一
大きな箱を伏せたような、長方形の家であった。板壁のその家には入り口は一つしかない。入り口は海に向かって開いていた。
岩松と久吉は、その家の中に引き立てられて行った。明るい戸外から、窓一つない家の中にいきなりつれこまれた二人は、しばらくは中の様子がわからなかった。只《ただ》、魚の臭いと、煙の匂いが二人の鼻をついた。もんわりと暖かい空気が、下帯《したおび》ひとつの二人の素肌《すはだ》に快かった。ぬれた刺し子も股引《ももひ》きも、男の一人が素早く取り上げてしまった。
ようやく目が馴《な》れた時、岩松と久吉は、自分たちが大きな家の真ん中に引き据えられ、男や女や子供たちに取り囲まれているのを知った。八|間《けん》に十間ほどに広いこの家は、大きな物置のように只ひと間であった。しかも土間《どま》であった。その土間の真ん中に二人は坐《すわ》らせられたのだ。丸木舟から二本の指を立てて見せた年嵩《としかさ》の男が何か言った。野太い声であった。岩松は頭をかしげて、手を大きく横にふった。と、突然久吉が、
「ああ、のどがかわいた。のどが」
と叫び、両手を合わせて拝み、のどをこすり、大きく口をあけ、舌をひらひらと動かして見せた。そして、水を飲む真似《まね》をして見せた。年嵩《としかさ》の男がうなずき、何か言うと誰かの答える声がした。すぐに二人の前に水を持って来たのは、丸木舟の中で人なつっこい笑みを浮かべた若者であった。
「ありがとうございます」
久吉は水を目よりも高く上げ、伏し拝んでから一気に飲んだ。岩松は黙って飲んだ。島に逃れて以来、二人はのどの渇きに苦しめられていた。
「うまい」
岩松はのどを鳴らして飲んだ。
「うまい」
久吉も喘《あえ》ぐように言った。雨水でも、らんびきの水でもなく、これはまさしく清水であった。木をくりぬいた大きな器に入れられた水は、二人の渇きを癒《いや》した。その二人の様子を、男や女や子供たちが、じっと声もなくみつめていた。
再び年嵩の男が何か言った。が、言葉が通じる筈《はず》もない。久吉は腹をおさえ、ぐいとへこませた。そして物を噛《か》む真似をした。件《くだん》の男が言った。
「カウ・イツ《いも》、チーチ・コ・ウイス(秋鮭)」
間もなく木の皿が運ばれて来た。皿の上には皮つきの茹《ゆ》でた馬鈴薯《ばれいしよ》が数個と、鮭《さけ》の燻《くん》製が幾切れか載っていた。見馴《みな》れぬ馬鈴薯と鮭の燻製をみつめた久吉は、そっと岩松の顔をうかがったが、すぐに、
「いただきますで」
と、燻製に手を伸ばした。生乾きの柔らかい鮭をひと切れ、口に入れるや否や、あまりのうまさに久吉は目を丸くした。が、何も言わずに一気に食った。岩松はゆっくりと冷えた馬鈴薯に手を伸ばした。岩松たちにとって馬鈴薯は生まれて初めてのものであった。が、岩松はさりげなく馬鈴薯を食い始めた。仄《ほの》かな甘みが口の中に広がる。岩松は鮭を食い、そして馬鈴薯を食った。何れも、余りにも美味な食物であった。長いこと米のほかはろくにお菜《さい》を摂らなかった二人にとって、それらは天来の珍味に思われた。
食い終わるのを待って、年嵩《としかさ》の男がまた何か言った。
「ワー・アス・アー・テ・クレイク?(どこからきたのか)」
二人は首をかしげた。男は入り口の方を指さした。
「何と言うてるんやろ、舵取《かじと》りさん」
やや人心地《ひとごこち》ついた顔で、久吉がささやく。
「どこから来たかと聞いているのかな」
再び入り口の方を指さした男に、岩松が答えた。
「日本。日本から来た」
人々がきょとんとした。
「日本」
岩松がくり返した。みんなは顔を見合わせた。岩松は土間に、指で「日本」と書いた。みんながのぞきこみ、がやがやと騒ぎ立てた。岩松はもう一度「日本」と書き、
「日本!」
と言った。誰かが真似《まね》をして、
「ニッポン」
と、言ったが、日本を知る者がいる筈《はず》もない。岩松が逆に尋ねた。
「音吉はどこにいる?」
人々はまた顔を見合わせた。
「音吉、音吉」
岩松は指を三本出し、
「岩松」
と、人指し指を折り、自分の胸を叩《たた》いた。更に、
「久吉」
と指を折り、傍《かたわ》らの久吉の肩に手を置いた。そして、残った指を突き出して、
「音吉、音吉」
と言った。この家の主人らしい年嵩の男が、
「オトキチ」
と答えて、家の一角を指さした。人垣に囲まれて、音吉のいる場所も姿も見えなかったが、岩松はうなずいた。どうやら音吉は生きているらしい。
「音吉は生きていたんやな、舵取《かじと》りさん」
久吉の声が弾んだ。
「そうらしい」
言いながら岩松は、ゆっくりと視線を主人の顔に戻《もど》した。
