「何でこんな所で待ち合せたわけ?」
と、神田聡子が文句を言った。
「私が決めたんじゃないわ」
と、言い返したのは、もちろん本編のヒロインたる塚川亜由美である。「向うが、ここ、と言って来たんだもん。仕方ないでしょ」
「それにしたって……。不愉快だ」
と、聡子はむくれている。
「そうね。当てつけがましいわ」
「本当よ」
——何が当てつけなのか、というと、今二人が突っ立っているのは、Nデパートの家具売場。
秋の結婚シーズンを控えて、デパートでは、「婚礼家具大バーゲン」をやっていたのである。
安かろう悪かろうではなく、いい品が安くなるという評判のせいもあってか、タンスだの三面鏡だのといったクラシックな家具から、モダンなシステムキッチンまでズラッと並んだ売場は、仲の良さそうなカップルで一杯。
女子大生の二人、亜由美と聡子としては、別にまだ「お呼びじゃない」世界なのだが、それでも「恋人」の一人や二人いてもおかしくない年ごろ。
それが、どっちも「一人もいない」というわけで、
「何も焦るこたない」
「そうだそうだ」
と、いつも言いつつ、
「目のない奴《やつ》ばっかり」
「本当!」
とも言い合っているのである。
それにしても——こんな風に家具を選びに来てるくらいだから、もう「売約済」のカップルばかりなのだろうが、それ故にか、ただの「恋人同士」とはどこか違った落ちつきが感じられる。
「——ね、亜由美」
「なに?」
「いい男、いた?」
「いない」
ちゃんと見てはいるのである。
「ま、好き好きよね、男も」
と、亜由美は言って……。「あの二人、なかなか」
「どれ?——あ、本当だ」
珍しく二人の意見は一致した。
スーツ姿の男性、明るい色のワンピースの女性。どっちも二十六、七というところだろうか。
「——この戸棚、すてきね」
と、女の方が言った。
「寸法、入るかな?」
「見てみるわ」
女のほうが、ちゃんと巻尺を持って来ている。
大きさを測って、
「——寝室には無理かも。でも、これなら、どこにでも置けるわ」
「じゃ、候補だな」
と、男が肯《うなず》いた。「他も見てから決めよう」
「ええ」
と、女が肯く。
すると、館内アナウンスが流れた。
「K区からおこしの、三上公平様。お電話が入っておりますので、お近くの電話口までおいで下さい」
その男女が顔を見合せる。
「——今、三上って言った?」
「三上公平って。——そう聞こえた」
「何だろう? ここへ来るなんて、誰にも言ってないのに」
と、首をかしげて、「ちょっと待っててくれ」
「ええ、この辺にいるわ」
——何だか年齢の割に、落ちついた女性だな、と亜由美は思った。
両手を後ろに組んで、少し大きめのバッグを揺らしながら、並んだ洋服ダンスの間を歩いて行く……。
ポロン、ポロン、と、また館内アナウンスの呼出し音がして、
「S市よりおこしの、片瀬幸子様」
その女が、びっくりしたように、足を止め、何となく宙へ目をやる。
二人とも?——確かに、珍しいことだろう。
「丸山徹男様が一階正面入口でお待ちです」
亜由美は、その女がアナウンスを聞いてサッと青ざめるのを見た。
「——危い!」
と、亜由美は叫んでいた。
そのワンピースの女性が、フワッと床に倒れてしまったのだ。
亜由美は、ほとんど無意識に、その女性へと駆け寄っていた。
「どこにいても、あんたはそうなのね」
と言ったのは、塚川清美。
おなじみの、亜由美の母である。
「どういう意味よ、それ」
と、娘のほうは不服げに眉《まゆ》を寄せる。
「よしなさい、そんな顔。しわがふえるわ」
「人の顔のことは放っといて」
母と娘が仲良く(?)やり合っているのは、デパートの、いわば裏側[#「裏側」に傍点]。医務室の前である。
「——どうなった?」
と、神田聡子がやって来る。
「あ、聡子。あの男の人は?」
「うん、今、呼んでもらって、こっちへ来るって」
