今を去ること十五年前に、私は直木賞をいただいた。世の中に文学賞はいっぱいあるけれど、いちばん有名な賞で、これを獲るのと獲らないのではやっぱり作家として全然違う。
その時はすごく若い受賞ということに加え、私のキャラクターもあり、あれこれ書かれた。「話題づくりのために受賞させた」なんていうのはいい方で、もっとひどいのになると、
「あんな女に獲らせて、直木賞の権威が落ちた」
とまで言われたわ。
私は世間で思われているほど勝ち気でもなければ、闘争心もあるわけではない。どちらかというと、当時はぼんやりとした、怠け者の女だった。が、あんまりいろいろ言われるのですっかり頭にきた。そりゃ、そうでしょう、直木賞を目標に一生懸命小説を書いてきたんだから。
授賞式のことを今でも憶《おぼ》えている。受賞者はステージの上に立って挨拶《あいさつ》をすることになっているのだ。普段はあまり緊張することのない私だが、この時は頭が真白になり、しばらく言葉が出てこなかった。
そして、やっと出てきた言葉がこうだ。
「選考委員の皆さん、本当にありがとうございました……。でも、決して後悔はさせませんから」
この時、会場は少しどよめいたように記憶している。そお、私が、私って実はものすごく負けず嫌いなのだと思った瞬間である。そうよね、最初から負けず嫌いで勝ち気な女なんていない。特に私みたいに人よりすぐれてるものなんか何もないまま、ぼんやりと生きてきた人間なんか特にそう。
よく私は若い人に言うのだけれど、勝った記憶があるから、勝った快感を知っているから人間は勝ち気になるんだ。男の人にこうした記憶はあるが、女はとても少ない。だから女が勝ち気になるってとっても大変なんだ。
そして十五年がたち、私は今年直木賞の選考委員になった。まさか私がそんな作家になれるなんて思ってなかったのでとても嬉しい。もちろん最年少である。このニュースをテツオに伝えたところ、彼は驚きのあまり、
「マジかよ……」
とカバンを地面に落としたくらいである。
私は思う。もしデビューして、誉められたりチヤホヤされっぱなしだったら、私は絶対にこんな風にはなっていないだろうって。人間、誉めてくれる人がいなけりゃいじけてしまう。だけども叩《たた》く人がいなければ、ファイトもわいてこないし勝ち気にもなれない。このバランスって、とっても大切だったんだね。
ところでこの選考委員就任をお祝いして、仲間がパーティを開いてくれた。といってもごく小さなものである。割りカンで七人でご飯を食べた。幹事のひとりを除いて全員が男性。それもハンサムばかりである。
みんな若いしお金も持っている人だ。酔うに従い、話はHな方向に進んだ。
Aさんが言うには、ひとりの女性とは五回以上しないそうである。
「情が移って、めんどうくさいことになるから」
この人は結婚しているが、やはり既婚者のBさんが言った。
「五回もするなんてすごいな。僕なんか二回以上は絶対にしない。どんなにつらくても我慢する。一回だとあっちも遊びだと割り切ってくれるから」
と勝手なことをしている。さる名家の御曹司であるCさんは、三十代後半で独身である。彼は某女性有名人とつき合っていたことがある。人によると、
「モデル、タレント、スッチー、東京中の美女と呼ばれる人とはたいてい関係を持った」
というくらいの凄腕《すごうで》である。どうして結婚しないのと聞いたら、
「悪い噂が立ち過ぎて、誰も寄ってきてくれないんだ」
なんて誤魔化していたが、こちらが、
「�女は脱がせりゃ、皆同じ�っていう境地に達したんでしょう」
と問いかけると、そのとおりとつぶやいた。
どんな美人も人妻も、口説けば亭主や恋人も裏切ってこっちの方にくる、それがもう空しくなったんだそうだ。
お、こんな人生もあるんだなあと私は感心した。私なんかまだ夢を捨てていない。キレイになろうと思うのも、ダイエットに精を出すのも、男の人に寄ってきてもらいたい、好きな男が出来たら、何とかこちらのものにしたい、という願望を持っているからである。だって人生で一度くらい、モテモテになりたいんだもの。さっきの勝ち気の原理と同じである。こんな私でありますが、過去に二回くらい男の人がわりと寄ってきた時期があった。ウソーッと言いたいくらいのことがあったんですね。あの記憶があるから私は頑張れる。そして同時にモテないから何とかしようと思う。そう、結局はバランスなのね。
私はこの会のことを別の男友だちに話したところ、
「女もちょっと金と名誉を持つと、いい男をはべらしてうまいもん喰《く》う。男と全く同じことするね」
別のことで嫌味を言われたワ。