岩松たちが一年二か月もかかって、ようやく漂着したこの地は、アメリカとカナダが合同で領有していた北アメリカの西部、フラッタリー岬(現アメリカ合衆国ワシントン州最北端)であった。この岬の北方海上には、カナダのバンクーバー島が南北に縦長に横たわっていた。
今、二人を取り巻いている男女たちは、インデアンのマカハ族であった。マカハとは、「海に突き出た地点に住む人々」という意味である。白人たちとは遠く離れたこの辺《あた》りに住むマカハ族たちを、アメリカ人たちは「岬のインデアン」と呼んでいた。そのインデアンの奴隷《どれい》として、今、岩松たちは捕らえられたのである。だが、岩松たちは、自分たちが奴隷として捕らえられたことを知らなかった。いや、それどころか、奴隷という言葉も、存在も知らなかった。岩松たちが辿《たど》りついたオゼット島は、この家の所有地であった。マカハの人々は、自分の所有地に流れ着いた物は、すべて自分の所有とした。高潮によって打ち上げられる海藻《かいそう》も流木も、そして今朝《けさ》打ち上げられた岩松たちも、マカハ族にとってはすべて同じ「物」であった。
当時奴隷は、他のインデアンとの戦いで捕虜にした男や女たちがほとんどであった。稀《まれ》にバンクーバー島から買ってくることもある。が、奴隷を買うには、貴重な毛布を少なくとも二十枚は用意しなければならなかった。それが、戦うこともなく、毛布と交換することもなく、今、この家に突如《とつじよ》として三人の奴隷が与えられたのだ。部落の者たちは、その幸運を羨《うらや》んで入れ替わり立ち替わり見物に来た。なぜ自分の持ち島に、あるいは海岸に、そのうちの一人でも流れ着いてくれなかったのかと、ひどく残念がった。
俄《にわか》に財産の増えた喜びが、この家に満ちていた。その喜びが、物珍しさも手伝って、二人への矢つぎ早の問いとなった。しかし、一語として通ずる言葉はなかった。岩松も久吉も仕方なく黙りこんで、只《ただ》男女の顔を見上げていた。顔から髪にかけて、朱色の顔料を塗った女もいる。赤銅色の額に、黄色い縞目《しまめ》を描いている男もいる。手や足に入れ墨をしている者もいる。男たちは何《ど》れも女のように髪を長くし、うしろで束ねていた。耳輪や腕輪をつけた女たちは、袂《たもと》のない足首もかくれそうな長い服を着ていた。
日本人とは様々にちがってはいるが、体格は似ていた。よちよちと歩いて来て、その柔らかい掌で、岩松と久吉の背中をぴたぴたと叩《たた》く幼な児も愛らしい。岩松は心のうちに安堵《あんど》していた。言葉は通ぜずとも、心は通じそうに思った。のどが渇いたと訴えれば水を飲ませ、腹が空《す》いたと言えば、食物を与えてくれる。それ以上のことを、今、岩松は望まなかった。
だが岩松も久吉も知らなかった。奴隷《どれい》という地位がどんなものか。いかなる待遇《たいぐう》を受けるものか。それらのことを全く知らなかった。この部族は、酋長《しゆうちよう》が死ぬと、その最も気に入られていた奴隷が斬殺《ざんさつ》され、共に埋葬《まいそう》された。また、多くの客人を招いて宴を張る時、時折《ときおり》主人は、何の罪もない奴隷の首を、客人の前に刎《は》ねることがあった。奴隷は財産である。その奴隷を殺すということは、奴隷の一人や二人失っても惜しくはないほどに、財産があるという誇示であった。こんな災難が、いつ自分たちの身の上にふりかかるかを、むろん岩松も久吉も知る筈《はず》はない。
やがて人々は、二人にあれこれ尋ねることに倦《あ》きた。疲労している二人を、眠らせたほうがよいと、この家の主人は判断したようであった。大事な奴隷を、病気にしてはならない。主人は手枕《てまくら》をして、眠る格好をして見せ、入り口に近い一画《いつかく》をさし示した。
家の板壁に沿って、涼み台|程《ほど》の幅の台が、ぐるりと造りつけになっていた。その台の上には、木の皮で織った一寸程の厚さの敷物が敷かれてある。そこがいわば、この家の座敷であり、寝床であった。
二人はその一画に来て、横になった。そしてようやく、家の中を見まわすことができた。土間《どま》には幾箇所か炉が切られてある。人々に取り囲まれて見えなかった火の色も見えた。その幾つかの炉の上の梁《はり》には、無数の魚が吊《つ》るされ、いぶられていた。その梁からは、更に幾本かの鎖が吊るされ、鍋が幾つか宙吊りになっていて、天井中央には煙出しの穴が見えた。炉端《ろばた》には、赤子を入れた揺籃《ゆりかご》が置かれ、赤子の泣く声が岩松の胸をしめつけた。
(岩太郎!)