「本当にすみませんねえ」
と、清美が言った。「うちの子がこんな風だから、神田さんも縁遠くて」
聡子としては、亜由美の手前もあり、「そうですね」とも言えないので、
「いえ……まあ……その……」
と、わけの分らないことを言っておいた。
「でも、どうして急に倒れたの?」
「知らないわよ。アナウンスを聞いたとたん、青くなってひっくり返っちゃったの」
「へえ」
と、清美が肯いて、「館内アナウンス恐怖症かしら」
「そんなの聞いたことない」
「私もよ」
あまり実りのないやりとりを続けていると、さっきの連れの男性が足早にやって来た。
「あの——申しわけありませんが——」
「三上さんですね。片瀬さん、その中です」
と、亜由美が言った。「気を失って。でも、もう大丈夫だそうですから」
「そうですか」
と、息をついて、「いや、お手数かけて、すみませんでした」
「いいえ。よくある立ちくらみじゃないですか」
とは言ったが、亜由美自身、そう信じているわけではない。
ともかく、三上公平が医務室へ入ると、別に必然性はなかったのだが、亜由美たちもそれについて中へ入ったのだった。
片瀬幸子は、診察用の固いベッドに腰をかけて、少しまだ青白い顔をしていたが、三上公平を見ると、少し微笑《ほほえ》んで見せた。
「大丈夫かい!」
「ごめんなさい……。ちょっと——」
と、首を振って、「きっと悪い夢でも見たんだわ」
「何があったんだ?」
三上が、幸子の手をとる。
「呼出しが……。あなた、電話は誰から?」
「それが妙なんだ」
と、三上は首を振って、「出てみると、すぐ切れちゃったんだよ。何も言わずに」
「それじゃ、誰からか、分らなかったの?」
「そうなんだ。呼出しって……。君も?」
「本当にあったのか。それとも聞こえるような気がしただけなのか。自分でもよく分らないの」
と、幸子が言うと、
「あの——すみません。口出しして」
と、亜由美は言った。「私たちも、聞いてました。確かに呼出しはしてましたよ」
「本当ですか」
と、幸子は亜由美を見て、「じゃあ……聞かれました? 待っていると言った人の名前も」
「ええ。でも——一回聞いただけじゃ。ね、聡子」
「何とか……てつ……てつお?」
「丸山徹男[#「丸山徹男」に傍点]ですか」
「あ、そう。そんな名前でしたね」
と、亜由美は言って、「どうして、その名前を聞いて気を失ったんですか?」
「馬鹿な!」
と、三上が突然激しい口調で言った。「誰の悪ふざけだ!」
「公平さん」
と、幸子が三上の肩に手をかける。「きっと、あの人が私の結婚を知って怒ってるんだわ」
「馬鹿なこと言うなよ」
と、三上は幸子の手をギュッと握りしめた。「君は生きてる! 彼は死んだんだ。それは間違いないことだ」
「でも、それならどうして私を呼び出したりしたの?」
——何となく、第三者がいてはうまくないような雰囲気だったが、亜由美の性格からして、放って行ってしまうわけにもいかなかった。
「あの……。失礼ですが」
と、やや[#「やや」に傍点]遠慮がちに声をかける。
「あ、どうも。——お手数かけてすみません。お礼を申し上げなくて」
「そんなこといいんです。今、『死んだ』とおっしゃいました?」
三上が、ちょっと咳《せき》払いして、
「申しわけないんですが、これはプライベートなことでして」
「あら、公平さん。助けて下さった方に、そんなこと言っちゃいけないわ」
「そうですよ」
と、突然口を出したのは、清美である。「人は助けを必要とするときには、堂々と助けてもらえばいいんです」
「あの——母ですの」
と、亜由美はあわてて紹介した。「よかったら話して下さい。その——丸山徹男って人は——」
「誰が彼女を呼び出したか知らないが、丸山徹男でないことは確かですよ」
と、三上が言った。「丸山徹男はもう七年も前に死んだんですから」
「私、その人と心中したんです」
