答えた。
「それもそうだ。何しろ日本には、たくさんの神々がおられるでな。よし、舵取《かじと》り、すまんが、半紙に神や仏の名を、次々に書いてもらえんかのう」
「そうだ、そうだ。失礼した神がたくさんござるぞう、こりゃあ。その神罰《しんばつ》もあるかも知れせんでなあ」
「早く書いておきゃよかったなあ」
岩松は、船頭部屋から、二、三十枚の半紙と、筆と硯《すずり》を借りてきた。みんなは色めき立って口々に神の名を上げはじめた。
「先《ま》ず伊勢大神宮だ」
言われたが、岩松は「熱田宮」と書いた。自分が拾われたのは熱田の宮の森だ。熱田の神に自分は守られていると、岩松は近頃《ちかごろ》しきりに思うようになった。他の者が次々に倒れていっても、なぜか岩松には壊血病《かいけつびよう》は取りつかなかった。それで岩松は、熱田の宮で拾われた自分には、特別の加護があるのだと思うようになっていた。ところがその岩松の太股《ふともも》に、うす黒い斑点があることを、岩松は三日程前に見いだした。さすがの岩松も、一時は絶望感におちいったが、しかしなぜか、自分だけは死なないような気がした。それは理屈ではなかった。熱田の宮に対する絶対的な信頼であった。そして今日、岩松は船腹に小指ほどの貝がついていたことを思い出し、自らの目で確かめた。船腹には青い藻が苔《こけ》のようにへばりついていた。その藻の傍《そば》に親指の腹|程《ほど》に大きくなった貝の群れを見つけたのだ。
黒い斑点が出来るのは、野菜の欠乏のためだと水主《かこ》たちは知っている。海藻は野菜ではない。が、恐らく野菜と似たものにちがいないと岩松は思っていた。
(やっぱり俺は守られている)
だから今、真っ先に熱田宮の名を書いたのだ。
「伊勢大神宮」「金比羅大権現《こんぴらだいごんげん》」などと、次々に二十程書きつらねたところで、水主たちは、はたと詰まった。と、誰かが言った。
「そうだ。京都の加茂《かも》神社があった」
「江戸の神田《かんだ》の大明神《だいみようじん》も有名だぜ」
話し合っては、また書きつらねていく。どこの社寺にも失礼のないようにと、水主たちは真剣だった。余りにも素朴な信仰ではあった。
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