「人間ってのは、妙なことをやるんだな」
と、ポチが言った。
「しっ。お葬式の時はね、静かにしてるもんなのよ」
と、マリがたしなめる。
「だけど、人間なんて冷たいもんじゃないか」
と、ポチが言った。「みんな、一人として残らないで、そそくさと帰っちまうぜ」
確かにそうだった。
告別式とはいっても、寂《さび》しいものだった。焼香の客は少なくなかったが、もちろんみんな事件のことは知っている。誰もが、焼香を終えると、さっさと帰ってしまう。
外へ出ると、
「本当にひどいことをして……」
「あの奥さん、いつもお高く止ってたから、さぞ応《こた》えたでしょうね」
などと話しながら、帰って行く。
玄関の外で立っていたマリは、少々頭に来ていた。
一恵は、青ざめていたが、もう泣いてはいない。入院した母に代って、弔問客に、しっかりと頭を下げていた。
「親戚《しんせき》もろくに来てないみたいだな」
と、ポチが言った。
「そうね。でも、しょうがないでしょ。引張って来るわけにもいかないんだから」
マリは黒いスーツなど、当然持っていないので、早々と焼香をして、外に立っているのである。
風は少し冷たかったが、寒いというほどではない。
「おい」
「何よ、うるさいわね」
「あの刑事だ」
「え?」
見れば、吉原と村田が、黒の背広に黒のネクタイ姿でやって来た。マリを見て、ちょっと肯《うなず》いて見せる。
マリは、吉原が焼香しているのを、一恵がじっと見つめていることに気付いていた。
吉原は、焼香を終えると、村田が外に出るのを待って、一恵の前に座った。
「——色々ありがとう」
と、一恵が言った。「お元気で」
吉原は、ちょっと目を伏せ、黙って一礼すると、立って、外へ出て来た。
「ちょっと待って」
と、マリが歩いて行く。
「やあ。君にはすっかり世話になったね」
「そんなこといいの。一恵さんのこと、どうするの?」
「うん……」
「今、一番あなたのことが必要なのに」
吉原は、ちょっと首を振って、
「その前に、僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ」
と言うと、村田の後を追って行った。
「——あんなもんさ」
と、ポチが言った。「分ったかい?」
「見損なったわ」
と、マリは憤然《ふんぜん》として、「冷たい人なんだから」
「そうとも。人間なんて、利己的なんだよ」
「本当ね。人間なんて[#「人間なんて」に傍点]——」
おっ、とポチの目が輝いた。そうだ! 言ってみろよ、人間なんて——。
「戻《もど》って来たわ」
と、マリが言った。
吉原は、村田と何か話をすると、またスタスタと戻って来た。
そしてマリに向って、ちょっとウィンクして見せると、また上り込んで、びっくりしている一恵の隣に並んで座った。
「吉原さん……」
「君のお父さんなら、僕にもお父さんだよ」
「そんなこと……」
「今、課長に辞表を出して来た」
一恵が目をみはった。——吉原が、そっと一恵の手に、自分の手を重ねた。
「仕事は他にもあるが、僕の女房は君しかいない」
吉原はそう言って、「ほら、お客だよ。泣かないで、しゃんとしていないと」
「だって……」
一恵が涙を頬《ほお》に伝わせて、「こんな所で……そんなこと言うなんて……」
「悪かった?」
一恵は、答える代りに、吉原の手を、しっかりと握り返した……。
「——そうだ、あの子たちにも礼を言わなきゃな」
と、吉原は表に目をやった。
もう、マリと黒い犬の姿は、どこにも見えない。
「——どこへ行くんだ?」
と、ポチが道を歩きながら、言った。
畜生! もう少しだったのに!
「さあね」
と、マリは、上機嫌《じようきげん》らしく、口笛など吹いている。
「そういう下品なことすると、天国じゃ怒られるんじゃないのか?」
「ここは下界よ」
と、マリは言い返した。「また、どこかの人間の家にでも転がり込むしかないんじゃない?」
「今度はもう少し安全な家がいいな」
「あら、あんた、まだついて来るつもり?」
「悪いかよ」
「ま、いいけど」
と、マリは首を振って、「その代り、私の行く所に、文句を言わずについて来ること! 分った?」
マリは、そのまま、飛びはねるような足取りで歩いて行く。
「ちぇっ」
と、ポチはため息をついて、「天使に付合うのも楽じゃないぜ」
ポチが歩いて行くのを、すれ違った初老の夫婦者の亭主の方が見送っていた。
「——あなた。何してるの?」
と、女房の方が振り返る。
「いや……あの犬な」
「あの黒い犬? あれがどうかしたの?」
「いや……何だか、あの犬、今、肩をヒョイとすくめたんだ」
「何ですって?」
「肩をな、こうやって、ヒョイ、と——」
「馬鹿らしい!」
と、女房が顔をしかめた。「もうぼけて来たの? 困るわよ、まだ。ほら、急ぎましょ」
と、亭主の腕をつかんで引張る。
「ああ……。しかし、確かに……」
首をかしげながら、亭主はあわてて女房について歩き出した。