最初に水谷実雄一塁手(宮崎商、広島、現阪急)とは関係のない「阪神・藤本定義監督をめぐる軍艦“定遠”沈没エピソード」から書く。
昭和39年夏、阪神と巨人が首位をせり合っていた。たまたま当日、国鉄(現ヤクルト)対阪神戦が神宮球場で、巨人対中日戦が後楽園球場で行われた。
さて、試合は神宮球場が早く終わり、阪神が勝った。そこで阪神担当記者が藤本定義監督のところへ談話取材に集まった。すると、この時点で60歳になっていた藤本監督は、担当記者をじろりと見渡したあと、後楽園球場の方向をアゴでしゃくり、ひとことだけいってのけた。
「いまだ“定遠”沈まずや」
いい終えるとさっさとバスに乗り込み、宿舎に帰ってしまった。若い担当記者は意味がわからない。そこで翌日、神宮球場に現れた藤本監督を取材した結果、次の意味がわかった。
明治28年2月、佐佐木信綱作詞、奥好義作曲による「勇敢なる水兵」という歌が作られた。一番の歌詞が——、
煙も見えず雲もなく、風も起らず浪立たず……
で始まる、あの歌である。
その第5番の歌詞にこういうのがある。
間近く立てる副長を
痛む|眼《まなこ》に見とめけん
声を絞りて彼は問う
まだ沈まずや定遠は
つまり標的にした敵の軍艦“定遠”はまだ沈没しないのかという確認である。いいかえれば、阪神と巨人は首位をせり合っている。そこで藤本監督は担当記者に「後楽園の巨人はまだ負けないのか」そういう意味をいった。
担当記者の「その名セリフは、とっさの間にとび出したのか」という質問に、藤本監督は余裕をもって答えた。
「きのうは勝ち試合だったから、試合中に名語録はないかと、ずっと考えていたんだ」
話題を水谷に移そう。
なぜ私は水谷の話を書くのに、藤本定義をめぐる軍艦“定遠”沈没の話題を先に持ってきたのか。
実は水谷も17年にわたるプロ野球現役生活を通じてただ一度だけ、プレー中に“ヒーローインタビュー語録”を考えた試合があるからだ。
人間なんて不思議なものだ。
「勝負は冷酷だ」なんていいながら、勝つとわかると試合中に、試合が終わったあと、どういうカッコいいセリフを吐こうかと考える。
昭和51年6月16日、広島球場で広島対巨人13回戦が行われた。四回表、巨人の攻撃が終わったとき、スコアは2対1、巨人がリードしている。
広島は四回、三番・ホプキンス一塁手が遊ゴロのあと、四番・山本浩二中堅手が中前安打、五番・シェーン右翼手の左翼線二塁打で2対2の同点とした。なお逆転の場面に六番・衣笠祥雄三塁手は投ゴロで、シェーンは動けない。こうして二死二塁の場面で七番・水谷(当時左翼手)が右打席に入った。
カウント1─2後の4球目、水谷は高橋良昌投手から左翼席逆転2点本塁打を打った。水谷は二塁ベースを回ったところで、体中がぶるぶるとふるえた。小便をちびりたくなるような感動とは、こういうものかと思った。
広島は外木場義郎投手が投げていた。外木場は一回に2点とられたが、二回以後ぴたりと抑えている。八回裏、広島の攻撃が終わったとき、スコアは4対2、広島がリードしたままだ。
勝つか負けるかわからないうちは、他人の目など計算に入らない。目をつり上げ、鼻の穴をふくらませて勝とうと思う。
ところが、いったん勝てるとなると、色気がにじみ出てくる。この試合の水谷がそうであった。
「このまま勝てばヒーローインタビューは私に違いないと考えたんですよ。そこでアナウンサーにカッコよく答えようとダグアウトにもどってくると、名セリフ、名語録、名文句を考え考えしていたんですねえ」(水谷実雄)
私は意地悪く、どんな名文句を思いついたのかと質問すると、
「ダイヤモンドを走るとき、体中が炎と燃えました」といったたぐいの、名文句だったそうだ。
さて九回表、巨人の攻撃が始まった。二番・高田繁(現日ハム監督)三塁手は中飛、三番・張本勲左翼手は一ゴロで二死になった。水谷は左翼守備位置にいて、胃袋のあたりからこみ上げてくるものがあった。
「もう勝った、もう勝った。ヒーローインタビューになったら、あしたの新聞の見出しになる名セリフを吐いてやるぞ」
だが、勝負の世界は自分を軸に回ってはくれない。それから数分後、水谷はこの試合こそ、生涯忘れられない試合だと、真っ青にふるえ上がるのである。
四番・王貞治一塁手は左翼線になんでもない飛球を打ち上げた。しかし“王シフト”で山本浩は右中間深く移動、水谷も左中間に寄っている。しかも、王の打球は左へ左へ切れていく。水谷が追っても追っても、打球は逃げていく。最後は水谷の1メートル先へポトンと落ちた。
五番・末次利光右翼手は四球、六番・土井正三二塁手は遊撃内野安打となり、気がついたら巨人は二死満塁に持ち込んでいた。ここで七番・吉田孝司捕手の代打・原田治明が右中間二塁打、巨人は5対4と逆転した。この間、わずかに5分間であった。
5分前、水谷はあと一人、この王さえ料理すれば、おれはヒーローインタビューだと、胸の内でどなっていた。それが5分すぎてみたら、自分のまずい守備が直接の原因で逆転されていた。
「王さんの当たりは記録こそ安打なんです。でも捕球できない打球ではなかった——。ダグアウトへもどったら同僚がみんな、そういう目で見るんです。しかも面と向かっては文句をいうやつは一人もいない。あれはこたえたなあ。1週間ぐらい、家に帰ってタメ息ばかりしてました」(水谷実雄)
原田の右中間二塁打で5対4と逆転されたあと、広島の九回裏の攻撃が残っている。だが、シェーンが三振、衣笠が中飛で二死となり、ここで水谷に打順が回ってきた。
「本塁打を打てば同点、せめてさっきの守備のお粗末さのつぐないになる」
そう考えた水谷は、初球から本塁打を狙った。初球、加藤初投手の速球を空振り。2球目、カーブを空振り。3球目、高めのつりだまを空振り三振した。
ヒーローインタビューどころか、3時開16分の試合時間が終わってみたら、一人で勝ち試合をぶちこわしたのが水谷であった。