岩松の目尻が光った。
岩松は人々に背を向けて、板壁を見た。厚い板壁だ。およそ一|間《けん》半|毎《ごと》に丸木の柱が立っている。その板壁や柱の隙《すき》に、何かが詰めこまれてあった。それが、苔《こけ》と海藻《かいそう》であると知ったのは、後のことであった。
「広い家やなあ、舵取《かじと》りさん」
「うん」
百五十畳はあると、岩松は見て取った。よく見ると、土間を取り囲んだ涼み台のような縁台には、所々を区切るように、大きな木箱や、行李《こうり》のような籠《かご》が置かれてある。その一区切りがどうやら一組の夫婦の場所らしい。つまり、幾夫婦かがこの家に住んでいるのだ。その箱の中には、毛布や衣類が入っていることも、岩松は程なく知った。一夫婦毎に、各々食糧を確保しているらしく、縁台の上の天井には、食糧を入れた籠が幾つも吊《つ》るされている。
いつの間にか寝入った二人の上に、主人が、杉の皮で織った上着を、そっとかけて行った。二人が着ていた刺し子も、股引《ももひ》きも、既《すで》に主人の貴重な財産として、取り上げられていた。その代わりのこれが着物であった。
岩松と久吉は、その家の中に引き立てられて行った。明るい戸外から、窓一つない家の中にいきなりつれこまれた二人は、しばらくは中の様子がわからなかった。只《ただ》、魚の臭いと、煙の匂いが二人の鼻をついた。もんわりと暖かい空気が、下帯《したおび》ひとつの二人の素肌《すはだ》に快かった。ぬれた刺し子も股引《ももひ》きも、男の一人が素早く取り上げてしまった。
ようやく目が馴《な》れた時、岩松と久吉は、自分たちが大きな家の真ん中に引き据えられ、男や女や子供たちに取り囲まれているのを知った。八|間《けん》に十間ほどに広いこの家は、大きな物置のように只ひと間であった。しかも土間《どま》であった。その土間の真ん中に二人は坐《すわ》らせられたのだ。丸木舟から二本の指を立てて見せた年嵩《としかさ》の男が何か言った。野太い声であった。岩松は頭をかしげて、手を大きく横にふった。と、突然久吉が、
「ああ、のどがかわいた。のどが」
と叫び、両手を合わせて拝み、のどをこすり、大きく口をあけ、舌をひらひらと動かして見せた。そして、水を飲む真似《まね》をして見せた。年嵩《としかさ》の男がうなずき、何か言うと誰かの答える声がした。すぐに二人の前に水を持って来たのは、丸木舟の中で人なつっこい笑みを浮かべた若者であった。
「ありがとうございます」
久吉は水を目よりも高く上げ、伏し拝んでから一気に飲んだ。岩松は黙って飲んだ。島に逃れて以来、二人はのどの渇きに苦しめられていた。
「うまい」
岩松はのどを鳴らして飲んだ。
「うまい」
久吉も喘《あえ》ぐように言った。雨水でも、らんびきの水でもなく、これはまさしく清水であった。木をくりぬいた大きな器に入れられた水は、二人の渇きを癒《いや》した。その二人の様子を、男や女や子供たちが、じっと声もなくみつめていた。
再び年嵩の男が何か言った。が、言葉が通じる筈《はず》もない。久吉は腹をおさえ、ぐいとへこませた。そして物を噛《か》む真似をした。件《くだん》の男が言った。
「カウ・イツ《いも》、チーチ・コ・ウイス(秋鮭)」
間もなく木の皿が運ばれて来た。皿の上には皮つきの茹《ゆ》でた馬鈴薯《ばれいしよ》が数個と、鮭《さけ》の燻《くん》製が幾切れか載っていた。見馴《みな》れぬ馬鈴薯と鮭の燻製をみつめた久吉は、そっと岩松の顔をうかがったが、すぐに、
「いただきますで」