と、幸子が言った。「でも、私だけは助かって……。それからずっと男の人を避けて来ました」
「もう忘れたと思ったのに」
「ごめんなさい。——もちろん、私の気持は変らないわ」
と、幸子は、三上の手をそっと握り返した。
「私、現実主義者ですの」
と、亜由美は言った。「聡子。一階正面入口へ行って、誰がアナウンスを頼んだか、調べてみよう」
「ほい来た」
二人がタッタッと出て行くと、清美がため息をついて、
「娘は、この手[#「この手」に傍点]のことが大好きなんですの。何かお役に立つようでしたら、使ってやって下さい。きっと喜びますわ」
と、言ってから、「——いい相手とお見合させるよりは、殺人犯と会う方が面白い、という子ですから」
ハクション! 廊下から亜由美の派手なクシャミが聞こえて来た。
「——面白い人たちだったわね」
と、幸子が言った。
「ああ。お節介という言い方もあるけどね」
「そんな言い方しちゃ失礼だわ」
「分ってる」
夜道を歩く二人は、何となく黙りがちだった。——もちろん昼間の出来事が影を落としているのだ。
「しかし、あの二人が調べてくれたじゃないか。アナウンスを頼んだのは、ちゃんと足もある人間[#「人間」に傍点]だったんだ。幽霊なんかじゃなくてね」
と、三上公平は言った。「大方、君のことで、やきもちをやいてる奴がいるんだよ。君に恋してる男は何人もいる」
「そんな……」
と、幸子は笑った。「いやしないわよ、そんなに何人もなんて」
「少なくとも、ここに一人いる」
と、三上は言って、立ち止る。
幸子は、三上にキスされるに任せていた。いつもの通り、幸子は控え目で、おとなしい。しかし、どこか今夜は違っていた。
「——もう帰って。大丈夫よ。すぐだから」
「何言ってるんだ。お宅まで送らなかったら、君のお母さんに叱られる」
三上は幸子の腕をとった。
——歩いて十分ほど。閑静な住宅街に、幸子の家はある。
「お帰りなさい」
と、母親の知子が出て来た。「三上さん、いつもすみませんね」
「いいえ」
三上は、少し不安げに、「君、大丈夫かい?」
「ええ、何ともないわ」
「何かあったの?」
と、知子が訊《き》いた。
「何も。——じゃ、公平さん」
「うん……。おやすみ」
心残りな様子ではあったが、三上は上らずに帰りかけた。と、外から玄関のドアが開いて、
「何だ」
と、片瀬隆治は三上をジロッと見て、「今ごろまでいたのか」
「あなた!」
「お送りして来たんです」
「そうか。じゃ、もう帰るんだな」
片瀬は、靴を脱いで上ると、「おい、風呂」
と言い捨てて奥へ入ってしまう。
「ごめんなさいね」
と、知子がため息をついて、「本当に、このところ、ますます気むずかしくなって」
「いや、娘を盗む不届き者ですからね、僕は」
と、三上は笑って、「じゃ、これで」
「お気を付けて。——おやすみなさい」
知子はロックをして、「幸子。どうかしたの?」
「別に……」
幸子は、少し足早に二階へ上った。
自分の部屋へ入ろうとドアに手をかけて、父が着がえをして寝室から出てくるのを見た。
「お父さん」
「何だ。あんな奴とよく付合ってられるな」
めっきり白髪もふえ、片瀬隆治はしかめっつらが「普通の顔」になってしまっていた。
「今日ね——」
「何だ? 途中でやめるな」
「ええ。懐しい人の名前を聞いたわ」
「誰だ?」
「丸山徹男。——憶《おぼ》えてる?」
片瀬は、じっと娘を見つめて、
「どこでそんな名前を聞いたんだ」
と、言った。
「私を[#「私を」に傍点]待ってるって伝言があったの。あの人、私のことが忘れられないのね」
幸子の目は、どこか宙をさまよっていた。
「幸子……」
「私、先にお風呂に入ってもいい?」
「——ああ」
「じゃ、すぐ仕度するわ」
幸子は部屋へ入ってドアを閉めた。
片瀬隆治は、閉じたドアを、じっと見つめて動かなかった。