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天使に似た人12

时间: 2018-09-20    进入日语论坛
核心提示:11 警 報 ポチはそっとドアを押して中を覗《のぞ》いた。 ベッドに横になってるマリは、何だか子供みたいに見える。 やれや
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 11 警 報
 
 
 ポチはそっとドアを押して中を覗《のぞ》いた。
 ベッドに横になってるマリは、何だか子供みたいに見える。
 やれやれ……。入院か。天使が入院してちゃ、さまにならないよ。
 看護婦が来ないのを確かめて、ポチは病室の中へ入って行った。犬は入れてくれないので、こっそり目を盗んで入って来たのである。
「おい……。起きてるのか」
 ポチは、椅子《いす》の上にヒョイと上ると、前肢《まえあし》をベッドにかけて、マリの顔を覗き込んだ。
「フン、あどけない顔して寝てら」
 と、ポチは呟《つぶや》いた。
「天国でままごとでもやってんのが似合いだぜ」
 とたんにマリが目をつぶったまま、ベエと舌を出した。
「何だ、起きてるのか」
「悪かった?」
 目を開けると、マリは息をついて、「今、何時ごろ?」
「三時ごろだな、午後の。——熱は下ったらしいな」
「うん。もう大丈夫」
「丈夫にできてるんだ」
「デリケートな天使に、何てこと言うのよ」
 と、マリは言って笑ったが、「いてて……」
 と、顔をしかめる。
「痛むか? 何しろ体に穴があいたんだからな」
「風通しは良くなったみたい」
 と、マリは言った。「弾丸《たま》が貫通して良かった、って言われたわ。取り出すんだと大変だって」
「だからやめとけって言ったんだ」
「仕方ないわよ。役目だもん」
 マリは、天井へ目をやって、「もう……三日[#「三日」に傍点]も寝てるのね」
「しばらくは安静だぜ」
「一週間以内に何とかしなきゃいけないのよ、あと三日しかない」
「天国の方で何とかするさ」
「天使はね、責任感|旺盛《おうせい》なの」
「俺《おれ》は天使にならなくて良かったぜ」
 と、ポチは首を振った。「TVでもつけるか」
「ちゃんとリモコン付き」
 マリは手もとのリモコンで、TVをつけると、「まだ見付かってないのね、宮尾常市」
「うん……。おい」
「何よ」
「お前、撃った奴《やつ》を見なかったのか?」
「そう言ったでしょ。暗かったのよ」
「俺も邪魔物が多くて、目に入らなかった。——しかし、妙だぜ。あれが、あいつの一人芝居じゃないとどうして分る?」
「勇治さんが私を撃ったって言うの?」
「かもしれないってことさ。何しろお前は奴にとっちゃ『殺し屋』だ」
「でも、あの人は銃を持ってなかったわ」
「そんな物、どこへだって隠しておけるさ。そうだろ?」
「うん……。でも、証拠のある話じゃないしね」
「証拠が出て来た時にゃ、手遅れかもしれないぜ」
「あんた、ヒマでしょ、調べてみてよ」
「俺は結構忙しいんだ。食うのと眠るのとでな」
 ポチはTVへ目をやった。「ホラー映画か。こういう所へ出て来る悪魔って、何でああみっともないんだ?」
「知らないわよ」
 と、マリは笑った。「——ねえ、みんな何してるの?」
「例の二人は、どこかを捜し回ってるよ。あの〈坊っちゃん〉は、コンビニ疲れで、のびてる」
「まだ働いてるんだ」
「田崎ってのは、お前に食わすもん、買いに行ったぜ」
「ありがたいなあ。人間って、いい人ばっかり。——ね?」
「宮尾常市もか?」
「いやなこと訊《き》くわね。そりゃ、痛いし、頭にも来るけど——。生れつき、人を殺して喜んでる人間じゃなかったはずよ」
 と、マリは言った。
「甘い甘い」
 ポチはドアが開くのを見て、ギョッとした。
「やばい!」
 黒い犬がダッとわきを駆け抜けて行けば、看護婦がびっくりしても当然である。
 マリは目をつぶった。——ガシャン、と派手に物の落ちる音がした……。
 
 あいつ[#「あいつ」に傍点]を殺さなくては。
 いや、正確に言えば「あいつら」だ。
 一人はあの妙な娘[#「妙な娘」に傍点]で、撃ち殺したつもりだったが、ほんのわずか、体を動かしていたおかげで、やりそこなってしまった。——腕が鈍《にぶ》ったもんだぜ。
 宮尾常市[#「宮尾常市」に傍点]は、暗い天井を見上げながら思った。
 そしてもう一人は……。
 分り切ったことだ。弟の勇治である。
 あの出しゃばりの、お節介野郎め。——哀れといえば哀れだ。俺《おれ》に二度[#「二度」に傍点]も殺されなきゃならないとはな。
 宮尾常市は、暗がりの中で、少し苦味の混った笑みを浮かべた。
 暗闇《くらやみ》か……。あの時[#「あの時」に傍点]は、本当に暗かったものだ。死んだ瞬間というのは。
 それは、充分に死を覚悟し、失うものなど何もないと思い込んでいた常市にとっても、思わずたじろいでしまうほどの、真の闇だった。何も見えないはずなのに、底知れない深さだけは、肌《はだ》を凍らせるような確かさで、感じられた。
 これが「死」か。——正直、常市ですら怯《おび》えた。一瞬、自分の人生を後悔した。
 しかし……。
 目の前に、また突然「人生」が開けたのだ! こんな薄汚《うすよご》れた人生など、何の未練もない、と思っていた。しかし、再び目の前に現われた「人生」は、どんな美女よりも、光り輝いて、魅力的だったのだ。
 もう、決して手放しはしないぞ、と思った。決して。二度と。俺《おれ》は生きる[#「生きる」に傍点]のだ!