と、燻製に手を伸ばした。生乾きの柔らかい鮭をひと切れ、口に入れるや否や、あまりのうまさに久吉は目を丸くした。が、何も言わずに一気に食った。岩松はゆっくりと冷えた馬鈴薯に手を伸ばした。岩松たちにとって馬鈴薯は生まれて初めてのものであった。が、岩松はさりげなく馬鈴薯を食い始めた。仄《ほの》かな甘みが口の中に広がる。岩松は鮭を食い、そして馬鈴薯を食った。何れも、余りにも美味な食物であった。長いこと米のほかはろくにお菜《さい》を摂らなかった二人にとって、それらは天来の珍味に思われた。
食い終わるのを待って、年嵩《としかさ》の男がまた何か言った。
「ワー・アス・アー・テ・クレイク?(どこからきたのか)」
二人は首をかしげた。男は入り口の方を指さした。
「何と言うてるんやろ、舵取《かじと》りさん」
やや人心地《ひとごこち》ついた顔で、久吉がささやく。
「どこから来たかと聞いているのかな」
再び入り口の方を指さした男に、岩松が答えた。
「日本。日本から来た」
人々がきょとんとした。
「日本」
岩松がくり返した。みんなは顔を見合わせた。岩松は土間に、指で「日本」と書いた。みんながのぞきこみ、がやがやと騒ぎ立てた。岩松はもう一度「日本」と書き、
「日本!」
と言った。誰かが真似《まね》をして、
「ニッポン」
と、言ったが、日本を知る者がいる筈《はず》もない。岩松が逆に尋ねた。
「音吉はどこにいる?」
人々はまた顔を見合わせた。
「音吉、音吉」
岩松は指を三本出し、
「岩松」
と、人指し指を折り、自分の胸を叩《たた》いた。更に、
「久吉」
と指を折り、傍《かたわ》らの久吉の肩に手を置いた。そして、残った指を突き出して、
「音吉、音吉」
と言った。この家の主人らしい年嵩の男が、
「オトキチ」
と答えて、家の一角を指さした。人垣に囲まれて、音吉のいる場所も姿も見えなかったが、岩松はうなずいた。どうやら音吉は生きているらしい。
「音吉は生きていたんやな、舵取《かじと》りさん」
久吉の声が弾んだ。
「そうらしい」
言いながら岩松は、ゆっくりと視線を主人の顔に戻《もど》した。
岩松たちが一年二か月もかかって、ようやく漂着したこの地は、アメリカとカナダが合同で領有していた北アメリカの西部、フラッタリー岬(現アメリカ合衆国ワシントン州最北端)であった。この岬の北方海上には、カナダのバンクーバー島が南北に縦長に横たわっていた。
今、二人を取り巻いている男女たちは、インデアンのマカハ族であった。マカハとは、「海に突き出た地点に住む人々」という意味である。白人たちとは遠く離れたこの辺《あた》りに住むマカハ族たちを、アメリカ人たちは「岬のインデアン」と呼んでいた。そのインデアンの奴隷《どれい》として、今、岩松たちは捕らえられたのである。だが、岩松たちは、自分たちが奴隷として捕らえられたことを知らなかった。いや、それどころか、奴隷という言葉も、存在も知らなかった。岩松たちが辿《たど》りついたオゼット島は、この家の所有地であった。マカハの人々は、自分の所有地に流れ着いた物は、すべて自分の所有とした。高潮によって打ち上げられる海藻《かいそう》も流木も、そして今朝《けさ》打ち上げられた岩松たちも、マカハ族にとってはすべて同じ「物」であった。
当時奴隷は、他のインデアンとの戦いで捕虜にした男や女たちがほとんどであった。稀《まれ》にバンクーバー島から買ってくることもある。が、奴隷を買うには、貴重な毛布を少なくとも二十枚は用意しなければならなかった。それが、戦うこともなく、毛布と交換することもなく、今、この家に突如《とつじよ》として三人の奴隷が与えられたのだ。部落の者たちは、その幸運を羨《うらや》んで入れ替わり立ち替わり見物に来た。なぜ自分の持ち島に、あるいは海岸に、そのうちの一人でも流れ着いてくれなかったのかと、ひどく残念がった。
