いいなあ結婚式って……。
亜由美は、一体何のためにこの披露宴に出ているかということも、強引に三人[#「三人」に傍点]も出席者をふやすために、殿永がいかに苦労したかということも、きれいさっぱり忘れて、正面に並び立つ、花嫁と花婿を見やって、感激していたのだった。
「料理代と飲物代で、三人分、しめて……」
と、殿永は、何度も頭の中で計算している様子。
亜由美と聡子も一応[#「一応」に傍点]申し訳ないというので、
「私たちの分は払います」
と申し出たのだが、
「いや、そんなわけにはいきませんよ」
と、殿永が言うと、
「じゃ、すみませんけど、ありがたく——」
と、あっさり殿永の言葉に甘えることにしてしまったのである。
梶原は、殿永と亜由美には会っているわけだが、何しろ服装が全く違うし、当人もあがっているから、とても気付く様子はなかった。
——あれが小田恭子ね。
亜由美は、頬《ほお》を赤らめて、幸せ一杯という様子の、花嫁を眺めていた。
「松井見帆とは対照的ね」
と、聡子が、低い声で言った。
「確かにね。——男って、ああいう、一見おとなしそうな女性の方が好みなのかしら」
「悩んでんの?」
「何で私が悩むの?」
と、亜由美はややカチンと来た様子で、言った。
「大丈夫よ。世の中にゃ、色々好みの違う人がいるから」
「大きなお世話」
と、亜由美は言い返した。
しかし、亜由美とて、殿永の財布をあて[#「あて」に傍点]にして、晩飯を食べちまおうとばかり考えていたわけではない。
披露宴の始まる前、適当に、あちこちのグループの話に耳を傾けて歩き、情報を集めていたのである。
梶原の会社のOLたちとおぼしきグループの話には、松井見帆の名も出て来た。
「ねぇ、梶原さんだって、松井さんよりも恭子さんの方がいいに決ってるもんね」
「そうよ。松井さんと一日中一緒にいたら、息が詰りそう」
「本当よ」
——どうやら、松井見帆は若い新人OLたちの間では煙たがられている様子だ。
五月洋子のように、松井見帆を、頼りになるいい先輩と思っている女の子は例外らしかった。
それから、もう一つ、亜由美が小耳に挟んだのは、ちょっとした言い争いだった。
そろそろ披露宴が始まるという時、手を洗いに行った亜由美は、廊下の隅の、ちょっと奥まった所に、松井見帆の姿を見かけたのだ。
誰かと話している。しかし、彼女の顔はこわばっていた。
「いい加減にして下さい」
と、低いが、きっぱりした調子で、「どこだと思ってるんですか!」
「いいじゃないか。何も、ここで抱かせろと言ってるわけじゃない」
「酔ってるんですか、もう」
「とんでもない。俺《おれ》は正気だよ」
——相手の男は、いかにもくたびれた中間管理職って感じで、しつこそうなタイプに見えた。
もちろん、亜由美としては、もっと話を聞いていたかったのだが、その二人も、それ以上は争わずに披露宴の席へと別々に足を運んで行ったのだった……。
「——課長の田崎様より、ご祝辞をちょうだいしたいと存じます」
司会者の声がして、立ち上った男を見ると、亜由美は、あれ、と思った。
さっき、見帆と言い争っていた男である。
中間管理職という推理(?)には間違いなかった、というわけだ。
田崎という男、およそユーモアとか洒落《しやれ》たセンスのない男で、スピーチは紋切り型の、「スピーチ実例集」に「悪いスピーチの見本」として収録されそうなものだった。
下手なスピーチでも、心がこもっている、そういうこともあるものだが、田崎の場合はそれもなくて、終った時の拍手は、誰しもホッとした顔の拍手だったのである……。
「——それでは、お二人に、ウェディングケーキへナイフを入れていただくことにしましょう!」
と、司会者の声が高くなった。
「私たちの分もある?」
と、聡子が心配している。
「ありますとも」
