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落語特選18

时间: 2019-09-22    进入日语论坛
核心提示:紺屋高尾神田に紺屋町という、染物屋が軒を並べた一|区劃《くかく》がある。そこの紺屋で吉兵衛という染物職人の店《たな》には
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紺屋高尾

神田に紺屋町という、染物屋が軒を並べた一|区劃《くかく》がある。
そこの紺屋で吉兵衛という染物職人の店《たな》には奉公人が十五、六人もいる、その奉公人の一人の久蔵というのが、この噺の主人公……。
「おい、お光っ、久蔵《きゆうぞう》のやつが、三日ばかり仕事に出て来ねえようだが、どうしたんだ?」
「それがねェ、親方、蒲団かぶったまま寝ちまって、あたしが行って、声をかけても返事も碌《ろく》すっぽしないでさ」
「寝たっきりで……どうしたんだ、食いものは?」
「なんにも食べないんだよ」
「それァいけねえやな。そのまンま打《う》っ捨《ちやつ》といたら困らァな」
「医者に診《み》せないとねえ……」
「そういうところは女房のおめえが気を配って、こっちにいちいち言わなくっても医者に診《み》せなくちゃいけねえじゃァねえか。お玉が池の先生に早速、診《み》せ……あ、あ、ちょうど先生が表をお通りになる。いい塩梅《あんべえ》だ……あ、ちょいと先生、武内《たけのうち》の先生、すいませんが……こっちへ……え? いやいや、いまね、お宅へ店《うち》の小僧をね、使いにやろうと思ってたとこで……いいえいえ、店《うち》の久蔵の野郎でしてね、ご存知でしょう? あいつァまァ、古い職人だし、真面目なやつなんですが、どうも三日ばかり仕事をしねえで、かかァの言うのには、蒲団をかぶって寝たっきり、返事もしねえで、三日ばかり飯《めし》も食わねえってんですが、どんな様子か、ひとつ診てやっていただきてえんで……」
「ほう、久蔵さんが……? あァよろしい。では拙者が診ましょう」
「いま、二階に寝ております」
「いや、案内はいらん、勝手はわかってますから……あァ、久蔵さん、起きてるか? おい、久蔵さん」(と、肩を叩く)
「ああッ……先生ですか」
「うん。どうしたんだ? おまえが加減が悪いと、親方とおかみさんが心配をしている。どんな具合だ?」
「へえ、うっちゃっといて下さい」
「いや、どんな具合だ」
「まあ、こんな具合なんで……」
「顔をしかめただけじゃあ、いくら医者だって、わからんが……うーん、脈《みやく》を診《み》よう、手をお出し」
「ええ、ようがす、どうせ長くねぇから」
「なに、いいてえことはない、脈を診る」
「脈はねえんで」
「ばかなことを言っちゃいけない。人間生きていて、脈のないやつはない。こっちへ手を出してごらん……(脈をとり)うんうん、なるほど、あァあァ、これァ別にさしたることはない。ぴょんぴょん脈だ」
「なんです、ぴょんぴょん脈てえ?」
「脈がぴょんぴょん搏《う》っておる。ふふふ、舌を出してごらん、口をあいて……もっと大きく……おう、大きな口だなどうも、あァ荷物ならよほど入る。舌を出して……あァ、別に熱気《ねつけ》はない、うん。……そうか、いやいやわかった、おまえは近ごろ珍しい病気にかかったな。『お医者さまでも草津の湯でも』……そうだろ」
「へえ……なんです、それ」
「『惚れた病は治《なお》りゃせぬ』という唄があるが、恋煩《こいわずら》いをしているだろ? え? いやいやいや、隠してもいかん。相手は素人ではない、いま全盛の三浦屋の高尾太夫におまえが思いをかけていると、あたしが判断をした。そうだろ……ちがうか?」
「へえー……こりゃ驚いたね、どうも。脈を診《み》たりなにかするとそんなことがわかるんですか」
