陝西(せんせい)の商郷(しようきよう)の郊外で、旅人が一人の男に呼びとめられた。
「もしもし、どちらへいらっしゃるのですか」
「都へ行くところです」
と旅人が答えると、男は、
「わたしも同じ道を行くところです。途中までごいっしょさせてください」
と言った。
何日かいっしょに旅をつづけたところ、ある日、男が急に、
「じつは、わたしは亡霊なのです」
と言いだした。
「あなたを見込んでお願いしたいことがあるのですが、きいてくださいますか」
「さあ、わたしにできることなら……」
と旅人が言うと、亡霊は、
「わたしの家の金銀のやつらが謀叛(むほん)をおこして、戦乱がやまないのです。あなたにひとこと言っていただけば戦乱がしずまるのですが、お願いできましょうか」
「どこへ行って、なんと言えばいいのですか」
「わたしの家の前で、『勅命により金銀の一味を斬罪に処す』と、大声で言ってくださればよいのです」
「おやすいご用です」
ちょうど日暮れどきであった。道の左側に大きな塚があった。亡霊はその塚を指さして、
「これがわたしの家です。この前で、大声でおっしゃってください。そうすれば万事かたがつきますから」
と言うなり、その塚の中へはいって行った。旅人が亡霊にたのまれたとおりに言うと、まもなく、塚の中から首を斬り落すような音がきこえてきた。しばらくすると、さきほどの亡霊が、手に幾つもの金銀の武人の人形を持って塚の中から出てきた。その人形はみな首がなかった。亡霊はそれを旅人に渡して、
「さきほどはありがとうございました。これをお持ちになれば、一生ゆたかに暮していけましょう。お礼のしるしです」
と言った。
旅人は旅をつづけて都の長安に着き、亡霊にもらった人形の一つを売った。と、その翌日、捕盗役人が宿へやってきて、金銀の人形を押収したうえ、墓場荒しの犯人として旅人を役所へ連行して行った。
「どこの墓をあばいたのだ」
と旅人は詰問された。
「あばいたのではありません。亡霊からもらったのです」
と、旅人がありのままを話しても、役人は信用しない。とにかくその墓を調べてみようということになり、旅人を案内に立てて墓へ行ってみたが、墓には掘り返したあとがない。役人は怒って、
「でたらめを言って、罪をごまかそうというのか」
と言ったが、旅人が、
「わたしに金銀の人形をくれたのは、まちがいなくこの墓の亡霊です」
と言い張るので、念のために墓を掘り返してみたところ、中から首を斬り落された金銀の武人の人形が何百と出てきた。亡霊が旅人に渡した人形は、その中の幾つかであることはまちがいないことがわかり、旅人は釈放されたのであった。
唐『広異記』