 そしてそのためには——勇治と、あの娘の二人を殺さなくてはならない。
 俺が勇治だと思わせて、生きのびるのだ。
 ためらいはない。そうだとも。
 勇治……。あいつは、子供のころから、いい子ぶっていたっけ。そして俺がいくら騙《だま》しても、嘘《うそ》をつき、乱暴しても、あいつは怒ろうとしなかった。
「勇治……」
 と、常市は呟《つぶや》いた。
 すると、ある記憶[#「ある記憶」に傍点]が、常市の胸をチクリと刺《さ》した。少年の日の記憶。
 借りは返すよ[#「借りは返すよ」に傍点]、勇治、きっと。いつか、必ず。——いつか、必ず。
 常市は激しく頭を振ったので、少し目が回ったくらいだった。
 誰《だれ》がそんな昔のことを憶《おぼ》えてるもんか! もうとっくに時効[#「時効」に傍点]さ。
 借りは返す、か……。
 返してやるとも。勇治。——お前を天国へ送ってやるぜ、ありがたく思いな。
 なに、礼にゃ及ばねえよ。
 しかし——今はまだその機会がない。勇治の奴《やつ》がどこにいるのか、分らなくては殺しようがない。
 それなら——先にもう一方[#「もう一方」に傍点]を片付けるか。
 敵[#「敵」に傍点]は一人でも少なくしておく。それが常市のモットーだった。
 闇《やみ》の中で、常市は起き上った。
 手の届く所に、拳銃《けんじゆう》は隠してある。
 待ってろよ。今度は[#「今度は」に傍点]失敗しないからな。
 ——夜こそ、常市の時間だった。
 
「エヘン!」
 咳払《せきばら》いの音で、山倉純一はハッと目を覚ました。
「い、いらっしゃいませ!」
 居眠りしていたせいで、舌が回らず、「いやっしゃえまえ」と聞こえたが、ともかく反射的にこの言葉がでるようになったのだから、大したものである。
「坊っちゃん」
 目の前に立っていたのは、田崎だった。「仕事中、居眠りしてはいけません」
「何だ、君か」
 純一は欠伸《あくび》をして、目をこすった。「時差ぼけだよ、まるで」
「居眠りの間に、品物を持ち逃げされたらどうなさるんです? すべてはマリさんの責任ということになるのですぞ」
「ワン」
 と、田崎の足下で声がした。
「何だ、ポチも一緒か」
 と、純一はカウンターから身をのり出して、覗《のぞ》き込んだ。
「様子を見に来たのです。坊っちゃんが、ちゃんと仕事をなさっておいでかどうか」
 と、田崎は腕組みをして、「案の定、居眠りですか」
「今だけだよ」
 と、純一は渋い顔をして、「それより、マリさんの具合は?」
「これから病院へ寄ってみます」
「頼むよ」
 と、純一は言って、「こんな夜中に、見舞客が入れるのかい?」
「ご心配なく。都合をつけてくれることになっております。古くなっていた看護婦のロッカーを、全部新しく買い直し、寄付いたしましたから」
「なるほど。——客が来てる。何も買わない人は、仕事の邪魔をしないでくれ」
 と、純一が言ってやると、ポチが、
「居眠りしといて、よく言うぜ」
 と、鼻を鳴らした。
「その点も、心得ております」
 と、田崎が言った。
「何か買ってくのかい?」
「そのためにアルバイトを雇いました」
 田崎がパチンと指を鳴らすと、棚の間から、両手に、品物で溢《あふ》れたカゴを下げた大学生のアルバイトが五、六人も現われ、次々にカウンターに並べた。
「——我がお屋敷での一か月分の雑貨を、すべてここで買い揃《そろ》えることにいたしましたので……」
 田崎の説明に、唖然《あぜん》としていた純一は、
「いらっしゃいませ……」
 と、改めて呟《つぶや》くと、気の遠くなりそうな顔で、レジを叩《たた》き始めたのだった……。
 
 マリは、夢を見ていた。
 研修を終えて、天国へ戻り、大天使から、
「よく働いた。ほうびに何でもほしい物をやるぞ。言ってみろ」
 とか賞《ほ》められて……。
 なかなかいい気分だった。下界を知らない他の天使たちに、
「あのねえ、六本木のディスコって、芸能人が一杯来てて……」
 とか話して羨《うらやま》しがらせたり——。
 また、私は人の世の辛《つら》さも楽しさも味わい尽くしたのよ、とか、ふと憂い[#「憂い」に傍点]にみちた表情をして見せたり。——うーん、大人[#「大人」に傍点]だ!