俄《にわか》に財産の増えた喜びが、この家に満ちていた。その喜びが、物珍しさも手伝って、二人への矢つぎ早の問いとなった。しかし、一語として通ずる言葉はなかった。岩松も久吉も仕方なく黙りこんで、只《ただ》男女の顔を見上げていた。顔から髪にかけて、朱色の顔料を塗った女もいる。赤銅色の額に、黄色い縞目《しまめ》を描いている男もいる。手や足に入れ墨をしている者もいる。男たちは何《ど》れも女のように髪を長くし、うしろで束ねていた。耳輪や腕輪をつけた女たちは、袂《たもと》のない足首もかくれそうな長い服を着ていた。
日本人とは様々にちがってはいるが、体格は似ていた。よちよちと歩いて来て、その柔らかい掌で、岩松と久吉の背中をぴたぴたと叩《たた》く幼な児も愛らしい。岩松は心のうちに安堵《あんど》していた。言葉は通ぜずとも、心は通じそうに思った。のどが渇いたと訴えれば水を飲ませ、腹が空《す》いたと言えば、食物を与えてくれる。それ以上のことを、今、岩松は望まなかった。
だが岩松も久吉も知らなかった。奴隷《どれい》という地位がどんなものか。いかなる待遇《たいぐう》を受けるものか。それらのことを全く知らなかった。この部族は、酋長《しゆうちよう》が死ぬと、その最も気に入られていた奴隷が斬殺《ざんさつ》され、共に埋葬《まいそう》された。また、多くの客人を招いて宴を張る時、時折《ときおり》主人は、何の罪もない奴隷の首を、客人の前に刎《は》ねることがあった。奴隷は財産である。その奴隷を殺すということは、奴隷の一人や二人失っても惜しくはないほどに、財産があるという誇示であった。こんな災難が、いつ自分たちの身の上にふりかかるかを、むろん岩松も久吉も知る筈《はず》はない。
やがて人々は、二人にあれこれ尋ねることに倦《あ》きた。疲労している二人を、眠らせたほうがよいと、この家の主人は判断したようであった。大事な奴隷を、病気にしてはならない。主人は手枕《てまくら》をして、眠る格好をして見せ、入り口に近い一画《いつかく》をさし示した。
家の板壁に沿って、涼み台|程《ほど》の幅の台が、ぐるりと造りつけになっていた。その台の上には、木の皮で織った一寸程の厚さの敷物が敷かれてある。そこがいわば、この家の座敷であり、寝床であった。
二人はその一画に来て、横になった。そしてようやく、家の中を見まわすことができた。土間《どま》には幾箇所か炉が切られてある。人々に取り囲まれて見えなかった火の色も見えた。その幾つかの炉の上の梁《はり》には、無数の魚が吊《つ》るされ、いぶられていた。その梁からは、更に幾本かの鎖が吊るされ、鍋が幾つか宙吊りになっていて、天井中央には煙出しの穴が見えた。炉端《ろばた》には、赤子を入れた揺籃《ゆりかご》が置かれ、赤子の泣く声が岩松の胸をしめつけた。
(岩太郎!)
岩松の目尻が光った。
岩松は人々に背を向けて、板壁を見た。厚い板壁だ。およそ一|間《けん》半|毎《ごと》に丸木の柱が立っている。その板壁や柱の隙《すき》に、何かが詰めこまれてあった。それが、苔《こけ》と海藻《かいそう》であると知ったのは、後のことであった。
「広い家やなあ、舵取《かじと》りさん」
「うん」
百五十畳はあると、岩松は見て取った。よく見ると、土間を取り囲んだ涼み台のような縁台には、所々を区切るように、大きな木箱や、行李《こうり》のような籠《かご》が置かれてある。その一区切りがどうやら一組の夫婦の場所らしい。つまり、幾夫婦かがこの家に住んでいるのだ。その箱の中には、毛布や衣類が入っていることも、岩松は程なく知った。一夫婦毎に、各々食糧を確保しているらしく、縁台の上の天井には、食糧を入れた籠が幾つも吊《つ》るされている。
いつの間にか寝入った二人の上に、主人が、杉の皮で織った上着を、そっとかけて行った。二人が着ていた刺し子も、股引《ももひ》きも、既《すで》に主人の貴重な財産として、取り上げられていた。その代わりのこれが着物であった。