「あら、亜由美」
と、母の清美が、目をパチクリさせて、「そんな格好で大学に行くの?」
「まさか。——見りゃ分るでしょ」
と、亜由美はイヤリングをつけながら、「結婚式なのよ、結婚式」
「あなた、そんなこと、言ってなかったじゃないの」
「言ったって、どうせお母さんは忘れちゃうじゃないの」
と、亜由美は言い返してやった。
「誰かお友だちの?」
「ううん。私のよ」
「あ,そう」
と、肯《うなず》いて、「——亜由美!」
「冗談よ。たまにゃ、お母さんをびっくりさせようと思って」
「親をからかわないでよ」
と、清美は苦笑した。
「じゃ、行って来る」
亜由美は、足早に家を出た。殿永が調べてくれたので、梶原真一の結婚式が、午後の三時から、と分った。殿永と向うで落ち合うことにしていたのである。
「ワン」
気が付くと、ドン・ファンが目の前に待ち受けている。
「ドン・ファン。お前も行くの?」
「ワン」
「行ってもいいけど、入れてくれないかもしれないわよ、犬は」
「ウー……」
「私に怒んないでよ! 私はただ客観的な事実を——」
と、言いかけて、亜由美は目を丸くした。「聡子!」
「へへ……。私にこっそり、いい思いをしようったって、そうはいかないんだからね」
カクテルドレスで、やたらドレスアップした聡子、クルッと回って見せて、「いかが?」
「いかが、じゃないわよ! 遊びに行くわけじゃないのよ」
「分ってるわよ。殿永さんに電話して聞いちゃった。殿永さんもね、亜由美一人で行かせるのは心配だって。ぜひ[#「ぜひ」に傍点]、私にも行ってほしいってことだったの。やっぱり、見る目のある人が見ると、本当に頼りになるのは誰なのか、よく分るのよね」
「分った、分った」
亜由美はため息をついて、「じゃ、聡子。一緒に行ってもいいから、ドン・ファンの面倒見てやって」
「OK。ほら、ドン・ファン、あんたのご主人はあんたのこと、邪魔にしてるわよ。そんな冷たいご主人のことは放っといて、私とデートしよ。ね?」
「クゥーン……」
ドン・ファンが甘ったれた声を出して、いそいそと聡子の足下へ。
全く、もう! 亜由美は、この「忠実でない飼犬」を、思い切りにらんでやったのだが、当人[#「当人」に傍点]は、一向に気にとめない様子だったのである……。
結婚式場に着いたのは、殿永と待ち合せた時間よりも、大分早かった。
「ねえ、亜由美」
と、聡子が言った。「私たちさ、どこの披露宴にも招待されてない[#「ない」に傍点]のよ」
「当り前でしょ」
「じゃ、どこで食事すりゃいいの?」
「あのね、ご飯食べに来たわけじゃないのよ、私たち」
と、亜由美は言って、「それにしても、凄《すご》いわね。今日は大安?」
ロビーは人で溢《あふ》れている。もちろん男性もいるのだが、何といっても影が薄い。華やかな衣裳《いしよう》の女性陣は、正に花園みたいにあでやかさを競っていた。
「ともかく、どこで問題の披露宴があるのか、見て来るわ」
と、亜由美は、〈本日の挙式〉という大きなパネルの方へ歩いて行った。
ええと……。梶原家と、確か——小田だったわね。小田恭子。
「あ、これだ。——〈三階カトレア〉か」
と、亜由美が呟《つぶや》くと、急に背中にグッと何かが押し当てられた。
「手を挙げろ! 振り向くと命はないぞ!」
ワッ、とびっくりして、亜由美は反射的に手を挙げてしまったが……。後ろで、派手な笑い声が起る。
「——洋子!」
亜由美は振り返って、「人をびっくりさせて!」
「相変らずにぎやかねえ、亜由美」
「どっちのセリフよ!」
と、亜由美は洋子をつついてやった。「今日は?」
「もちろん結婚式よ。私の——じゃないけどね」
「良かった。抜かされたかと思ったわ」
と、亜由美は笑って、「ね、どの式に出るの?」
と、パネルを指す。
「これ、〈梶原家・小田家〉ってやつよ」
「ええ?」
亜由美はびっくりした。「偶然ねえ!」
「じゃ、亜由美も招《よ》ばれてるの?」
「ううん、そうじゃないの」
洋子は、目をパチクリさせている。
「——聡子。紹介するわ。私の小学校のころの友だちなの。五月洋子、これが目下の悪友、神田聡子よ」
二人は、にこやかに挨拶《あいさつ》をかわした。
「それから、これが目下の恋人[#「恋人」に傍点]」
と、亜由美はドン・ファンを紹介[#「紹介」に傍点]した。
「わ、可愛い! 頭の良さそうな犬だね」
と、五月洋子がかがみ込んで頭をなでると、ドン・ファンは、じっと取り澄ましている。
「あんまり賞《ほ》めないで。すぐ図に乗るたち[#「たち」に傍点]なの」
と、亜由美は言った。
「ワン」
「ね、私も早く着きすぎちゃったの。そこでお茶でも飲まない?」
と、洋子が誘うと、
「うん……。ただね、もう一人連れが——。あ、来た」
殿永が、一応ダークスーツにシルバータイでやって来るのが見えた。
「あの人?」
洋子が不思議そうに、「亜由美、ずいぶん中年好みになったのね」
と、言った。
「——そんなことがあったの」
と、五月洋子は、亜由美の話を聞いて、言った。
「どう? あなた、梶原って人と同じ会社にいるんでしょ? 何か思い当ることって、ない?」
「そうねえ」
と、洋子は考え込んだ。「だけど……。まさか……」
「何かあるのね」
「待ってよ。あのね——これは噂《うわさ》なの。ただの噂なのよ」
と、洋子は念を押すように言った。
