結婚する意志がない人を、ふつう「縁遠い人」とは言わない。こういう人は今回読まないでね。
結婚する意志はあるのだけれど、出来ない女の人を「縁遠い」と言う。私のまわりにはなぜか「縁遠い三十代の女性」がものすごく多い。知り合った頃はピチピチの二十代なのに、なぜか私と親しくなると結婚から遠ざかっていくみたいだ。
「ハヤシさん、どなたかいい方いませんか。お願いします」
「ハヤシさん、何とかハッパをかけてくれよ」
と、彼女たちの母、姉、兄(あまり父はいない)から頼まれる。私はこの忙しいのに、手持ちのカードから感じのよい男を選び出し、食事をセッティングしてあげるの。
けれどもうまくいった例《ため》しがない。みんな一回ごはんを食べ、あるいはもう一回会ってサヨウナラーということになってしまう。
この反対に「恋多き女」とか「魔性の女」と呼ばれる人を見ていると、最初会った時に必ず勝負をかける。偶然に私が引き合わせると、後は「アレヨ、アレヨ」ということになってしまうのだ。驚くぐらい素早い。
こういう人と比べて、私は少しずつであるが、なぜ彼女たちが縁遠いかわかるようになってきた。縁遠い女の第一の特徴は、一度決めた予定を決して崩さないことだ。
「今日さ、おいしいイタリアンの店、席が取れたから行こうよ」
などと電話をしても、
「今日は早くうちに帰って、いろいろすることがあるから」
と頑として聞かない。
「でもさ、そんなこと明日にだって出来るじゃない」
「でもね、まとまった時間がとれるのは今日だけだし、しようと思うことをやめるのはイヤだから」
だと。私のように「ついでに」とか「思いついたから」という言葉も大嫌いだ。
男の人との出会いは、「ついで」に寄ったまわり道に案外多いものなんだけどね。
そして縁遠い人の大きな特徴として、家族とやたら仲がいいことが挙げられる。私の知り合いに、やはり娘が結婚出来なくて困るという人がいた。その人がうちのピアノを見てこう言った。
「うちでは夕食を食べた後に、よくみんなで合奏するんですよ。娘がピアノ、僕がバイオリン、妻は何も出来ないからたて笛を吹かせます。息子は時々歌を歌うかな」
私はへえーっと思った。十二、三歳ならいざしらず、ここのお嬢さんは三十過ぎているのだ。家族と合奏して楽しいなんて、ちょっと悲しいんじゃないだろうか。
また縁遠い人、というのはもともとまじめな人が多いから、仕事を一生懸命する。給料が少ない、つまんない仕事でも一生懸命する。私は男性を紹介しようと、ある女性を何度も食事に誘ったが、そのたびにドタキャンされた。
「すいません、急な仕事が入っちゃって、どうしても行けないんです」
私はやさしいので、彼女の暇な時を待つつもりであるが、こういうのって相当むずかしいかも。
また縁遠い女の特徴として、姉妹がいるということも挙げられる。これがいろいろな心の葛藤《かつとう》を生むのだ。姉、もしくは妹がエリートと結婚し、幸福な生活を営んでいると、さらに上を狙ってしまうし、反対に不幸な結婚だと、よくないモデルケースとなることもある。
三十を過ぎると、若いコのように合コンに励む、というわけにはいかない。メールも入ってこなくなる。自力ではなかなかむずかしくなってくるのだ。私のまわりにいるコたちは、性格のよいコたちばかりだ。美人といってもよいだろう。結婚なんかするつもりはない、と言い切るキャリアウーマンタイプでもなく、ごくごく普通のお嬢さんばかりだ。が、こういう感じが、いちばんむずかしくなってきている世の中かもしれない。
「ハヤシさん、私、もうダメかと思うんですよね」
「そんなことないでしょ。あなた、まだ三十歳になったばっかりじゃないの」
「いいえ、もう三十四です」
「あら、もうそんなになるの」
「前にハヤシさん、言いました。三十過ぎると後は早いよー、坂をころがるようだって言ってたけど本当ですね」
そんなことに感心しちゃダメなんだってば。私はこういう女のコたちと、ちまちまとした遊びを楽しんでいる。一緒に歌舞伎やコンサートに行ったり、おいしいものを食べたりしている。
そうそう、縁遠い女のもうひとつの原因は、いい女友だちを持っているということですね。彼女によって日常の楽しみが完結されてしまうのだ。特に私のように、年上でお金もっていて世話好きの女というのは、実は彼女たちに悪影響を与えているのかもしれない。
ある人からこう指摘された。
「ハヤシさんが紹介する男って、あんまりいいのがいないんじゃないの。だから彼女たちは失望しちゃうんだよ。ハヤシさんって、いいのは、絶対自分のためにとっとくタイプだもんね」
そんなことは……ない。手持ちのコマの中でも、いちばんと二番ぐらいはあんまり市場に出さないけど。