「ははは、脈でわかったわけじゃないよ。いま、あたしが二階へ上がってくると、おまえがなにか余念もなくこう……見ている、声をかけても返事もしないから、肩越しにうしろから覗いてみると、高尾太夫が道中をしている錦絵をおまえがよだれをたらして眺めている、肩を叩いたときにあわてて蒲団の下にしまったろ、うーん、まだ顔が半分出ている」
「え?……あ、いけねえ。ばれ[#「ばれ」に傍点]ちまったあ……しょうがねえ」
「どうしたんだ、話してごらん……なに? いやいや、親方やおかみさんには決して言わないから……どうした?」
「ええ……じゃあ、こんなことはねえ、親方やおかみさんには内緒《ねえしよ》にしといておくンなさいよ」
「うん、内緒にする……うん」
「ええ、あっしゃね、今年二十六なんでございます。いえもう、若《わけ》えってこたァねえんで、年季《ねん》も明けてるし、両親もありませんし、千住の竹の塚に伯父が一人いるんです。向うも子供はねえから、『てめえを引き取りてえ、親方に暇ァもらって、こっちへ来い来い』という手紙は来ているから、おれァ近々に暇ァもらって田舎のほうに引っこもうかと思って、友だちに話をしたところが、『おめえはまだ、吉原へいっぺんも行ったことがねえだろう、花魁《おいらん》の道中てえものがあるからいっぺん見ておけ』ってんで、そいからあっしゃね、いやだってそう言ったんです。ふだんから親方に『決してあんなところへ行っちゃならねえぞ。悪い病でも背負《しよ》った日にゃァ生涯《しようげえ》取り返しがつかねえから、足を入れる場所《ところ》じゃねえ』って言われて……で、あっしゃね、いやだってそう言ったんです。ったら、『ばかなことを言うない、ただ見るだけなんだから、とにかく話の種だ』てんで、連れて行かれましたが……初めてあっしゃァ見たが、きれいなもんですねえ、花魁てえものは……なかでこの高尾太夫、絵のようだなんて譬《たと》えをいうが、あァ、とんでもねえ、絵どころじゃねえ、人間にもあんなきれいな女《ひと》があるかと思ってねえ……ああいう花魁から、盃を貰えねえかったら、『ばかなことを言うな、ありゃァ大名道具といって、てめえたちはそばへも寄ることは出来ねえんだから諦めろ』と言われてね……しょうがねえから、仲見世でこの錦絵を買って帰《けえ》って来たんですが、諦めきれねえ。それからてえものは、花魁の顔が目先にちらついてしょうがねえんです。刷毛《はけ》をもって糊《のり》をしてると刷毛が高尾に見える、飯《めし》を食ってりゃ飯粒《おまんま》が高尾に見える、見るものがみんな高尾なんで……ええ。こうやって話をしているが、先生の顔が……」
「いや、ばかなことを言っちゃいけない、どうも気味の悪い男だな。こんなおまえ、坊主頭の高尾てえのがあるか。……え? 大名道具だから、うん、紺屋の職人には買えない? だれがそんなばかなことを言う……そりゃァね、見識を売るからそういうことを言う。しかし、売りもの買いものであるから……金を出せば買えるんだ、そうじゃない、え? なにを? いやァ、買えんことはない」
「そうすか! じゃァ、ありゃ……買えますかね、花魁に会える?」
「ああ。あたしがついて行って、きっと会わしてあげるから……うーん、そうだな、初会ならば、十両あればよかろう」
「十両! へえ……ずいぶん高えんですね、ひと晩で……?」
「そうだよ」
「あたしの給金は、三両ですからねえ」
「三両稼げれば結構じゃないか。ひと月か?」
「いえ、一年……」
「あァ、一年に三両か。じゃこうしようじゃないか。おまえがそれほど思うなら、三年辛抱できないか。……出来ます? そうかい。三年で九両貯めたら、あたしがそれに一両足して、必ずおまえに高尾太夫を会わせよう……いやいや、その間に身請にでもならん限り、決して一、二年でいなくなることはない。もしそんなことがあれば必ず噂になる。だから三年間、一所懸命、働きな、必ずおまえを花魁に会わせるよ」
