これほど一生懸命頑張っているダイエットであるが、あるところまできたら体重が全く減らなくなった。よくあるスランプというやつですね。
しかしたとえスランプだろうと、甘いものには手を出さないようにする。このあいだイタリアンレストランへ出かけたら、世にもおいしそうなデザートの盛り合わせが出た。けれども私は手を出さなかった。
おとといはある集まりで、女性パティシエがつくる評判のケーキとシュークリームを目の前に出された。
「ハヤシさんのために用意したんですよ。どうぞ、どうぞ」
しかし私は断った。が、残すのは失礼なのでこう言う。
「夫が甘いものに目がないんで、これ、つつんで持ち帰ります」
箱に入れてもらう。みんな私のことを、夫思いの何ていい奥さんだろうと思う。一石二鳥よ。
ところで今、世間はキムタクと工藤静香の恋のゆくえで大騒ぎである。テレビや新聞の人は種子島《たねがしま》にまで追っかけていっている。スターっていうのはなんて大変なんだろう。
私のまわりでも、寄るとさわるとこの話題である。
「ねえ、キムタクはどうして静香を選んだんだろう」
若い友人が不思議がる。
「あの二人、全然合わないような気がするんだけどなあ」
「強気なイメージの静香の相手は、やっぱりヴィジュアル系のロッカーがぴったりで、正統派二枚目のキムタクじゃ違うような気がする。またキムタクにしても、鼻っぱしらの強そうな静香じゃなくて、もっと女っぽい人の方が合うような気がする」
と、みんな余計なお節介をしているわけだ。私はこう解説する。
「私はキムタクが静香を選んだワケ、わかるよなあ。いくら大スターのキムタクだって、いろいろストレスを抱えてると思うよ。やれ、仕事でこんなことがあった、あんな記事を書かれた、バカヤローって思うことだってあるはずだよ。
それをさ、今までのガールフレンドはさー、
『ひっどいわ、そりゃあっちがいけない』
とか、
『タクヤにそんなことするなんてヒドイ』
とか必死に慰めたと思うの。女ってさ、ほら好きな男が落ち込んでる時、言葉を尽くして一生懸命励まそうとするじゃん。だけどね、静香はまるっきりしなかったと思う。キムタクが何か愚痴をこぼしかけたらさ、あの鼻にかかった声で、
『いいじゃん、いいじゃん、そんなの気にしないー』
って言ったと思う。それがさ、キムタクの心をどれだけ晴れやかにしたか、私わかるような気がする。今度のさ、種子島行きだって静香が言ったと思う。
『書きたい人には書かせればいいじゃん。それよりかうんと綺麗《きれい》な海に行かない方が損だよ。マスコミが怖くって一生何もしないつもり? このまま年とっちゃうつもりなの?』
とか言ったんだよ」
私は皆の前で、静香のあの物真似をして熱演した。
実を言うとこの私、本物の静香ちゃんに会ったことがある。あれは二年前のことだ。「源氏物語の着物」展というやつだった。二十人の人たちが自分の好きな源氏物語のヒロインを着物にデザインしたのである。大きな展覧会が行われ、各着物にブースがつくられた。静香ちゃんの着物は確か「紫の上」をイメージしたもので、春の野が拡がるような着物だったと記憶している。絵を描く人だけあって、とてもセンスがよかった。
私があたりをうろうろしていると、静香ちゃんがやってきた。どよめきたつマスコミ陣。ついでにという感じで、
「ハヤシさん、静香さんと並んでにっこりしてください」
そこで初めて彼女に会った。本当にあの声で、
「あー、ハヤシさん、こんにちはー」
と言った。愛想がいいわけでも媚《こ》びるわけでもなかったけれど、私は感じがいい子だなあと好感を持った。
しかし驚くべきはその細さである。黒いスーツを着ていたこともあるけど、ウエストのあたりなんか私の三分の一くらいだ。抱き締めたらぽきっと折れそうな感じ。
私はつくづく思う。あったかくて包容力のある女は、ぽっちゃり型だなんていうのは、遠い日の伝説である。今のおふくろさんタイプは、自分もスポーツをバリバリやる。スレンダーな体型を維持出来る意志力、つまり男っぽさが必要条件なのではなかろうか。この行きつくとこまでいった母性社会においては、母親の役割プラス父性の要素だって大切なんだ。ま、余計な推測というもんだけど。