7 ライバル
「あんたは立派よ」
と、亜由美は言った。 「飼主よりよっぽど偉い。ええ、そうでしょうとも。うちの養子になる? 私が出てきゃいいんでしょ、フン」
「亜由美ったら、よしなよ」
と、聡子が呆《あき》れて、「ドン・ファンにやきもちやいたって仕方ないでしょ」
「誰もやいてなんかいないわよ!」
亜由美がかみつきそうな顔で言うと、ドン・ファンはギョッとした様子で、頭を低くした。
「ほら、殴られるのかと思って、怯《おび》えてる」
「怯えたりするもんですか。格好だけよ」
──ともかく、亜由美はご機嫌斜め。
ドン・ファンが、ゆかりの危いところを救ったというので、すっかり「ヒーロー」になってしまった。
「いや、あの品川ってのも、とんでもない奴だ」
殿永が電話を終えてソファに戻った。
ここは、塚川邸──というとよく分らないかもしれないが、要するに、亜由美の家の居間である。
マスコミ攻勢を避けて、ゆかりと二人の婚約者が、じっくり話のできる場所というので、色々考えた結果、亜由美のところが一番便利だ、ということになったのだった。
居間には、着替えた亜由美と聡子、そして、黒いスーツのままの、殿永と、真田、宇野。──ゆかりは、二階の亜由美の部屋で着替えているところだ。
「まあどうも、ご苦労様」
と、母の清美が紅茶など出してくれる。 「ドン・ファンも、お手柄だったわね」
ドン・ファンを誉《ほ》めると亜由美がむくれると分っている殿永が、あわてて、
「いや、それはやはり飼主の功績です。亜由美さんの勇気と行動力が、ドン・ファンにもうつったんですな」
と、持ち上げた。
いささか見えすいたお世辞ではあったが、亜由美は少し機嫌を直した。要は単純なのかもしれない。
「品川が、八代さんを殺したんですか?」
と、聡子が訊く。
「それはどうかな。それほどの度胸のある男とも思えませんがね」
と、殿永は言った。 「それに、八代を殺すことはできたとしても、映画館で宇野さんを狙ったのは、品川ではないでしょう」
「あ、そうか。じゃ、要するに品川は女ぐせの悪い奴、ってだけなんですね」
「おそらくね」
と、殿永は肯《うなず》いた。
「本当に用心しませんとね」
と、清美が話を聞いていて、言った。 「でも、うちの亜由美みたいに、女ぐせの悪い男からも目をつけられない子もいますけど」
「ちょっと、お母さん!」
と、亜由美は頭に来て言った。
「こちらのお二方が、城之内さんの結婚相手?」
「そうよ」
「じゃ、どちらか余った方の人に、もらっていただいたら?」
「数が合えばいいってもんでもないでしょうが!」
「それに、私は余りますし」
と、聡子が付け加えた。
「ともかく、品川は、充分に絞り上げて、汗をかかせてやりましょう」
と、殿永が言った。
「どこへ逃げたのかしら?」
「プロの犯罪者ってわけじゃありませんからね。すぐに捕まりますよ」
品川はドン・ファンにかみつかれて、逃げ出したきり、まだ見付かっていないのである。
「じゃ、亜由美、獄中でその人と結婚したら?」
と、清美がさらに無茶なことを言い出した。 「よく週刊誌とかに、美談で出てるわ」
「お母さんは、あっちに行ってて」
「あっちもねえ……」
と、清美がため息をついた。 「お父さんがいるのよ」
「いいじゃない、夫婦水入らずで。お邪魔はしませんよ」
「水入りなの」
「何が?」
「お父さん、ダイニングのTVで、アニメを見て泣いてるの」
「そう」
亜由美は少し考えて、 「じゃ、お母さん、お風呂にでも入ったら?」
聡子がわきを向いて、
「親子で似たもんだ」
と、呟《つぶや》いた……。
そこへ、普通の(といっても、少々時代遅れなセンスの)ワンピースのゆかりが入って来た。
「ごめんなさい、お待たせして」
そういえば、三十分近くも着替えにかかったことになる。
「無理もないよ」
と、真田が口を開いた。 「襲われかけたんだから。ショックだったろうね。もう大丈夫。僕が君を命にかえても守ってあげるからね」
聞いていて、聡子がわざとらしく咳《せき》をした。
「いえ……。私、ちょっと、横になってたもんだから」
と、ゆかりは当惑気味に言った。
「貧血でも起こしたの?」
と、亜由美が訊くと、
「そうじゃなくて……。可愛いベッドだから、寝心地はどうなのかしらと思って、横になってみたの。そしたら、ウトウト眠っちゃって……」
どうやら、乱暴されかけたことの「心の傷」は、あまり深くは残っていないようだった。
「品川は何か言いましたか。たとえば、八代さんが殺されたことについて、とか」
「いいえ。ただ、自分の方が八代さんよりずっといい男だと信じているようでしたわ。きっと凄《すご》く目が悪いんじゃないでしょうか、あの人」
と、ゆかりはのんびりと言った。
「──さて」
殿永はポンと膝を一つ叩《たた》いて、「問題は、八代殺し、そして映画館での傷害事件、真田さんのポルシェのブレーキに細工がしてあった事件。この三つは果して同一犯人か? そして原因は、城之内ゆかりさんが三人の男性と婚約してしまったことにあるのか、ということです」