「へえ、ありがとうございます。高尾太夫に会えるってえことを聞いただけで、なんだかもう胸がこう、すうーっとしてね、ええ、急に腹が減ってきてなんか食いたくなりました」
「おほほほ、正直なもんだ。食欲が出たか、あァ、それは結構だ。なんだ食いたいものは、おかゆでもそう言おう」
「いや、天丼と鰻丼を二つ、お願いします」
「そんなにいっぺんに食べちゃあ、身体に毒だ」
医者の花魁に会わせてやるのひと言が、久蔵の恋煩いに見事に効き、まもなく全快した。
 久蔵は、それから高尾太夫に会うために、給金をすべて貯め込んで一年で三両、二年で六両、三年で三三が九両となり、四年目の二月になった。
「おゥ、久蔵、まァそこへ坐ンねえ」
「へえ、親方、なにかご用で……」
「うん。昨夜《ゆうべ》な、おれが帳面を調べて見たところ、おめえの給金がおれのほうへ残らず預りになって九両貯まった。よく辛抱したな、え? しかしな、九両三分三朱までは端《はし》た金《がね》というんだ。もうわずかだが十両という声がかかれば、これを大金という。盗人《ぬすつと》でも十両盗みゃァ首を打たれるてんだから、ええ、おめえにな、おれがここへ一両包んでおいた。よく働いたから別に骨折りとしておめえにこれをやる。これでおめえの金が十両になったわけだ、わかったな? じゃ一緒に預っておくから、もう三年辛抱して二十両|拵《こせ》えろ。店を持たしてやるから、紺の暖簾《のれん》をかけ、瓶《かめ》の三つも埋《い》けて、鉄漿《おはぐろ》をつけた女房を貰って、『親方、どうぞこれを染めておくんなさい』『へえへえ、ようがす。明後日《あさつて》おいでなさい』かなんか、てめえが言えるようになるんだから、え? 一所懸命にやんなよ」
「どうも……ありがとうございます。いいえね、九両はもうね、わかっちゃいたんですが、あとの一両どうしようかと思っていたとこなんで、ええ。じゃ、買うもんがありますから、それをおくんなさい」
「買うもんがある? あァあァ、なんかおめえ、買いてえもんがあって貯めたんだ……そうだろうなあ、食いてえものも食わず、そうして金を貯めるってえなあ、なかなか容易なこっちゃねえや。うんうん、じゃ渡してやるが、なにを買うんだ?」
「へへへ……ま、そんなこと言えません。あっしが働いて貯めた銭をあっしが費《つか》うんですから……」
「なんだ、この野郎、変なことを言うねえ。そりゃ、おめえの金には違《ちげ》えねえが預っているうちはおれのもんだ。おめえがため[#「ため」に傍点]ンなるものを買うんなら渡してもやるが、さもなかったら十両はさておいて、鐚《びた》一文だって渡さねえぞ、なにを買うんだ」
「じゃ……言わなきゃどうしてもいけねンですか、駄目ですか?」
「いけねえ」
「いらねえやっ」
「なんだ、いらねえ?」
「ふん、いまさら十両になっておまえさん、惜しいからそんなけち[#「けち」に傍点]をつけてるんだ。そんな未練のかかった銭ァいらねえや。おまはんにみんなあげましょう」
「うーん? みんなくれるってえのか、ふふふ、おっそろしい気前《きめえ》のいい野郎だな。じゃ、貰った」
「貰うて言《や》ン……ほんとうにやりゃァしねえのに。そう言ったら出すだろうと……」
「だれが出すもんか、わからねえ野郎だな。だから、費《つか》いみちを言えてんだよ」
「じゃ、どうしてもいけねえんですか? じゃ金は要《い》りませんから、今日限りお暇《ひま》をいただきます」
「なんだい、暇をくれ? 出ていくのか……あァあァ、どこへでも行きねえ。おめえがいやだってえものを鎖で繋《つな》いでおくことは出来ねえんだから……いずれよそへ奉公はするだろうが今度の主人によく聞いてみねえ。こういうわけで先《せん》の親方に金は預けてあるがなんと言ってもくれません……おめえが無理か、おれが無理か、よく聞いてみねえ。どっちィ行くんだ?」
