「——なかなかだったじゃない」
と、神田聡子が言った。
「うん。感動的だった」
と、亜由美が素直に肯《うなず》く。「やっぱりいいわねえ結婚式って」
「違うわよ、あのお婿《むこ》さん。結構見られる顔だし」
「何言ってんの」
と、亜由美がにらむと、足下で、
「ワン」
とドン・ファンが笑った[#「笑った」に傍点]。
「いや、立派なものでしたな」
と、殿永が二人の後から出て来て、「私も若いころを思い出した」
「あ、殿永さんにも若いころがあったんですね」
と、聡子が言った。
「失礼よ、聡子。殿永さんだって、若いころも、細い[#「細い」に傍点]ころもあったのよ。ねえ?」
「どっちが失礼よ」
とやり合っていると、式場の係の人が、
「恐れ入ります。後がつかえておりますので、お早めに披露宴会場のほうへ移動して下さい!」
と、叫んでいる。
「大混雑ね」
「大儲《おおもう》けだ」
と、聡子が現実的な感想を述べる。「ね、写真、とるんだよね」
——キリスト教式の式場で、久井隆と小夜子の結婚式が終ったところである。
この後は披露宴。その間に、記念撮影があるはずだった。
「写真室が大変混み合っておりますので、順番が来しだい、アナウンスいたします」
と、係の人が大声で言っていた。
廊下を、何組もの花婿花嫁がすれ違うという、信じがたい盛況ぶり。
「あ、前田先輩」
と、聡子が言った。
ウェディングドレスに、頬《ほお》を上気させた小夜子がやって来た。
「塚川さん、どうだった?」
「感動的でした」
と、亜由美は言った。
「そう? 二人の足どりが合わなくて。リハーサルの時間がないんだものね」
と、小夜子は笑って、「二人とも、時間あるんでしょ? 全部終ってから、ゆっくりお茶でも飲みましょうよ」
「はい。旦那《だんな》様をじっくり拝見します」
「いくらでも、見てちょうだい」
と、小夜子は楽しげに言った。「あ、お父さん」
「おい、今スタジオが空いてるから、新郎新婦の写真だけ先にとってくれ、と言って来た。久井君の方は呼びにやったぞ」
「そう。じゃ、行くわ。——塚川さんたちも見に来る?」
「はい!」
いやと言うわけがない二人である。ついでに、
「ワン」
と、足下でドン・ファンも同行する旨を告げた。
「じゃ、行きましょう」
小夜子を先頭にゾロゾロと廊下を歩いて行くと——あっちから、同じようなウェディングドレスの花嫁がやって来る。
もちろん、あちらも後ろに何人も連れているのだが……。すれ違うのには一応充分な幅があるが、それでも花嫁同士、何となく互いに会釈を交わして行く。
そして、小夜子は真直ぐに顔を上げ、ドレスの裾《すそ》を少しつまんで、歩いて行ったのだが——。
小夜子がピタリと足を止める。後を歩いていた亜由美たちは、危うく追突しそうになった。
「前田さん、どうしたんですか?」
と、聡子が訊《き》いたが、
「そんなこと……」
と、呟《つぶや》きながら、ゆっくりと振り向いた小夜子には、聡子の声など全く聞こえていない。小夜子の目は、今すれ違って行った人々の方を向いていて、その顔からは血の気がひいていた。
「——おい、小夜子、どうしたんだ」
と、父親に言われて、小夜子はやっと我に返った様子。
「あ……。何でもないの。何でも……」
と言いつつ、小夜子は歩き出したが、亜由美は、ドレスの裾をつまんだ手が、細かく震えているのを見てとっていた。
——スタジオでは、久井が待っていて、
「さ、急いでくれってさ。全く、一生一度のことなのにね」
「すみませんね」
と、カメラマンが恐縮している。「何しろ今日は特別で。でも、腕によりをかけてとりますから」
「頼みますよ」
と、久井は笑った。「——どうした? 青い顔してるよ」
「何でもないの。大丈夫」
と、小夜子は首を振った。「私でも、少しは緊張するのよ」
二人が並んでの写真。
亜由美たちは、邪魔しないように、スタジオの隅の方に立って眺めていた。
「きれいね」
と、聡子が呟く。「いい男だ」
でも——亜由美には、さっきの小夜子の驚きようが、気になっていた。あれは普通にびっくりしたというのとはわけが違う。
一体何があったのだろう?
