浦上伸介は、朝七時の目覚まし時計で起きた。
取材でもなければ、こんなに早く起き出すことは珍しい。
夜が遅い浦上は、二重のカーテンを締め切って、昼近くまで、ベッドに潜っていることが多い。
東京都目黒区、東横線中目黒駅から徒歩五分の場所だった。九階建て『セントラルマンション』の三階にある1DK、307号室が、シングルライフを楽しむ三十二歳の住居であり、仕事場だ。
壁面を占める本棚とベッド、そしてスチール製の大きい仕事机で部屋は一杯である。
机の上には、ファックス、ワープロなどが載っている。
浦上はベッドで腹這いになって、キャスターを一本灰にした。
それからシャワーを浴び、コーヒーメーカーで、キリマンジェロを淹《い》れた。夜は、アルコールがなければ一日だって過ごせないくせに、朝はコーヒーを欠かせない体質だった。
コーヒーを味わいながら、朝刊三紙を開いた。
続報はどこにも出ていない。
宮本信夫、村松俊昭、手塚久之。三人それぞれに、確かなアリバイがあるということだろうか。それとも、捜査の手は、まだ、三人の主張の裏付けを取るところまでは、伸びていないのか。
浦上は朝刊を投げ出すと、トーストを一枚だけ頬張って、『セントラルマンション』をあとにした。
昨日と同じように快晴だった。風がなくて、穏やかな午前である。
浦上はいつもと同じように、ラフな出で立ちだった。立てえりの茶のブルゾンに、取材用カメラなどの入ったショルダーバッグ。
浦上は東京周辺を取材するときも、新幹線や飛行機で地方へ出張するときも、ほとんど同じ格好をしている。
東横線を横浜駅でJRに乗り換え、関内駅へ着いたのは、九時少し前だった。折しも、ラッシュアワーである。
谷田実憲との約束は九時十分であり、待ち合わせ場所は関内駅構内の喫茶室となっていた。浦上は勤務先へ急ぐ人波を避けるようにして喫茶室へ入り、トマトジュースを頼んだ。
九時になるのを待って、喫茶室のピンク電話で『浅野機器』にかけてみた。
「仙台支社の村松課長ですか。村松の本社出張は昨日までです。仙台へは今朝戻りましたので、支社には午後から出社の予定です」
電話に出た女子社員の応対は、ていねいで、てきぱきとしていた。
設立以来十二年で急成長を遂げているという会社の、前向きな姿勢が、女子社員の応接からも窺えるようである。
「どちら様でしょうか」
と、女子社員は聞き返してきた。
「ああ、ぼくは高校時代の旧友です。私的な電話なので、あとで仙台へかけ直します」
浦上は咄嗟《とつさ》のうちに、そうこたえていた。どうせ村松に会えないのなら、『週刊広場』を名乗る必要はないわけである。
取材などと切り出せば、余計な警戒を与えることにもなろう。
しかし、村松の旧友と言ってしまったために、
『それでは、手塚常務につないで下さい』
と、つづけるわけにはいかなかった。もっとも手塚の場合は、ある意味では事件の�当事者�ではないので、電話で当たったりせず、じかに訪ねた方がいいかもしれない。
(村松は足どめを食うこともなく、予定通り仙台へ引き返したのか)
浦上は電話を切るとき、朝刊に一行の続報も出ていなかったことを考えた。行動が束縛されていないのは、あるいは、捜査本部によって、意図的に泳がされているということかもしれない。
いずれにしても村松が、予定を変更することなく仙台へ帰った事実は、警察が、決定的なデータをつかんでいないことを意味していよう。
浦上はテーブルに戻ってトマトジュースを飲み干すと、再び立ち上がっていた。
次にダイヤルを回した先は、真理の実家である篠原町の高峰家だった。
浦上は、ここでも面倒を避けて、村松の旧友と名乗った。知りたいのは、真理の動静だけである。
口実は何だっていい。電話口に真理の母親が出てくると、やはり旧友を装って、
「村松くんは、そちらにお泊まりですか」
浦上は、不忍池の事件との関連など、何も気付いていないといった口調で問いかけてみた。
「俊昭さんは、当家《うち》には顔を出していません」
真理の母親は不機嫌だった。
「俊昭さんは、今朝、西口のビジネスホテルをチェックアウトして、仙台へ帰ったはずですよ」
「村松の奥さんもご一緒ですか」
「同行したかどうか存じませんが、真理も今朝、当家《うち》を出て仙台へ向かいました」
母親の声には抑揚がなかった。普通に聞けば何でもない返事の中に、娘夫婦の不和に対する焦燥がにじんでいるのを、浦上は感じ取った。
浦上はもう一度テーブルに戻ると、キャスターをくわえた。その一本のたばこを吸い終わらないうちに構内の人波の中から、谷田が大柄な姿を現わした。