「西ィ行くんだ……ええ、盆の十三日には帰《けえ》って来ます」
「じゃ、なにか、おめえ、金ェ渡さなきゃ死ぬてえのか?」
「へえ……いくら働いたって、てめえの銭がてめえで費《つか》えねえぐらいなら生きてたってしょうがねえやな。……ひと思いに死にます」
「ああ、ああ、死にねえ死にねえ。ははは、そのほうがいいや。昔から、死ぬ死ぬっていうやつに死んだためしはねえってえからな。あァ、大川に蓋《ふた》はないから、立派に飛び込んで来い」
「あすこまで行くのは面倒くせえや、裏の井戸に飛び込む」
「ばかやろ。そんなことしたら、井戸の水が飲めなくならァ。ま、てめえぐらいどうも縁起の悪い野郎はねえ。死ぬほど買いてえものがあったらなぜ親方に言わねえんだ……なに? きまりが悪い? なにを言ってやんだ。きまりが悪いなんてのは、昨日今日来た職人の言うこっちゃねえか。てめえなんか十一のときから奉公して、さんざん寝小便をして、おれに厄介《やつけえ》をかけやがったんじゃねえか」
「ええ、それァずいぶん寝小便はしましたがね、このごろはしません」
「ばかなことを言うな。三十ンなって寝小便をしてりゃばかだ。だからその、なにを買うか言ってみなってんだよ、え? いやァ、決して怒らねえから」
「じゃァねえ……まだ買ったわけじゃねえんですからねえ、親方怒っちゃいけませんよ。……三年|前《めえ》に煩った一件なんで……」
「三年|前《めえ》? あァあァ煩ったことがある。お玉が池の先生に診てもらった、うん」
「そンとき……だから……がね」
「なんだか知らねえがはっきりしろよ。もしょもしょ[#「もしょもしょ」に傍点]してねえで、なにを買うんだか、はっきり言え!」
「高尾、買うんです」
「やけにはっきり言いやがったな。鷹を買う? 鷹なんぞおめえ、飼えっこねえじゃねえか。第一、あんなものはしょうがねえ、生餌《いきえ》で。鶯《うぐいす》かなんかにしておけ」
「鳥の話をしているんじゃねえんですよ。三浦屋の高尾太夫に会いてえから……食うものも食わずに貯めた銭なんですから、親方、どうかひとつ、渡しておくんなさいな」
「久蔵、つもってもみろ。吉原の全盛の花魁がおめえと会ってくれようはずがねえや。よしんば会えたところで、チラッと顔を拝んだだけで、ひと晩で大枚十両が消えるんだぞ。それでもいいのか……」
「高尾と会う以外に、あっしの夢はねえんです」
「おう、わかった! そこまで言うんなら……。おめえが三百文《さんびやく》女郎《じようろ》を買うんなら話にならねえが、相手は大名道具、ま、そう言っちゃなんだが、おめえは紺屋の職人だ。三年の給金を一夜の栄華に費《つか》っちまおうなんてのは威勢がいい。江戸っ子らしいじゃねえか。そういうことァ好きだ、おらァ」
「あらッ、そうですかい。じゃ……一緒に行きますか?」
「だれが一緒に行くやつがあるもんか。一人じゃ行かれねえだろ?」
「ええ、一人じゃ行かれませんから、お玉が池の先生が……」
「そうか……あァいい。うん、あの先生は、医者はまずいが、女郎買いは名人だ、ありゃ。うーん、あの先生がついて行きゃよかろう。いつ行くんだ。え? 今夜?……まあま、いいや。先へ湯ィでも入《へえ》って、少しきれいごとンなって来い。え? あァあァ、わかった。湯銭はあるか? そうか……へへへへ、お光か、もう少し早く帰《けえ》ってくりゃよかった。え? 久蔵の野郎、泣いたり笑ったりしやがっておかしかった……え? なにをって、久蔵のやつ、三年|前《めえ》に煩ったのァ、三浦屋の高尾太夫に恋煩《こいわずれ》えをしたンだとよゥ。それで三年の間、食うや食わずで銭を貯めた、とこう言うんだ。その十両を持って、これから吉原《なか》へ出かけるてえから、着物を出してやれ。え? 野郎はなにもありゃしねえやな、おれの着物を貸してやるんだな……そうだな、あんまり光らねえほうがいいだろう、結城《ゆうき》かなにか……あァ、帯は、茶献上《ちやけんじよう》がいい。それから羽織と、パッチ、みんな揃えとけ。なんにもねえんだから襦袢《じゆばん》からなにからな、足袋は何文だ、あいつは? え? あァそうか。じゃ、まあいいや、そいつも新しいの出しといて……おうおう、見ねえ、帰って来やがった。……久蔵、どうした?」