 え? あ、そうそう。「何でもほしい物」だった。
 そうですねえ。おしるこ、アンミツ、特大のアンマン……。あれ? 食べる物ばっかり。
 やっぱり子供かな、私は。でも、天使があんまり老成しちゃうのも、感心しない。——ねえ? 天使だって、いつも夢を持って、喜びを忘れないことが大切なんですよね、大天使様。
 あーあ。でも、こんな夢見てると、お腹《なか》が空いて来そう。いや、もう空いてるんだ。
 病院の食事、正直に言っておいしいとは言えないし。——ああ! やっぱり熱いビーフシチューか何か食いたいよ!
 と、叫んだところで目が覚めた。
 夜中だ。夜中に目が覚めるっていうのは、やはりコンビニ勤めの影響が残っているのかしら? いや、それより、入院してから、やたらグウグウ眠っているせいかもしれない。
 もちろん痛みは残っていて、鎮痛剤を飲《の》んでいるので、眠くなる、ということもある。
 そう。——本当なら大変なことなのだ。マリは、天使とはいっても、何の超能力も持っていない。若い少女の身で銃弾《じゆうだん》を受けて入院している。痛さで、泣きたくなることもある。
 でも——撃った人もまた、きっと[#「きっと」に傍点]心の奥のどこかで、「痛み」を覚えているのだと——ポチにはまた「甘い」と笑われそうだが——マリは考えている。人は人を傷つける時、本当は鏡の中の自分を傷つけているのだから……。
 カチリ、と音がしてドアが開いた。
「——あ、田崎さん」
 マリは目をみはった。
「やあ。——起こしたかな」
「いいえ、今、目が覚めてたとこ。どうしたんですか、こんな夜中に?」
「いや……。実はですね」
 田崎は、ベッドのそばへやって来ると、いやに深刻な顔で言った。「あなたにこっそりと打ちあけたいことがあって……」
「何ですか?」
「君を愛している」
 マリが唖然《あぜん》としていると、田崎は笑い出して、
「——と、坊っちゃんからの伝言です」
「もう! 心臓が停《とま》るかと思った」
 と、マリも笑って、「でも、よくお礼を言わないと。こんな立派な個室に入れていただいて」
「なあに。あなたの気が変らないかと、サービスに努めてるんですよ。——これ、お好み焼なんですがね。食べますか」
 田崎が包みを開けると、こげたソースの匂《にお》いが病室一杯に広がった。
「おいしそう!——お腹がグーグー文句を言ってたんです」
「そりゃ良かった。この店はね、午前三時まで開いてるんですよ」
「退院するころにはブクブク太っていそうだわ」
 マリは早速少し体を起こして、食べ始めた。「——ポチは?」
「病院の夜間出入口で、看護婦さんに見付かりましてね。ふてくされながら待っています」
「あら、可哀想《かわいそう》。これ、少しポチにやって下さいな」
「そのつもりで、もう一つ買ってあります」
 と、田崎は抜かりがない。「看護婦の目の前でやるわけにはいきませんので、ここに持ってますが。後でやりますよ」
「お願いします。食べものの恨《うら》みは怖いですから」
 と、マリは笑って言った。「——おいしい。——勇治さんと三崎伸子さん、何か手がかりをつかんだのかしら?」
「今のところは、まだのようですよ」
「そうですか……。私も、こんなことしちゃいられないんだわ」
「いけませんよ。今は傷を治すことが先決です」
 田崎の言葉には肯《うなず》くしかない。しかし、マリとしては、本来天使がやるべき役目を、人間にやらせてしまっている、という気持がある。といって、今の自分に何ができるんだろう?