「車のブレーキは、やっぱり誰かの細工だったんですか」
と、亜由美が訊いた。
「それが、焼け方がひどくて、どっちとも断定できないんです。しかし、故意に壊してあったという可能性は否定できません」
──その他にも、真田がゆかりを結婚後に殺そうとしているという匿名の投書があったわけだ。もちろん、そのことは、真田も知らない。
「──でも、元はといえば、私がいけなかったんですね」
と、ゆかりが、さすがに多少責任を感じている様子。「でも、三人ともいい人で……。お断りするのが気の毒だったんですもの」
「いや、君が悪いんじゃない!」
と、真田がここぞとばかり、声をはり上げた。 「そうだとも、君はただ、やさしすぎただけだ。君が自分を責める必要はないんだよ」
全く、その必要がないかどうか、亜由美には少々疑問に思えたが、ともかくゆかりの方は心を打たれた様子で、
「ありがとう……。真田さんの言葉で、私、救われたような気がするわ」
と、涙を拭《ぬぐ》った。
「何も心配することなんかないんだよ」
と、真田はやや自己陶酔気味に、続けた。 「これからは僕が君のことを守ってあげる。ずっと、一生ね。君はただ黙って、僕について来ればいい」
亜由美は、そっと聡子と目を見交わした。──真田は、ゆかりが自分と結婚すると信じ込んでいる様子だ。それに対して、宇野の方は、といえば……。
真田の言葉が耳に入っていないかのように、じっと身じろぎもせず、ソファに座っていた。目はテーブルの上の一点を見つめて、動かず、表情はどこか暗い。──いや、 「暗い」のはもともとだったが、亜由美の目には、どことなく、前の宇野とは違っているように感じられた。
真田は、ちょっと咳払いをすると、隣の宇野の方へと体を向けて、
「宇野君、でしたね。──いや、君も心からゆかりさんを愛しているに違いない。しかし、今聞いた通り、ゆかりさんは僕と結婚することになっているんです。誠に申し訳ないことですが──」
真田が言葉を切ったのは、宇野が笑ったからだった。──確かに、それは思いもかけないことだった。
「真田さん」
と、宇野は真《まつ》直《す》ぐに真田を見つめて、言った。
「ゆかりさんがいつ、あなたと結婚する、と言いました?」
「何だって?」
「今は、あなたも僕も、ゆかりさんの婚約者です。対等の立場だ。その選択をゆかりさんに迫るのは気の毒です。ここは、僕とあなたの間で、結着をつけるしかないんじゃありませんか」
亜由美たちは──ゆかりも含めて──唖《あ》然《ぜん》としていた。
あの、 「落ち込み人間」の宇野が、まるで別人のように、しっかりした口調で、真田に対して、挑みかかるような口をきいているのである。
「──結着をつける、というと?」
と、やっと立ち直った真田が言った。
「もちろん、僕とあなたのどっちが、ゆかりさんを、より深く愛しているか、ということになるでしょう」
「そんなことを、どうやって決めようというんだ?」
と、真田が戸惑い顔で言った。
「ゆかりさんに乱暴しようとした男がいたんですよ。その男に対して、何も感じないんですか」
「何も、って……。決ってるじゃないか! 頭に来てるさ」
「それなら、二人で競争しましょう」
「何を?」
宇野は、唇に薄く笑いさえ浮かべて、言った。
「二人のどっちが、先に、品川を殺すか、です」
「何だって?」
「あなたが、そんなことはできないとおっしゃるのなら、結構。別に、無理にとは言いません。僕一人でやります。──ゆかりさんはそんなことを望んでおられないかもしれない。しかし、僕の心が、それを許しません。その男を殺さずにはいられないんです」
宇野はパッと立ち上がった。
「待って──」
ゆかりは、さすがに焦っていた。 「宇野さん、そんなことを……」
「これは僕自身の問題なんです」
と、宇野は言った。 「失礼します。今度お会いするときは、品川の命を、この手で奪っているでしょう」
「待て!」
聞いていた真田が、真赤になって立ち上がると、 「僕だって──品川への怒りは、君以上だ」
「じゃ、やりますか?」
「当り前だ!」
「どっちが先に品川を殺すか」
「よし! 受けて立とう」
二人の男の視線が火花を散らした、と思うと──アッという間に二人とも出て行ってしまったのだ。
居間の中は、しばし沈黙した。
「──参った」
と、殿永が、やっと言った。 「何てことだ! あまりびっくりして……」
「今、私、夢見てたんじゃない?」
と、ゆかりが言った。
「呆れたもんね」
亜由美は首を振って、 「人を殺すのが、愛の証し? あの二人、決闘でもやらかすかもしれないわよ」
「でも、まさか──」
と、聡子が言った。 「本当に、品川を殺したりしないでしょう?」
「もし、やったら大変だ」
と、殿永があわてて立ち上がった。 「電話を借ります。──何て厄介な婚約者だ!」
「ワン」
ドン・ファンが、同感の意を表すように、鳴いた。