「どうも久しく湯ィ入らねえんでね、あとからあとから、垢が出てきやがってね、へへ、糠袋《ぬかぶくろ》を三つも使いました」
「おっそろしく使いやがったな、どうも。なんだ、鼻のあたま、赤くなってるじゃねえか」
「ええ、どうも、なかなかきれいにならないんでね、軽石でこすったんで……」
「ばかなことをするなよ。顔がなくなっちまうぞ……そこへ着物が出てら」
「あらっ、いい着物ですねこらァ……へえ、あっしにくれるン?」
「やるんじゃねえやな、貸すんだよ」
「あァ、そうですか」
「あ、その、パッチを先に穿《は》かなくちゃいけねえから……あァ、待て待て、……なんだ、その褌《ふんどし》は、染めたのか」
「どれ、これですか? いいえェ、別に染めたわけじゃねえんで、一昨年《おととし》の暮から締めてんで……へへへ、まだ水入らずなんで……」
「汚ねえものを締めてやがんだな」
「でもこりゃ、役に立つんで。明日雨が降るてえときは、この褌へべとっと湿りがくる」
「捨てちまえ……まあ、お光、締め替えを出してやれ、褌ぐれえきれえなのを締めろ。江戸っ子の面《つら》汚しだ。しっかりしろ……帯をもっときりっと締められねえのか、だらしのねえ野郎だ。こっちィ来い……さあ、締めてやる、よし……これでいい。お光、羽織を着せてやれよ」
「へへへへ、ありがとうございます。なにからなにまで……親方、ちょっと、羽織の紐《ひも》を結んでおくんなさい」
「駄々っ子だね、どうも……よし、さあ、これへ金が十両ある」
「へえー、これが十両っ、たいしたもんだ。いま、江戸で十両持ってんのァ、おれのほかに幾人《いくたり》ぐらいいるかなあ」
「そうたいしていやァしねえや。おゥ、それをじか[#「じか」に傍点]に入れちゃいけない。金入れてえものがあるから、その中へ入れて、それから紙入れへ入れて……で、今夜はな、そいつをお玉が池の先生に預けて、知らん顔の半兵衛でな、いいか」
「なるほど、吉原では久蔵じゃいけねえんだ。半兵衛になる?」
「なにを言ってやがン。知らぬ顔の半兵衛てんだ。洒落が通じねえや。とにかく、先生に万事任せて、鷹揚《おうよう》にしてなくちゃいけねえよ。……お光、雪駄《せつた》を出してやれ。まだ履いてねえほうの、お初《はつ》をこいつに履かせてやろう。道の悪いとこに跳び込まねえように気をつけろ。いいか」
「じゃあ、親方、おかみさん、行って参ります」
「行っといで。花魁を買うのかい」
「へへ、花魁を買って、帰りに提げて来ます」
「花魁が提げて来られるかい、それァ胴乱《どうらん》だね。いいかい、気をつけておいで」
「おうおう、久蔵さんじゃないか、どうした、たいそうめかし込んで来たな……え? うんうん、親方が承知で、上から下まで揃えて貸してくれた? そりゃ話のわかる親方だァ。おまえと約束もあるこったァ、忘れてやァしねえ。うんうん、案内をしてあげるがな。しかしどうも、おまえを紺屋の職人と言ったんじゃ向うが客にしない……いや、なぜといって、格式を売るんだから、こうしよう。ええ、野田とか流山《ながれやま》あたりは金持ちの多い土地だから、流山の大尽ということにしておまえを連れて行くから、いいか」
「あァあァ、なるほど。ええ、流山の大蛇《だいじや》になる……」
「いや、大尽、金持ちのことを言う」
「あァそう……ふふふ、十両ありますから」