 こうしている間にも、生き返った宮尾常市が、誰《だれ》かを殺しているかもしれない、と思うと、マリの食欲も——これだけは一向に変らないのだった!
 ところで——夜間入口で「おあずけ」を食わされ、ふてくされて寝そべっていたポチは、救急車のサイレンに頭を上げた。
 こっちへ来るようだ。もしかすると……。
 首を伸ばして見てみると、さっきポチをしめ出した(?)看護婦が、急いで駆けて行くのが見えた。——こりゃいいや。
 ポチは、出入口の扉のわきに身を潜《ひそ》めた。こんな時には真黒な体が至って便利である。
 マリの奴《やつ》、今ごろ目を覚まして、あの「お好み焼き」を食ってやがるんだろう。畜生!
 ポチにとっても、あの「匂《にお》い」の魅力は強烈だった。まだあったかい内に食ってやるんだ!
 救急車が病院の敷地へ入って来る。ポチの目の前の扉が大きく左右へ開いて、ストレッチャーを引いた看護婦たちが小走りに出て来た。
 今だ!
 ポチはアッという間に看護婦たちの後ろをすり抜けて病院の中へ入り込んでいた。
 病院ってとこは、夜も色々やってるしな。気を付けないと、見付かっちまう。まあ、もう油断はしないから大丈夫だろうが、また檻《おり》にでもぶち込まれて、ってのは勘弁《かんべん》してもらわねえと……。
 さて、あいつの病室は上の方だったね。
 階段で行かねえと、エレベーターじゃ上れない。
 ポチは、夜勤の看護婦が来るのを見て、あわてて廊下に置いてある配膳《はいぜん》用の台のかげに隠れた。——何とかうまくやり過ごした。
 階段室へ入るドアを鼻でぐいと押して開けると、薄暗い階段には、もちろん人気がない。これを上って行けば……。
 トコトコと階段を上り始めて、ポチはギクリとした。
 足音がする。靴の音で、下から階段を上って来るのである。——まずいな。
 一気に駆け上っちまってもいいが、ドアを開けて出たところでバッタリ誰《だれ》かに出くわさないとも限らない。
 ポチはそっと下の方を覗《のぞ》いてみた。
 白衣を着てマスクをした男が、階段を上って来る。しかし——様子から見て、どうも医者ではない。病院の中で靴なんかはいていないだろう。
 すると、その男は、たった今ポチが入って来たドアから、廊下へと出て行った。——やれやれ、びっくりさせやがって。
 ポチは、また階段を上り始めた。気のせいか、「お好み焼き」の匂《にお》いがここまで漂って来るような気がする……。
 さて——もう少し、と思ったところで、突然、明りが消えた。
 何だ? ポチが面食らって足を止めていると、チカチカと光が点滅して、非常用の明りが点《つ》く。
 そしてけたたましく、非常ベルが鳴り出したのである。
 
「何かしら?」
 非常用の明りが点いて、マリは少しホッとした。しかし、続いて病院中に鳴り渡るベルの音。
「何の騒ぎかな」
 田崎は立ち上って、「見て来ます。心配いりませんよ」
 と、病室を出て行った。
 マリはゆっくりと体を起こした。傷が少し痛むが、我慢《がまん》できないほどではない。
 廊下をバタバタと駆ける音。
「どうしたの?」
「火災警報! でも、どこで——」
「急いで! もし本当なら、休んでる人も叩《たた》き起こして!」
 夜勤の看護婦たちが声をかけ合い、また駆け出して行くのが分った。
 火事[#「火事」に傍点]! もし本当なら大変だ!
 マリは、ベッドから出た。パジャマの上に、純一が買って差し入れてくれたガウンをはおる。田崎はどこに行ったんだろう?