——写真を無事にとって、
「じゃ、お二人はそれぞれ控室でお休み下さい」
と係の男が言った。「披露宴まで、少し間がございます。それと全体写真もありますので」
小夜子は、久井へ、
「じゃ、後で」
と、声をかけた。
「何か食べといた方がいいんじゃないか? パーティじゃ食べられないよ」
「大丈夫。胸が一杯よ」
と、小夜子は笑顔を見せた。
そして、急に亜由美のほうへやって来ると、
「塚川さん、聞いて」
と、小さな声で早口に、「控室へ来てほしいの。一緒に来た方、刑事さんですって?」
「そうです」
「じゃ、お二人で。他の人には内緒よ!」
何とも答える間もない内、小夜子は両親と何やら話しに行ってしまった。
「どうしたの?」
と、聡子がやって来たが、
「何でもない」
と、亜由美は首を振った。
私と殿永さんだけで?——亜由美はまた、何か起りそうな気がして、足下のドン・ファンを見下ろした。
「クゥーン」
ドン・ファンは亜由美の顔を見て、鳴いた。
「分ってるわよ。あんたはお腹が空いてるんでしょ」
と、亜由美は言ってやった……。
「馬鹿なことをしました」
と、小夜子は言った。「もう遅いけど、もう二度とお酒なんか飲まないわ」
——花嫁の控室。
亜由美と殿永は、頼まれた通りここへやって来た。ただし、オブザーバー(?)として、亜由美の足下には「茶色い用心棒」ドン・ファンがうずくまっている。
それにしても——まさか、こんな告白を聞かされようとは思わなかった。
「とんだことでしたな」
と、殿永が言った。「まあ確かに感心したことでもない。しかし、それはあなたご自身の問題でしょう。我々は決して口外しませんが……」
「お願いします。塚川さんもお願いね」
「もちろん!」
亜由美とて、しゃべっていいこと、悪いことの区別はつく。
「——それだけじゃないのです」
と、小夜子は続けた。「お二人に来ていただいたのは、これまでにも、塚川さんが色々事件に係わり合って来た、と聞いていたからで——」
「係わったどころじゃありません」
と、殿永が言った。「留置場へ入るわ、犯人と格闘するわ、大変なんです、この人が出て来ると」
「ちょっと! それはないんじゃありませんか? 私がまるで大変な不良みたいでしょ、それじゃ」
「いや、別にそういう意味では——」
「でも、そう聞こえました!」
「待って」
と、小夜子は笑って、「——仲がいいのね、お二人」
「ワン」
「変なとこで鳴くな」
と、亜由美が足でちょいとつつく。
「——実は、とんでもないことがあって」
小夜子が真顔になった。「その——同じベッドで死んでいた老人と、さっき出会ったんです」
「え?」
亜由美が目を丸くする。
「死んだのは、実業家として有名な人だそうです。内山広三郎[#「内山広三郎」に傍点]といいました」
「誰ですって?」
今度は殿永が仰天する。「内山広三郎? 確かですか?」
「そうです。その人の屋敷で目を覚まし、息子さん、娘さんともお会いしたんですから。——さっきお話しした通り、どっちも沈黙を守るという条件で、何もなかったことにしたんですけど……。今、廊下ですれ違った花嫁さん、あの後ろについていた人たちの中に、確かにあの老人がいたんです」
「間違いありませんか」
「はい。今思い出すと、あのとき会った息子さんと娘さんも、あの中にいました。いくら似た人がいたとしても、三人もなんて、あり得ないでしょう?」
「それは……、でも、前田さん」
と、亜由美は言った。「もしかすると、死んでたんじゃなくて、一時的な発作だったとか? 後で意識を取り戻したのかもしれないじゃありませんか」
「ええ……。そうかもしれない。でも——あのときのあの老人の様子……。とても生きてたとは思えないわ」
と、小夜子は言った。