「十両ばかりで大尽とは言えないが、家には何万両でも金があるという顔をして……で、向うへ行って、あたしのことを『先生』なんてえと値打がない、出入りの医者だから、構わず呼びつけに『武内《たけのうち》、これ、蘭石《らんせき》』、みんなでおまえを、旦那旦那と言って、敬《うやま》うから『あいよ、あいよ』と、大尽言葉を遣う。あまり口数をきかないよう、万事鷹揚にするんだ、いいか」
「へえ、おどろいた、むずかしいもんですねえ、大尽なんてえものは。そんなこと言わなくちゃいけねンですか?」
「やってごらん、武内《たけのうち》やと……」
「へ?」
「武内や、蘭石、とやってごらん」
「へへ、た、た、たけのこ……」
「なんだい、竹の子てえのは。いくら藪《やぶ》医者でも竹の子はいけませんよ。武内だ」
「たけのうちですか、武内……? あいよあいよ」
「なんだ、それじゃどうも、大尽に聞こえないな……『武内、蘭石……あいよ、あいよ』、もっとこう、ゆっくり言わなけりゃ……まあま、目白の糞《ふん》を一匙《ひとさじ》、それからぬるま湯を汲んで、手を洗わなければいかん」
「いえ、湯ィ入りました」
「いや、湯へ入っても爪際《つめぐし》に藍《あい》がある。それでは一見して紺屋の職人とすぐわかる。すっかり落としなさい、目白の糞で」
「あァなるほど……きれいになるもんですね、どうもへえ……じゃァ、そろそろ出かけますか」
「では、ぶらぶら行こう、うん。途中でやってごらん、『武内、蘭石や』と」
「ああ、あの稽古を……? へえ。武内、蘭石、あいよ、あいよ、と……」
「おう、その調子ならいい。えェ、ここでは少し位置が悪いから、もう少し先へ行って大きい声であたしを呼んでごらん」
「へい。……武内、蘭石」
「へいへい、旦那《だア》さま、ご用でございますか」
「あいよ、あいよ」
「なんだ、うまいじゃないか」
「へへへ、ものはやっぱり慣れなくちゃいけねえもんですね。じゃすいません、もういっぺんやりますから、へえ。武内、蘭石」
「へいへい、旦那《だア》さま、ご用でございますか」
「あいよ、あいよ。……へへ、武内……」
「そうのべつにやってちゃいけないよ、往来の人が笑ってる……おう、はなしは早い、もう来ちまった……あそこに見えるのがあたしの行きつけのお茶屋だが、しかし、ああいう全盛な花魁だから、いますぐというわけにはいかんかも知れん。いいか。何時《いつ》の幾日《いツか》という約束で帰るかも知れんから、それは承知でな、いいか……ま、とにかくあたしが行ってくるから少しお待ち……」
これから茶屋で先生が話をした。
「なにしろご全盛でございますので、ま、ちょっとお待ちを願いまして……」
茶屋も取り巻きがいいから信用して、すぐ三浦屋のほうへ伝えると、お客があったが急用で、これから帰る。いい塩梅に、花魁があくというので……上首尾にことが進んだ。
「さ、どうぞ、お大尽こちらへ……」
と茶屋へ通されたが、久蔵は、ただ、
「あいよ、あいよ」
と返事ばかりしている。
先生は冷汗をかき、化けの皮が露見《あらわ》れちゃいけないと、そうそうに三浦屋へ送り込んだ。
三浦屋の玄関には、主人の四郎左衛門が出迎えた。
「今日はようこそ御入来《ごじゆらい》でございます」
久蔵は花魁の部屋へ通され、先生のほうはこれでお役ご免と、茶屋へ引き返した。
久蔵は一人、部屋へ案内され、その部屋の絢爛豪華さに仰天、床の間には、遊芸の道具、琴、三味線、胡弓、月琴、木琴……と、ずらっと並んでいて、久蔵は夢の中にいる心持ちで、ぽーっとしている。そこへ番頭|新造《しんぞ》が手をついて、
「お大尽、御寝《ぎよし》なりまし」
「あ、あいよ」
「お大尽、御寝なりまし」
「えっ?」
「寝なまし」
「あァあ、寝るんですか? へへ、どちらへ?」
「どうぞ、あれへ」
奥の座敷に絹布《けんぷ》の夜具が二枚敷いてある。