 ドアを開けて廊下を覗《のぞ》くと、他の病室の患者たちも、何ごとかと顔を出してキョロキョロしている。警報は鳴り続けて、次々に病室のドアが開いた。
 休憩していたらしい看護婦が何人か駆けて来た。
「間違いかもしれませんから、落ちついて! 一応、外へ出ます! ちゃんと誘導しますからね! 安心して!」
 口々に叫んで、年寄りを先頭に、エレベーターは使わず、階段へと連れて行く。
「落ちついて! 心配いりませんからね!」
 大したもんだなあ、とマリは思った。自分だって怖いだろうに、こんなに落ちついて、子供を抱っこして、お年寄りの手を引いて——。
「あ、その子、私が」
 マリは、五、六歳の子を、看護婦が抱き上げようとしているのを見て、駆け寄った。
「あなた、大丈夫?」
「ええ。大したことないんです」
「じゃ、お願い。そのドアから下へ」
「分りました。お姉ちゃんにしっかりつかまってね」
 本当は大丈夫なんかじゃないのだ。女の子を抱き上げると、脇腹《わきばら》の傷がズキズキと痛むのが分った。また出血したのかもしれない。
 しかし、自分は天使なのだ。人を助けるように仕込まれているのである。この女の子一人、下へ下ろして行くぐらいなら……。
 ドアを開けると、上の階からも階段を下りて来る患者がいる。マリはしっかりと女の子を抱き直して、階段を下りて行った。
「おい」
 と、呼ぶポチの声で、マリは足を止めた。
「あんた、何してんの?」
 マリは目を丸くした。「入るな、って言われてんでしょ」
「うまく忍《しの》び込んだらこの騒ぎさ」
「外へ出るのよ! 火事かもしれないんだから」
 抱っこされている女の子は、マリとポチの〈会話〉に、不思議そうな顔をしている。
 トコトコ階段を下りながら、
「お前、大丈夫なのか? けがしてるくせに」
「死にやしないわ」
「救い難い奴《やつ》だな」
 と、ポチは首を振って、「お好み焼き、置いて来たのか?」
「取りに戻って焼け死んだりしたら、さぞ地獄で歓迎してくれるよ」
 一階まで下りて、みんなゾロゾロと夜間出入口から外へ出る。
「消防車のサイレンだ」
 と、マリは言った。「でも、煙も出てないみたいね」
「どうも妙だぜ」
 と、ポチが外へ出て、周囲を見回した。
「何が?」
「何だか分らねえけど、用心しな」
「わけの分んないこと言って。——あ、痛い」
 マリは顔をしかめた。
「だから言っただろ」
「退《さ》がって! みんな退がって!」
 と、看護婦が、外へ出た患者たちに向って、大声で言った。「気を付けて! 消防車が入って来ますからね!」
 マリは女の子を抱え直して、後ろへ退がった。
「あ、ごめんなさい」
 他の患者にぶつかりそうになる。——病院の裏側は、植込みや芝生が帯状にあって、その向うは表通りだ。
 もちろん夜中で、通る車もほとんどない。
 消防車が二台、三台とやって来て、消防士が病院の中へ駆け込んで行く。しかし、どこからも火の手が上っている様子はなかった。
「——間違いかしらね」
 と、マリは呟《つぶや》いた。
 そこへ、さっき女の子をマリへ預けた看護婦がやって来た。
「ありがとう! こっちへもらうわ、あなたけがしてたのね。ごめんなさい、うっかり忘れてて」
「いいんです。別に死にそうってわけじゃないし」
「後で、傷口を見てもらってね。——じゃ、私が抱くわ」
 女の子を、看護婦が受け取ろうとして、「——おっと」
 ちょっと手が滑った。マリが、落ちそうになる女の子をかがみ込んで支えた。同時に、バン、と短い破裂音《はれつおん》が闇《やみ》を貫く。
「アッ!」
 看護婦が肩を押えて、うずくまった。
「どうしたんですか!」
 マリは女の子をおろした。
「肩……。肩が……」
 マリは、血に染った看護婦の肩を見て、息をのんだ。
「撃たれたわ! ポチ! ポチ!」
 ポチが患者たちの足下をくぐって駆けて来る。
「やっぱりか! あいつ[#「あいつ」に傍点]だぜ」
 そこへ田崎も人をかき分けてやって来る。
「どこへ行ったのかと思いましたよ!」
「この人が——。誰《だれ》か手当を!」
 マリはハッと道の方を振り返った。
 白衣の男が駆けて行く姿が、街灯の光にチラッと浮かび上った。
「あれだわ」
「無駄だよ」
 と、ポチが言った。
 追いかけようにも、消防車やパトカーが次々にやって来て、道をふさいでしまう。——もう、とても追えなかった。
 ——宮尾常市だ。
 何てこと! 私の代りにこの看護婦さんが……。
 同僚の看護婦に支えられながら、撃たれた看護婦が連れて行かれる。
 マリは、自分の傷の痛みを忘れて、胸を焼く怒りと悲しみに、唇《くちびる》をかみしめていた……。
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