ダイエットを始めて二ヶ月、そお、いつもの大きな壁にぶつかった私。
体重が思うように減ってくれないのである。うつうつたる日々をおくり、それが顔に表れるのが年増のつらいところだ。
そおーよね、いくら頑張ったってモトがモトだもんね。限度っていうものがあるわよねえ、などと思い始めた私に襲いかかる悪魔の誘い。
このあいだの日曜日は、友だちが焼きたてのル・ヴァンのパンを持ってきてくれた。袋のままでも、ぷうんとにおうパンのかおり。おまけに季節限定の夏ミカンのパイっていうのも入っている。これがうまいの何のって。大きなカタマリを食べてしまった。
次の日は、山本|益博《ますひろ》さんの本に出ていたギョーザの店に行く。ここはうちの近くの商店街というへんぴなロケーションにもかかわらず、遠くから食べに来る人が絶えないという。つるっとした水ギョーザがおいしくて、夫と二人で三皿も食べてしまった。
タブーの小麦粉を口にしてしまったわけであるが、私のダイエット法ではトンカツがOKである。パン粉を多めに使ったと思えば、ちょっとぐらいの(でもないが)パンやギョーザはいいんじゃないかと思う心のたるみが、すぐに結果に表れる人体の不思議さ、ダイエットの意地の悪さである。
こういう時、被害者意識に陥るのが、私のいつものパターンだ。私はそりゃあ、パンとギョーザを食べたかもしれないが、甘いものはこの二ヶ月間口にしていない。フレンチに行っても、イタリアンに行っても、デザートは見て見ないふりをしてきた。それなのに私の友人たちは、アイスクリームや、ケーキを頬張っていたではないか。頑張って耐えた私が相変わらずデブで、あの人たちは痩せている。こんな理不尽なことがあってもよいものだろうか。
つらいことはまだある。このあいだ通りすがりの店で、可愛いミュールを見つけたので入っていった。が、どんな大きなサイズを出してもらっても私の足には入らない。
「これはどうでしょうか」
むこうも気を遣って、いろいろ出してくれるのであるが、もう「シンデレラ」のお姉さん状態だ。小指分ちょんぎらなくては絶対にはくことが出来ない。
今日もデパートの靴売場に行って、やーな気分になった。今年はサンダル、ミュールなしではファッションが完結しない。パンプスと合わせたら最後、すっかりダサいおばさんスタイルになってしまうのだ。みんな素足に信じられないぐらい高いかかとのサンダルをはいている。きゃしゃで細いヒールのサンダルだ。私はあれをはくことが出来ないと思うわ。
いまのコは確かに足が大きいが、それはタテが長いことであって、私みたいに幅広、甲高は珍しいと思うもの。
そーよ、そーよ、私なんかいくらおしゃれに精出しても限界があるのよと、すっかり落ち込んだ私である。
そしてまだオマケがあり、決算に来た税理士さんから、
「服にお金を遣い過ぎです」
と注意を受けた。なんと昨年一年間で使った服飾費を、五月までに使ってしまった私である。銀行の残高は減っていくばかりだというのに、イマイチ効果がないというのは自分でもわかっている。
あー、今度生まれ変わったら、ほっそりとした美人になりたい。そして男にさんざん貢がせ、悪いことをして生きていくのよ。
思えば私の人生は、さんざん男の人に気を遣い、尽くして尽くしてその結果なめられるということの繰り返しであった。
つい最近のことであるが、私の女友だちのひとりを食事の席に誘った。彼女は私の女友だちの中では数少ない魔性系の女である。するとどうであろう、あっという間に彼女は、その場にいた私の男友だちのひとりとデキちゃったのだ。男の方は彼女にメロメロで、貢ぎまくっているという噂である。
自慢じゃないが、私は男の人に貢いでもらったことがない。それどころか貧乏な男には、かなりいろいろしてあげたぞ。
いま時代ははっきりと悪女の時代へと向かっている。陰で何かしててもいい。素性が怪し気だっていい。とにかく男に金を遣ってもらい、気も狂わんばかりに尽くしまくってもらう女。そういう女がはなつ一種のオーラにみんながやられてしまう感じである。叶《かのう》姉妹なんて、ひと昔前だったらとても表舞台には出てこられない人たちだったであろう。けれども多くの女のコたちが、うさんくさいものを感じながらも、
「あれだけキレイで、あれだけ目立てばいいじゃん」
と認め始めている。私はいままで、いろんな女の流れを見てきた。女の自立が叫ばれ、多くの女たちが頑張ってきたのもこの目にしてきた。けれどもいまぐらい、善良な女が生きづらい時はないような気がする。悪の美学とでもいうのだろうか、バブルがはじけた後、美しさだけで生き残った女たちが、やたら目につく。
これはいっときのことでこんなのがいいとも思わないが、次に来る女たちはまだ姿を現していない。