しかし、その割りには、内外ともに、静かだった。
23号室は、二階の階段に近かった。「村松俊昭・真理」と二人の名前が出ている。ドアチャイムを押しても、応答がなかった。そこで、刑事は隣室、22号室を訪ねた。
「村松さんなら、横浜へいらしてますよ」
と、隣室の主婦は、刑事の質問にこたえて言った。
「ご主人が横浜の本社へ出張されるので、奥さんも、ご一緒されたのですよ。ええ、村松さんの奥さんは、ご実家が横浜でしてね」
出かけたのは、十月二日の日曜日。たまたま、裏の駐車場で出会った隣室の主婦に対して、五日の水曜日には仙台へ帰ってくる、と、言い置いて行ったらしい。
「村松さんは、いつからこちらのマンションにお住まいですか」
「今年の四月に仙台へ転勤になられて、横浜から越してきたのですよ。ですから、ちょうど半年でしょうか」
「ご夫婦、二人暮らしですか」
刑事は、村松夫婦の年齢とか、家族構成を訊《き》いた。
「お二人とも、三十前後だと思います。はい、お子さんはいらっしゃいません。ご主人と奥さんのお二人だけです」
主婦の声が低くなっていた。隣室のこととあって、こたえにくいのだろうが、元々が、口の堅いタイプのようであった。
だが、刑事は、これで引き下がるわけにはいかない。
次に、質問は、村松夫婦の風貌へと移っていった。
上野西署の捜査本部からは、殺された女性の顔写真がファクシミリで送られてきており、刑事はコピーを所持している。
村松夫婦が仙台に不在であるというのは、どちらも、犯行時間に上野公園に現われる可能性があることを、意味していよう。
「これを見ていただきたいのですが」
刑事はコピーを差し出した。おとなしそうな主婦がびっくりするといけないので、もちろん、死者を撮影した写真とは言わなかった。
主婦は写真を一べつし、
「これが?」
どうしたのかといった目で、刑事を見た。
写真の女は、両目を閉じている。ファクシミリで送られてきたものなので、もうひとつ鮮明さも欠いている。
主婦は、写真を手にしたものの、それがだれか、識別はできないようだった。
刑事は、直接的なヒントを出した。
「村松さんの奥さんに、似ているとは思いませんか」
「お隣さん、どうかされたのですか」
主婦はそんなふうにことばを返してきたが、刑事の質問に対しては、肯定も否定もしなかった。
しかし、村松の妻が、人目に立つロングヘアで、化粧が派手であったことは、認めた。万事に派手好みの美人で、小柄だったという。
「ロングヘアで、小柄?」
刑事は口元を引き締めた。死者は髪が長かった。そして、一メートル五十四という小柄な背丈である。
「ご主人はどうでしょう?」
と、刑事が村松の体型を尋ねると、
「旦那さんは背が高いですよ」
主婦は小声ながらも、はっきりと言った。
「長身のご主人に、小柄な奥さんですか」
刑事のつぶやきは、自分自身に向けられたものだった。
仙台の刑事は、上野の刑事とは異なり、ストレートに殺人《ころし》の犯人《ほし》を追っているわけではない。だが、これが偶然の一致だろうか、と、そうした不審が、胸の奥を過《よぎ》っていた。
身長という外観のみから言えば、村松俊昭、真理《まり》夫婦は、不忍池の柳の陰にたたずんでいた男女と、ぴたり同じではないか。
もしも同一人であるなら、夫婦の間には、殺人事件を招来するような、暗雲が漂っていたということだろうか。
これは、思いもかけない、大事な聞き込みになってきた。
夫婦の間に、決定的な対立があったのなら、隣人が気付かぬはずはあるまい。
「村松さんところの、夫婦仲はどうでしたか」
刑事は質問の角度を変えた。
「どうと言われても」
おとなしそうな主婦は、視線を避けた。
玄関先の立ち話に、短い沈黙が生じた。
刑事が、さらに質問をつづけようとすると、リビングルームにいた亭主が立ってきて、
「刑事さん、それは、管理人さんに聞いてください」
と、助け船を出した。
半年前の転居以来、村松夫婦の間には、トラブルが何度かあり、その度に管理人が仲に入って、諍《いさか》いを収めてきたというのである。
「トラブルが何度かあったんですって?」
刑事の顔色が変わった。
刑事は夫婦に礼を言うと、小走りに階段を下りた。