吉原では初会は二枚。馴染から三枚敷くというのが規則。その蒲団もパンヤというものが中に入っているから二尺くらいある。それが二枚、久蔵は、見上げて、
「梯子《はしご》はないのかァ?」
と、思わず言いそうになったが……弾みをつけて跳び乗った。
しばらくすると、花魁が禿《かむろ》に手を引かれて部屋へ入って来て、久蔵の前へ坐った。
この坐りかたが、傾城坐《けいせいずわ》りといって、客のほうへまともに顔を向けないで、少し、斜《はす》に見せる。横からだと鼻が高く見える。どんな低い鼻でも、こうすれば少しは高く見える。
新造が、銀の煙管《きせる》へ煙草をつめて出すと、花魁がこれに煙草盆の火をちりっとつけて、ちょっとこれを吸いつけて、
「お大尽、一服|服《の》みなまし」
久蔵は花魁の手ずから煙管を、
「へへーッ」
と最敬礼してお札みたいに押し頂いて、ふだん煙草は服まないが、礼儀だと思って、火玉の踊るほど吸い込んで返した。
松の位の太夫とはいえ、お客さまに対しては、一通りの挨拶は欠かさない。
「主《ぬし》はよう来なました。おまはん、今度はいつ来てくんなますえ?」
紺屋の職人だから、
「明後日《あさつて》、来ます」
と言えばいいのに、久蔵はもう魂が抜けて陶然として、なにがなんだかわからない。感極まって、
「へえ……へへへへ……」
と泣き出した。花魁はあわてて、
「どうしなました? おなかでも痛いのざますか?」
「いいえ……へへ、……またいつ来てくれるとおっしゃいますが、今度来るときは、丸三年経たなきゃ来ることが出来ないんでございます」
「丸三年? どうして?」
「じつは……流山の大尽などではありません。お恥しいが、あっしは紺屋の職人で一年働いても三両しかできねえんで……三年辛抱して九両貯めて、それに親方が一両足してくれて、やっと十両になって……それで着物まで貸してくれて、これみんな、借り物なんでございます。褌まで借りまして……こうしてお目にかかることが出来ましたが……また来ようてえには三年働かなくちゃなりません。よし、また金は出来ても、花魁のほうでそのうち見世にいなくなりゃァ、もう二度とはお目にかかれませんので……それが悲しくって……」
高尾のほうも聞いていて、ぽろッと涙をこぼした。
源平藤橘《げんぺいとうきつ》、四姓の人に枕を交わすいやしい身を、三年も思いつめてくれるというのは、なんという情の深い人か、こういう人に連れ添ったら、仮令煩《よしわずら》っても見捨てるようなことはない、と……。
「それは、主《ぬし》、ほんとうざますか? 廓へ来る客でおまはんのような実《じつ》のある人はありんせん。主が三年稼がずとも、わちき[#「わちき」に傍点]は来年の二月十五日に年季《ねん》が明けるのざます。主のところへたずねて行きんすによって、わちきのようなものでよければ女房にもってくんなますか?」
「へへへ……ありがとうございます」
久蔵は、高尾を拝んだ……。
「それでは、こちらからたずねるまでは、もう決して二度とここへ来てはなりんせん。今夜の勘定は、わちきがよいようにしておきまほ。主の持って来なました十両は、持ってお帰り……」
と、久蔵はまた逢う日までの形見にと、香筐《こうばこ》の蓋を貰って、その晩は亭主の待遇というわけで、大門まで送ってもらった。
「えェ、ただいま、帰りました」
「で、どうしたい。花魁に会ったか?」
「へへへ、帰ったら、親方によろしく言ってくれってえました」
「嘘ォつきやがれ。どうした、振られたんじゃねえのか?」
「いいえ、いいお天気で……」
「天気を聞いてるんじゃねえんだよ。てめえなんざ、向うでいい扱いをしねえだろうてんだ、それを振られるってんだ」
「へへへ……素人は知らねえからそんなことを言ってんだ」
「なんだ、素人だあ」
「初会から、高尾がばかな惚れかたでね、へへ、初会惚《しよかぼ》のべた[#「べた」に傍点]惚《ぼ》、来年の二月の十五日、へッ、すってけてんてんのてん……」
