「——どうだ?」
と、梅川が声をかける。
「まだ、それらしいものは出ません」
下の方から声がした。
「ずいぶん深く埋《う》めたもんだな」
羽佐間が呆《あき》れたように言った。
——よく晴れ上った、静かな午後である。
今、問題のカプセルが取り出されようとしている。掘っているのは、梅川の部下の若い者たちである。
もう、かなりの深さの穴ができていて、まだ、掘り続けられていた。
穴の周囲は、羽佐間を始め、ホテルに泊っていた元同級生たちが、ぐるりと囲んで、タイム・カプセルが出て来るのを待っていた……。
「ドキドキするわね」
と、倫子は言った。
「うん……」
朝也は、何となく元気がない。
「——どうしたの? 寝不足?」
「いや、そんなことないけど……」
と、はっきりしない。
「何なのよ?」
「ちょっと——」
と、朝也は、倫子を促して、他の人たちから離れた。
「どうしたの、一体?」
「君のお父さん、きっと中に何があるか知ってるんじゃないかな」
「ええ?」
「だって、高津智子が殺されたことと、あのタイム・カプセルをつなぐものなんて、何もないんだぜ。そうだろう?」
言われてみればその通りだ。
「つまり、どういうこと?」
「うん……。僕もよくは分らないんだけど——」
と、朝也が言いかけたとき、
「あったぞ!」
と、声が上った。
一《いつ》斉《せい》に歓声が上る。倫子たちも、急いで駆け戻《もど》った。
大きな木箱が、土の下から少しずつ姿を現わした。
「よし! 完全に出て来るまで掘れ!」
梅川の声も、いつになく上ずっているようだ。
後は簡単だった。全体の姿を見せた木箱の下へロープをくぐらせ、引き上げる。
十人近い警官がかかっているのだ。いとも楽々と上って来た。
箱は、そのまま地面に敷《し》かれた大きなビニールの上に置かれた。
「そう腐《くさ》ってないじゃないか」
「この分なら中も大丈夫かな」
といった声が飛ぶ。
「さあ、開けよう」
と羽佐間が明るい声で言った。「我々の三十年前の青春だ。——梅川さん。あなたが開けて下さい」
「いやいや、これはあなたの仕事だ」
と梅川は譲《ゆず》った。
「そうですか。では——」
羽佐間が、箱の方へかがみ込む。——一《いつ》瞬《しゆん》、倫子は、この中に、高津智子の死体が入っているんじゃないか、という、とんでもない思いに捉《とら》えられた。
箱の蓋《ふた》が開いた。——中からは、ボロボロになった本やノート、体操着、といったものが出て来る。
「——これは俺《おれ》のだ!」
「おい、その竹細工! 俺が作って入れたんだ! 懐《なつか》しいなあ!」
次々に声が上り、一つ一つの品物が、並べられて行く。
倫子は、息を呑《の》んで、その様子を見つめていた。もちろん、朝也も、である。
「ひどいものもあるな」
と、羽佐間が言った。「しかし、大体は、何とか原形を留《とど》めてる」
——しばらく、時間が過ぎるのが、遅《おそ》いように感じられた。
「——他《ほか》には?」
と、梅川が訊《き》く。
「あと少しですね」
羽佐間が、さらにいくつかの品物を取り出した。「——これで全部だ」
「全部?」
倫子が思わず言った。「おかしいじゃないの、だって——」
「全部だよ。これで終りだ」
羽佐間は首を振った。「結局、ここには、何も手がかりなんか、隠されていなかったんだな」
倫子は呆《ぼう》然《ぜん》としていた。肩すかしもいいところだ。
でも、おかしい。それならなぜ、人が死んだりしたのか?