「確かに妙ですな」
と、殿永が言った。「——万一、死んでいなかったとしても、昨日の今日。こんな席に出られるほど回復していたとは、とても思えない」
「じゃ、殿永さん——」
「待って下さい」
と、殿永は亜由美に言って、「前田さん。死んでいるのを発見した男というのは?」
「ええ……。確か秘書だとか言ったと思います」
「その男もここにいたと?」
「それは分りません。寝室は暗かったし、その人の顔はよく見ていないんです」
と、小夜子は首を振った。
「その男は『救急車を呼ぶ』と言ったんですね?」
「ええ。——でも、そうだわ。救急車が来た様子はありませんでした」
「しかし、電話をしていた、と……」
「でも、どこへかけていたかは分りません。すっかり震え上っていて……」
「そりゃそうでしょうね」
と、亜由美は肯いた。
殿永が考え込んでいる。——小夜子は言った。
「私、今心配なのは、あのことが隆さんに知れることなんです。その心配さえなければ、別にあの人がどうなっていても、構わないんですけど」
「お気持はよく分ります」
と、殿永は静かに言った。「しかし、お話を伺ってると、いささかきなくさいものを感じますね。——まあ、何でもなければ幸い。もし、何かあっても、できる限り、あなたのプライバシーは守ります」
「お願いします」
と、小夜子は頭を下げた。
「前田さん、元気出して下さい。これから楽しい披露宴ですよ」
「そうね……」
と、小夜子はやっと微笑を浮かべたのだった……。
——亜由美たちは廊下へ出て、ソファを置いたちょっとしたコーナーへ行って腰をおろした。
「どう思います?」
と、亜由美は言った。
「ワン」
と、殿永は言った——いや、ドン・ファンが鳴いたのだった!
「いや、結婚直前に、大したことを! そっちの方にびっくりしてしまいますよ」
と、殿永はハンカチを出して、汗を拭《ふ》いた。
「茶化さないで答えて下さい」
「もちろん、あの女性の思い過しなら結構。しかし、あの話しぶりでは、かなり信用してもいいと思いましたね」
「しっかりした人です。確かに、酔うとわけが分らなくなることもあるんですが」
「目を覚ましたときは酔っていなかったでしょうしね。——そうなると問題です。確かに私も今日、内山広三郎を見ている。しかし、本当に死んでしまったのだとしたら、今日この式場にいる内山広三郎は偽者ということです」
「偽者?」
「何かの理由で、そっくりな人間を雇い、内山広三郎として、ここへ出席させている、ということです。そうなると、理由は何か、ということになる」
「でも、色々知ってる人が大勢集まってるわけでしょ? 偽者なら、すぐ分っちゃうんじゃありません?」
「そこは、周囲がうまくカバーしているんでしょう。ところが、ここに、内山広三郎が死んだと知っている[#「知っている」に傍点]人間が居合せた」
「前田さんが……」
「前田小夜子という名前も、顔も知っている。——向う[#「向う」に傍点]も前田さんに気付いたかもしれませんね」
「そうですね。よく見とけば良かったけど」
「まあ、特別犯罪の匂《にお》いがするというわけでもないが、用心に越したことはありませんからね」
「どうします?」
「私が、見張っていましょう。もちろん、あの花嫁さんにピッタリくっついているわけにはいきませんが、このソファから、廊下と控室も見通せる」
振り返った亜由美は、殿永がちゃんとそれを考えてソファを選んでいるのを知った。
「さすがにプロですね」
「持ち上げんで下さい。まあ、披露宴が始まってしまえば、人目もある。大丈夫でしょうがね」
「前田さんに言って、殿永さんの分の席もちゃんと用意してありますから」
「どうも。——今日の食費が助かります」
殿永は至って現実的な感想を述べたのだった……。