私のおしゃれの教科書といえるのは、「アンアン」のお姉さん雑誌「ギンザ」である。
このあいだは「ハイカジュアル」という特集をやっていた。その中のひとつで注目を浴びているのが、ニュートラスタイルと書いてある。大切なアイテムとして、ショルダーバッグ、クロスのペンダント、プリーツスカートなどが挙げられていて、私はすっかり嬉しくなってしまった。
年増の強みで、こういうものはみんな持っているではないか。特に自慢なのがエルメスのバッグかしらん。黒のショルダーで、十五年前にパリの本店で買い、そのまま戸棚の奥深くしまわれていた。今じゃこういうのが、ヴィンテージといって、もてはやされるのね。
クロスはこのあいだ「ミキモト」で買ったダイヤ入りのもあるし、ブラウスは昔のシルクのやつをとってあるわ。これで私の夏のファッションは完璧《かんぺき》ね、と思ったところ、秘書のハタケヤマが言った。
「今日のハヤシさん、何だかいつもと違ってヘン」
たまたま居合わせていたファッション誌の編集者も頷《うなず》く。
「ハヤシさん、それじゃただの古着をまとめて着てるような感じですよ。ブラウスが特に古いですよ。やっぱりそれだったら、プラダのボウネックを合わせなくっちゃ」
というわけで、私はさっそくその日のうちに、丸の内のプラダに出向いた。もう皆さんご存知だと思うが、丸の内のオフィス街にどーんと巨大な路面店がオープンしたのである。洋服はもちろん、靴、小物とすごい品揃えである。が、見てまわっているうちに私は青ざめる。
私は、ものすごく思い上がっていました。
「もうどんなサイズでもOKよ。この世の洋服はすべて私のものなのよ」
が、それは大変な間違いだということがここに来てすぐにわかった。プラダというのは、どうしてこんなに小さいんじゃ。特に今年のラインは肩幅がない。いちばん大きなサイズを胸にあてたけど、もうまるっきり着られないのがわかるわ。
そお、私って大デブからただの小デブになっただけなのね。そして店員さんが近づいてきて、私のいちばん嫌いなセリフを言った。
「おサイズ、お探ししますよ」
が、お探ししてくれたブラウスもボタンがはまらない、ていたらく。ようやく別のデザインでボウネックのブラウスを見つけることが出来た嬉《うれ》しさ。
が、SAKURAのスカートをはけた私(ヒップボーンであるが)は、下半身の方がすっきりしていたらしい。スカートは難なく入ったのである。七〇年代を思わせるプリントのスカートだ。が、これでもう私はすべてOKよ。先端をいくニュートラガールよ。
テツオは言う。
「七年前のブラウスを着ようなんてセコいよ。昨年のブラウスはやっぱり古いでしょ。やっぱりおしゃれと言われたかったら、今年のものを買わなきゃ」
じゃ、ヴィンテージになるのはいったいいつ頃からかと問うたら、テツオもよくわからないそうだ。
「十年ぐらいかな。世間がヴィンテージと決めたら、それがヴィンテージになるんじゃないの」
だと。が、口惜《くや》しいのは、昔捨てたいくつかのディオールのバッグである。CDのモノグラムがすっかりダサいと思って捨てたのだが、全く惜しいことをした。が、ワードローブというのは限界がある。特に私のように、洋服をやたら買う人はすぐに満杯になる。そこで私はまとめて人にあげたり処分したりするのであるが、そこでかなり迷う。
「もう出番はないわよね。もうこれが再び流行っていうことはないわよね」
しかし時代は私を裏切って、ヴィンテージや古着、なんてものを流行《はや》らせるのである。だから私は心に決めた。これから洋服を処分することにしても、絶対に小物を捨てない。そうよ、いくらテツオに脅かされようとも、バーキンをオークションに出すようなことは絶対にやめるわ。
エルメスといえば、こんなことがあった。昨年の九月にパリへ行った私は、本店で赤いケリーをオーダーした。赤が大流行だった時だ。カジュアルな格好に、赤いケリーを持ったら可愛いだろうなあと考えたのである。が、ケリーはとても時間がかかってしまった。何度もファックスでやりとりをして、
「今週、革を裁断します」
という知らせを受けたのが、何と今年の四月である。もう赤の流行は終わってしまっている。私は口惜しくてたまらなかった。どうせなら変わった色にしてもらえばよかった。デニムもしゃれているんじゃないかしらん。
ところがテツオが教えてくれたところによると、パリのセレブリティを中心に、最近急に赤いケリーが注目を集めているということである。こんなのは小さなヴィンテージといおうか、ツボにはまった珍しい例である。
が、私はたいていの場合、微妙にずれる。世の中で流行をつくっているのはいったい誰なんじゃ。