あれは単なる偶《ぐう》然《ぜん》だったのだろうか? でも、そんなことが……。
「そんなはずはない」
と、静かな口《く》調《ちよう》で言ったのは、梅川だった。
「というと?」
羽佐間が梅川を見た。「先生も何か入れたんですか?」
梅川は、ちょっと羽佐間を見て、
「その通り」
と言った。「高津先生を刺したナイフを、ね」
徐々に、周囲が静かになった。やがて、完全な沈《ちん》黙《もく》。
「——あなたが高津先生を?」
と、羽佐間が訊《き》く。
「その通り。——私と彼女は、この学校へ来る前に、一時期同《どう》棲《せい》していたことがあったのです」
では、光江の父親というのは……。梅川だったのかもしれない。
「突然、彼女は私の前から姿を消してしまった。そして、この学校へ来て、私は彼女にめぐり合ったんです。——私の恋心は再び燃え上って……しかし、彼女はそれを受けてはくれなかった」
梅川は息をついた。「私はてっきり、彼女が滝田と愛し合っているのだと思って、激しく妬《ねた》みました。あの日、石山に会いに行く前に、私は教室へ行って、彼女を刺し、準備してあった、このカプセルにナイフを入れたのです」
羽佐間は言った。
「どうしてそのことを話したんです? ナイフがなければ、何の証拠もないのに」
梅川は、ちょっと笑って、
「スッキリさせたかったんだな。今日、ナイフが出て来れば、否定しようもありませんからね」
「ナイフはなかったんですよ」
「いや、却《かえ》って決心がついたんです。黙っていてはいけない。告白するべきだ、とね。——色々心配をかけて申し訳ない」
梅川は、穏やかに言った。
羽佐間は、肯《うなず》いた。
「それでこそ梅川先生ですよ」
「昔のことです」
「いや、今でもあなたは梅川先生だ」
と、羽佐間は言った。「とっくに殺人は時効ですよ」
「いや、人の心に時効はありません」
と、梅川は言って、「羽佐間さん、本当にナイフはその中に——」
「ありませんでした」
と、羽佐間は言った。
「——どうなってるの?」
と、倫子は父に言った。
もう、ホテルへ戻《もど》っていた。サロンには、梅川も同席していた。
「これはお詫《わ》びしなきゃならんのだが」
と、羽佐間は言った。「このホテルを建てるとき、私はこっそりと、あのタイム・カプセルを、掘り出してみたのです」
「ええ? じゃ、もう中身を——」
「知っていた。その中には、これがあったし……」
羽佐間が、ポケットから、布にくるんだものを取り出した。
「それは、ナイフでしょう」
と、梅川が言った。
「そうです。ナイフの持主は、頭文字で分った。これを、私は取っておいたんです」
「なぜです?」
と、梅川が訊《き》く。
「あなたが、どうなさるのかな、と思って。——ナイフが出て来なくても、きっと、ああして、告白されるだろう、と思いましたよ。そう期待をしていましたね」
梅川は、穏やかに微《ほほ》笑《え》んだ。
「ありがとう。——そう言って下さると、気が楽です」
「あなたが、警官になったのは……」
「罪滅ぼしの意味もありました」
と、梅川は肯いた。「せめて、少しは罪を償《つぐな》おうと。——もう一つ、私は、凶《きよう》器《き》の隠し場所に困って、あのカプセルに入れてしまったのですが、考えてみれば、安全な所とはいえない。三十年たてば開かれるわけです。そのとき、どうしても、そこに立ち会っていたかった」
「途中で掘り出せなかったんですか?」
「一人ではとても……。あなたはどうやって?」
「私は工事の人間を使ったんです」
「なるほど。——私は三十年、待つしかなかった。過ぎてしまえば早いものですよ」
「でも——石山さんを殺したのは誰なの?」
と、倫子が言った。
「さっき連絡がありました」
と、梅川が言った。「娘の秀代が、自首して来たそうです」
「じゃ、秀代さん——実の娘が?」
と、倫子は目を見開いた。
「それは私の責任でもあるんだ」
と、羽佐間が言った。「このナイフが出て来たことを、石山に知られてしまった。このホテルの工事をするとき、石山に頼まれて、私はカプセルを掘り出す仕事を任せてやったのだよ」
「石山は、私をゆすろうとして来たんです」
と、梅川は言った。「秀代さんは、父親を憎んでいたようだ。もともとだらしのない男だったんでしょう。——しかし、脅迫などということだけはやめさせたかった。争っていて、つい刺してしまった……」
「滝田も秀代さんが?」
「石山が、滝田を仲間に入れたんだ。むしろ、石山が滝田にしゃべり、滝田がゆすりを計画したんじゃないかな。——秀代としては、滝田の方も許せなかったわけだ」
「中山久仁子は?」
「石山の愛人だったようだ。もちろん、まともな女じゃない。ピアニストくずれで、滝田ともうまくやっていたらしい。石山が殺されたので、用心のために拳《けん》銃《じゆう》を買い込んで持っていたんだな」
「秀代さんは、滝田を見張っていて、殺す機会を狙《ねら》っていたのね」
「秀代は、中山久仁子がここにいるのを知って、危険を感じて、自分から身を隠したんだ」
「そうだったの」
と、倫子は肯《うなず》いた。「でも——梅川さんは、これからどうなさるんですか」
「いくら時効とはいえ、署長はやっておられませんな」
と、梅川は笑って言った。
「一つ分らないことがあるんだけど」
と、倫子は言った。
「あのタイム・カプセルの案内状を、当時の同級生の人たちに出したのは誰《だれ》なの?」
「私だよ」
と、羽佐間が言った。
「だってお父さん——」
「私は『やらない』とは言ってない。すぐに分ってはPRとしても面白くあるまい」
羽佐間は涼しい顔で言った。
倫子と朝也は、庭へ出た。
「——これで終った、か」
と、朝也が伸びをした。
「ねえ、あの絵を切り裂いたのは誰なのかしら?」
「たぶん——光江さんじゃないかな」
「お母さん?」
「うん。だって、ほら、絵を見られて、よく似てるってことに気付く人がいるかもしれないじゃないか。君でさえ気付いたんだから」
「そうか」
と肯《うなず》いてから、「——君でさえ、って、それどういう意味よ!」
と、かみつくように言った。
「いや、別に——」
「詳しく説明してもらおうじゃないの!」
倫子は、朝也を林の方へ引っ張って行ったが……。その後、二人の言い争いの声は聞こえなかった。
二人は何をしていたのだろう?——そこはご想像にお任せしておこう。
本書は昭和60年8月25日カドカワノベルズとして刊行されたものを文庫化したものです