「お茶が入りましたから。」と「お茶が入りましたけど。」とでは、「お茶が入りましたけど。」の方が相手に配慮しているように感じられます。しかし、「あの仕事はどうなりました?」と聞かれたときには、「もう終えましたから。」と答えた方が「もう終えましたけど。」より相手に配慮しているように感じられます。なぜですか?
こたえ
まず、接続語(接続助詞)の「から」について考えてみましょう。「から」と似た意味を示す語に「ので」があります。
努力をしないから達成できない。
努力をしないので達成できない。
これらはいずれも〈原因や理由〉を表わしいると見られますが、前件と後件との関係が〈主観的な判断〉として表現されるのか〈客観的な判断〉として表現されるのかという点に違いがあると考えられます。このことは、
達成できないのは、努力をしないからだ。
*達成できないのは、努力をしないのでだ。
という例を考えればわかるでしょう。「から」は、話者が理由を決めつけている印象を与えます(主観的な判断)。「から」が主観的な判断を示す傾向があることは、次のような例でも明らかでしょう。
若いからできるはずだ。
まだ明るいからいいじゃないか。
安いから買ってくれ。
このような場合、「から」に後続する部分には、(前件との関係で)筆者が当然だと思っている帰結が来るといえます。このため、「お茶が入りましたから。」といった場合にも、「当然、こちらへ飲みに来るべきだ」といった話者の主観的な判断が含まれると解釈できるというわけです(そのため、やや押しつけがましい感じがすることがあります)。
一方、「けど」の基本的な機能は、二つ事柄を結びつけるということです。
若いけど老けて見える。
見た目はいいけど頭は悪い。
のように(内容の上で)逆になる事柄を結びつけることもありますが、
わたしはお腹空いたけど、あなたは何か食べる?
さっき電話があったけど、孝高くんって誰なの?
のように、単に二つの事柄(必然的な関係や論理的な関係ではないが、何らかの関係があると話者が見なしている事柄同士)を結びつけることもあります。このため、「お茶が入りましたけど。」といった場合にも、その後ろに続く事柄にはさまざまな可能性が考えられます(例えば、「コーヒーの方がいいですか?」「お菓子もいりますか?」「お帰りはいつですか?」「この間の約束はどうなりましたか?」などの表現が後続するかもしれません)。そのために聞き手による解釈の余地が大きくなり、聞き手の側からすると、自分の意向を尋ねられているように感じたり、遠回しに誘われている印象を受けることになるのです。
以上をまとめると、
~から。:話者の主観的な判断によって、前件に関連する当然の帰結を示す
~けど。:前件に関連する事柄の存在を示唆して、具体的な判断は聞き手に委ねる
ということになるでしょう。「配慮の表現」ということでは、どのような配慮を示すかによって、それぞれの印象は異なります。「お茶が入りましたから。」/「お茶が入りましたけど。」のように、相手を誘ったり何かを要求するような場合には、「けど」の方が遠慮深く感じられます。逆に、相手の配慮や懸念に答える場合には、「から」の方が相手を安心させることになります。
「あの仕事はどうなりました?」に「もう終えましたから。」/「もう終えましたけど。」と答える場合も、相手の懸念(仕事が順調なのかどうかという心配)を打ち消すという点で、話者の判断を明確に示す「から」の方が相手を安心させることになります。「けど」では、判断を相手に委ねる形になってしまい、反問しているようにも感じられるでしょう。ただし、このことは「お茶が入りましたから。」/「お茶が入りましたけど。」の例文と逆になっているということではなく、ぼかして遠回しに言うほうが丁寧な場面(相手を誘う場合など)と、話者の判断をはっきりと示した方が丁寧な場面(相手の懸念を打ち消す場合など)との違いと理解されるものでしょう。