と、お金を払った立場の殿永が力強く(?)請け合った。
一旦《いつたん》部屋の照明が落ちると、スポットライトが、入場して来るウェディングケーキを照らし出した。
「へえ、立派」
と、聡子は手を叩きながら、「そばを通る時、指出して、なめてやろうか」
「やめなさいよ」
と、亜由美は半ば本気で言った……。
もちろん、芸能人の結婚式みたいな、高さ何メートル、なんて馬鹿げた高さはないが、一応、ほう、と感心しそうな造りである。
二人が並んで待ち受ける正面の席へと、ウェディングケーキは係の男に、押されて行ったが……。
「塚川さん」
と、殿永が言った。「ケーキの上を見てごらんなさい」
「ケーキの上?」
「ケーキの天辺《てつぺん》です」
「——あら」
ケーキの一番上に、ウェディングドレスの花嫁の人形が……。しかし、それは、あの手紙の中に入っていたのとそっくりな、紙細工の花嫁だったのだ。
いかにも、あのケーキには、似つかわしくない。
「どうしてあんなもの……」
「誰かが、取りかえたんでしょうね」
「でも——誰が?」
やはり、あの手紙は、いたずらではなかったのだ。亜由美は、緊張した。
「では、ケーキカットです!」
司会者が一段と声を張り上げる。「お写真をとられる方は、前へどうぞ」
梶原と小田恭子の二人が、大きなナイフを手に、ケーキの決った場所に、ナイフを入れる。
拍手が起り、フラッシュの光が、二人を照らし出した。——小田恭子は、涙ぐんでいるようだ。
亜由美は、松井見帆の方へと目をやった。
拍手している見帆の表情は、いかにも穏やかで、心から二人のことを喜んでいるように見える。——亜由美は、見帆に関しては五月洋子の意見に同感だった。
——ケーキカットもすみ、室内の照明は元の通りに戻った。
「それでは——」
と、司会者が言った。「ここで新婦はお色直しのため、一旦退席いたします」
小田恭子が、仲人に手を取られて、会場を出て行く。
亜由美は、ふと思い付いて、
「ちょっと、外へ出てる」
と、聡子に囁《ささや》いた。
「へえ、料理これからよ」
「ちゃんと取っといてよ」
と、亜由美はにらんだ。
——廊下へ出ると、小田恭子が、着替えのために、控室へと入って行く。
「ドン・ファン」
と、亜由美は呼んだ。「——ドン・ファン、どこなの?」
ロビーで一人、ふてくされているはずのドン・ファンだが、どこにも見えない。まさか家出(?)したわけでもないだろう。
すると——静かなロビーに、どこからともなく、ウー……という、低い唸《うな》り声。
もしかして、自分のお腹が鳴っているのかと思ったが、そうでもないらしい。
「ドン・ファン!」
と、亜由美は目を丸くした。
ドン・ファンが、ロビーの奥まった辺りで、じっと身を低くして(もともと低いが)、身構えているのだ。
「何やってんの?」
と、駆けて行くと……。
ソファのかげに、若い男が一人、青くなってしゃがみ込んでいる。
「この犬、あんたの?」
と、その若い男が言った。「早くあっちへやって!」
悲鳴を上げてるみたいだった。
「残念ながらね」
と、亜由美は腕組みをして、「この犬は、理由もなしに人にかみついたりしないの。あんた、何やったの?」
「何もしてやしない! 本当だよ」
「その格好じゃ、披露宴に招かれて来たわけじゃなさそうね」
と、亜由美は、ジャンパーとジーパンという格好の若者を見て、「何の用でここに来たの?」
「あんたの知ったこっちゃないだろ!」
「あ、そう。——じゃ、ドン・ファン、ガブッと一かみしてあげな」
「ワン」
「や、やめてくれ!」
と、若者は真青になった。
その手に——。亜由美は、
「何を持ってるの?」
と、鋭く言った。
「え?」
「手に持ってるものよ」
亜由美が指すと、若者は手を広げた。ポトンと落ちたのは、ロウで作った、新郎新婦の人形だった。