「あ、踊ってやがる。しょうがねえ、とうとう気が狂っちゃったなァ、こらァ。先生はどうしたんだ、一緒か?」
「あ、いけねえ、先生、向うへ忘れて来た」
 それから久蔵は、いっそう一所懸命働いて、朝起きると、飯《めし》を食べながら「ああ、二月の十五日」……、刷毛を採《と》って糊をひいてると、二月の十五日……瓶《かめ》ェまたがっても二月の十五日てんで……。
「なんだ、あの野郎、どうかしてやがんな、え? なんだか始終、二月の十五日だ、十五日だってやがん。なんだい、二月の十五日に死んじまいやがんじゃねえのかい……おうおう、飯だよ、おい、二月の十五日」
「へえ」
「なんだ、返事をしてやがら」
 翌年《あくるとし》の二月の十五日。紺屋町の吉兵衛の店先へ新しい四つ手|駕籠《かご》がぴたッと止まった。
中から出て来たのが、元服をした高尾太夫。
親方吉兵衛へしとやかに挨拶をして、
「これはどうぞ、久蔵さまへのおみやげに……」
と、花魁のほうから持参金。
「おほほほほ……いやァ、久蔵、えらい! よくとった、よく取った」
まるで猫が鼠を獲ったよう……駕籠屋へ祝儀を付けて帰した。
久蔵と高尾は、親方の仲人で夫婦となり、店《たな》においておくわけにはいかないから、近所に手頃な空店《あきだな》があるというので、これに新しく紺屋を開かせた。
さてやってみたが、新店なのでなかなか客が来ない。久蔵は考えた末に、早染めというのを始めた。
これは、店に来た客を待たせておいて、持ってきた布きれをその場ですぐ染めて渡すという新商売で、瓶《かめ》のぞきという色の染物。
その由来は、ごく薄い浅黄で、染めたのではなく、瓶をちょっと覗いたかなというくらいの薄い浅黄で、これを「瓶のぞき」と命名した。当時はたいへん、粋なもんだといって若い衆などはこれで頬っかぶりをして、
「おい、乙《おつ》だね、あれァ……瓶のぞきだよ」
なんて、もてはやされた。
もう一つの説は、高尾が染めの手伝いをして、亭主と一緒に、この瓶にまたがって仕事をする……松の位の太夫といわれた花魁が手ずから染めてくれる、というわけで、瓶へまたがるから、ことによるとあの中へ映っているんじゃねえかな……なんてえ。それを首をのばして、こう……覗くやつがいて、それで「瓶のぞき」という名が付いた……というあんまりあてにはなりません。
そんなわけで、高尾に染めてもらったものを身に着ていれば、悪い病にかからない……と評判になって、店は大繁昌。近所の呉服屋の白い反物はみんな売り切れて、手拭い一本でもなんとか高尾に染めてもらおうというので、店に行列ができる始末……。
「弱ったなァ、もうなにも白い布《もの》がなくなっちゃったな、どうも……おいおい、おっかァ」
「なんだい」
「なんかねえかな、白いものは。ちょいと染めに行くんだ」
「いい加減におし。なに言ってやがんだい、染める染めるって言やがる。家にあるものをみんな染めちまいやがる。ひとの腰巻なんぞ染めやがって、みっともなくって締められやしねえや。だめだよ。なにもありゃしないよ」
「そんなこと言わねえで、なにかねえかよ、おい、え? ねえ? 弱ったなどうも……おうおう、台所になんだか……おう、白いものがあるじゃねえか」
「台所にあるのはあれァ、白鳥の徳利だよ」
「とっくり? 徳利じゃしょうがねえな、どうも。なにかねえかなァ……あァあァ、いいやいいや。じゃ、これ持って行こう」
「あ、な、なにをしてんだよ、猫だよそりゃ」
「うん。いいやな」
「いいやなって……呆れたね、この人は。ばかだね、白猫ならまだしも、黒い猫じゃないか」
「あァいいんだよ。ははは、色あげしてもらうんだ」
 
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