天保《てんぽう》四年十月|朔日《ついたち》
重右衛門〉
岩松はくり返し遺書を読んだ。意外に短い遺言だと思った。十月朔日といえば、二十四日前のことだ。これだけ書くのが精一杯の体力であったのだろう。恐らく重右衛門は、まだまだ言い残したいことがあったにちがいない。その言い残したいことを充分に書ける体力のあった時は、生き残れると信じて書かなかったのかも知れない。
重右衛門は船頭としての責任感から、いつも口癖のように、
「死んでは居られぬ」
と、言っていた。恐らく、体力の限界を感ずるぎりぎりまで、遺言を書く気にはならなかったのではないか。いや、もしかすると、もっと早くに遺言を書き、縁起でもないと、それを破り捨てたのかも知れない。岩松は、短い遺言を読みながら、いつも温和だった重右衛門の心を様々に思いやった。そして思った。何としてでも、この遺言を自分が届けてやらねばならぬと。