「噂、大いに結構」
と、殿永が肯く。「それが事実かどうかはともかく、噂が流れているという事実だけでも、一つの手がかりです」
亜由美たちは、式場のロビーにあるティーラウンジに入っていた。ドン・ファンは断られて、仕方なく、ロビーの隅で、ふくれっつらをして(?)座っている。
「——梶原さん、小田さんとね、以前に付合っていたの。でも、小田さんの方がちょっと避けてたことがあって……。これも、もちろん噂よ」
「うん、分ってる」
「で、梶原さん、別の女性と付合い始めたの」
「別の女性?」
「ええ。——松井見帆さん。梶原さんより一つ年上だと思うわ。かなりのベテランで、私もずいぶんお世話になってるの」
「いい人なの?」
「そりゃもう! 若い子は嫌うけどね。でも、ともかく仕事もできるし、いつも冷静で、上の人も、松井さんには一目置いてるわ」
「その人と梶原って人が——」
「そう。一時は結構深い付合いだった、ってことだわ」
「じゃ、どうして小田恭子さんが?」
「そうねえ。その辺の事情はよく知らないんだけど、松井さんにとられた、と思って、小田さん、初めて梶原さんのこと、見直したんじゃないかと思う」
「なるほどね」
と、聡子が肯いて、「そういうことってあるわよ」
「分ったようなこと言って」
と、亜由美が冷やかした。
「何よ!」
「まあまあ」
と、殿永がなだめて、「お二人の仲の良いのは、よく承知してますから」
「亜由美って、相変らずね」
と、洋子が楽しげに言った。
「そんなことよりも、結局、梶原さんは小田恭子をとったってわけね」
「そういうことね」
「じゃあ——」
と、聡子が言った。「そのことじゃないの? 女の恨み、っていうのは」
「考えられますね」
と、殿永が肯く。
「じゃ、その松井見帆って人が、あの脅迫の手紙を?」
「そんなこと絶対ない!」
と、洋子が言い切った。「松井さん、そんなことしないわよ。それに——これも噂だけど——小田恭子さんが、松井さんに頭を下げて、梶原さんを私に譲って下さい、って頼んだ、って聞いてるわ」
「私にゃ誰も頼まない」
と、亜由美は言って、「そんなこと、どうでもいいけど……。ね、問題はただ一つ。あの手紙がただのいたずらなら、どうってことないのよ」
「その通りです」
と、殿永は肯いて、「我々の出動[#「出動」に傍点]がむだ足になれば、こんないいことはない」
「でも、万一のことがあったら……」
「もし、そんな話が知れたら」
と、洋子が心配そうに、「松井さんのいやがらせ、と思う人が多いと思うわ、社の中でも」
「それじゃ気の毒ね」
「何とか、表沙汰《おもてざた》にならないように——」
「もちろん、何も[#「何も」に傍点]なければそれきりですよ」
と、殿永が言った。「そのためにも、どこかで、式や披露宴の様子を見られるといいんですが……」
「——あ」
と、洋子がラウンジの入口の方へ目をやって、「松井さんだわ」
松井見帆が、にこやかに笑顔を見せながら、テーブルの方へとやって来たのだった。
「洋子さん。——はい、これ、真珠のネックレス」
「わあ、どうもすみません」
洋子は、ビロードをはったケースを受け取った。
「お邪魔かしら?」
と、松井見帆が、テーブルについた顔ぶれを眺めて言った。
「いいえ。どうぞかけて下さい」
と、亜由美が言った。「私、五月さんの古い友だちなんです。塚川亜由美といいます」
「まあ、そうでしたか。——じゃ、やっぱり今日、こちらの披露宴に?」
「ええ、まあ」
と、亜由美は言って、「——ここで働いてるんです」
「あら。じゃ、会場の方?」
「ええ。学生アルバイトなんですけど」
とてもじゃないが、亜由美の格好は、ここの従業員には見えない。松井見帆が不思議そうに、
「どんなお仕事を?」
と、訊いたのも当然だった。
「ええ。今日はですね、お客さんの代理なんです」
「まあ、お客の代理?」
「そうなんです」
と、亜由美は肯いて、「たとえば——ほら、両方の家の出席者の数が、あんまり違ったりして、アンバランスだと、やっぱり具合が悪いでしょ? ですから、私たちアルバイトが、出席者のような顔をして、座ってるんです」
「へえ……」
と、見帆は感心した様子で、「色んなお仕事があるんですね」
「ええ。それとか、当日になって、急に花嫁花婿が出られないなんて時も、代りに出ます」
と、亜由美は出まかせを言った。
「ちょっと、亜由美——」
と、聡子がつつく。
「それで、今日は梶原さんと小田さんのお式に出席することになったんです」
と、亜由美は言った。「今、聞いたら洋子もその披露宴に出る、っていうんで偶然ねえって、話してたところなんです」
「まあ、そうなんですか。——あら、会社の人たちが。洋子さん、じゃ、また後で」
「はい。このネックレス、帰りにお返しします」
「いいのよ。何だか妙でしょ、ここでそんなやりとりも。また明日でも」
見帆は腰を上げて、「じゃ、失礼します」
と会釈して、歩いて行った。
「——亜由美ったら、でたらめばっかり言って」
と、聡子が顔をしかめる。
「仕方ないでしょ。もう言っちゃったんだから」
と、開き直った亜由美、「殿永さん。何とかして私たちも、その披露宴に出ましょうよ!」
「しかしねぇ……」
殿永は頭をかいて、「その費用が経費になるかどうか……」
と、自信なげに呟《つぶや》いたのだった……。