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輪(RINKAI)廻23

时间: 2019-11-21    进入日语论坛
核心提示:     17 車の中ではほとんど修と言葉を交わさぬまま、柚木温泉へ着いてしまった。真穂が突如口にした言葉に、修はすっかり
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     17
 車の中ではほとんど修と言葉を交わさぬまま、柚木温泉へ着いてしまった。真穂が突如口にした言葉に、修はすっかり動顛してしまっている様子だった。頭はもはや別のことなど考えられない、あとはただ、とにかく柚木温泉まで車をまともに走らせるだけ……はたで見ていて精一杯という感じがした。真穂は首藤の誰かに似ているばかりでなしに、半ばその人物が、のりうつったようなところがあるのかもしれない。時枝にとっても、修にとっても、過去に何か深い因縁のある誰か。だから時枝を動じさせ、修までも震え上がらせる。作田はあの時、そこまで見抜いて言った訳ではなかったかもしれない。しかし奇しくも彼が口にした「累」という言葉は、悪い予言のように成就してしまった。記憶の中から完全に締め出してしまいたい過去の因縁が、新しい命とともに甦り、報いの矢となって身に返ってくる──。過去、N町八木沢地区で、首藤の家で、いったい何があったのか。
修は香苗と真穂とを旅館まで送り届けると、別れ際、もう一度香苗に口座番号を尋ねてきた。しかし香苗はやはり黙って首を横に振った。金は欲しい、大袈裟に言えば咽喉から手が出るぐらいに。とはいえ、まるで強請《ゆす》りかたかりのように実の父親から金をもぎ取るような真似は、何としてもしたくなかった。たとえ相手が大地主でも大金持ちでも。それがええかっこしいの、溝育ちのお嬢様のやり方だとしても。
旅館の畳の上の座布団に腰を下ろした途端、一度に今日一日の疲れが出た。真穂と肩を並べ、惚けたように窓の外を眺める。葉をいっぱいに繁らせた木々、それに絡まる蔓草、地を覆う夏草……緑の勢いはすさまじく、逆に息がつまりそうだった。窓の下には川が流れ、涼しげな水音を立てている。蝉の声もする。日は既に西に大きく傾き、見ている間にも、あたりは徐々に濃い茜《あかね》に染まっていく。そんな自然の中に在って、香苗は孤独だった。どこか途方に暮れたような心境で、自分自身、所在ない。明日から自分はここでどうしたらよいのか、そんなことすらもわからずにいた。
修は、もう八木沢地区には近づいてくれるなと言っている。けれども八木沢地区にいかないことには、知りたい過去が見えてこない。そうはいっても、闇雲に誰かに尋ねたところでつまびらかになるでなし、たとえ知っていたとしても、地区では旧家の首藤家のことを、人がたやすく話してくれるかどうかもわからない。それに香苗も真穂も、明らかに首藤の人間の顔をしている。見ればあの自転車の老人のように、すぐさまそれと気がつくだろう。香苗と真穂が再び八木沢地区をうろつけば、当然たちまちのうち修の耳にもはいる。香苗はもう、修の苦りきった顔を見たくはなかった。あの顔を目にすると、生まれてきたこと自体が間違いだったのではないかと後悔したくなる。少なくとも今の修にとっての香苗は、金を払ってでも追い払いたい厄介者でしかない。
香苗はかたわらの真穂に目をやった。この子は誰に似ているのか。時として誰がこの子にのりうつり、真穂の口を借りてものを言うのか。誰かに似ているとかのりうつられるとか言うよりも、誰かの生まれ変わりと言うのが正しいのかもしれない。累が助の生まれ変わりであったように。そう考えれば、真穂が香苗にも、誠治にも、西納の家の誰にもまったく似ていない子供だったことの説明もつく。この子は確かに香苗と誠治の子供だが、その血も遺伝子も完全に飛び越えて、別の人間のそれを持って生まれ出たのかもしれない。だから真穂には新潟の記憶もある。
温泉に浸かり、夕飯を済ませてもまだ、明日からの行動が皆目決まらずにいた。ただ時刻表を無為に眺め続ける。やはり在来線とバスとの乗り継ぎは悪く、そう距離がある訳でもないのにN町までは、片道二時間半を要してしまう。宿の仲居に尋ねると、N町を通るバスが出ていて、それに乗れば一時間半ほどで行くというが、そのバスも日にたったの四本しかない。交通の便がよくなく、時間がかかることに変わりはなかった。
「お客さん、ちょっとよろしいですか?」
襖《ふすま》の外、係の仲居の声がした。どうぞと言って時刻表を閉じ、香苗は自分で襖を開けた。
「面会のお客さまが見えておられるんですけれども」
「私に?」
一瞬修の顔が頭をよぎる。だが、彼が自分に会いにくる訳はないとすぐに思い直した。
「どなたかしら?」香苗は訊いた。
「作田様とおっしゃる方です」
その名前に、香苗の顔が複雑に歪む。何を企んでいるやらわからぬ作田という男を忌む心。どうしてこの旅館に香苗が泊まっているとわかったのかという単純な驚きと疑問。それらが同時に香苗の心に生じ、折り合いのつかぬまま表情に出ていた。
「お部屋にお通ししてもよろしいのでしょうか?」
瞬時ためらった果て、「そうしてください」と香苗は頷いた。
「いやぁ、香苗ちゃん。驚いたよ、あんたがこっちへ来ているっていうんで」
作田は、いつもの日向臭さを感じさせる、人の好さそうな笑顔を見せて、部屋の中へとはいってきた。声も柔らかくて慈愛に満ちている。しかしすべて嘘っぱち。
「私のほうこそ驚きました。どうしてここに泊まっているとおわかりになったんですか?」
「私もちょうど八木沢に帰っていたんだよ。そうしたらあんたたちが来たという話が耳にはいってきて……。いや、それから探した、探した。どうせそうは遠くの旅館に泊まっていないだろうと思ったから、あたりの旅館に片っ端から電話をかけて。ここにたどり着いたのは何軒目だったかな。で、十六代目とはゆっくり話ができたのかい?」
十六代目……首藤家十六代目当主、首藤修。
その問いには答えず香苗は言った。「作田さん、あなた首藤さんにどういう話をなさったんですか? 私は作田さんに首藤の家に何かしてくれと、頼んだ覚えはありませんけれど」
「私はただ、あんたが子連れで離婚して戻ってきているってことを、十六代目に伝えただけだよ。首藤の血を濃く引くあんたと真穂ちゃんが苦労しているんだ、となれば何かしてやりたいと思うのが人情だろう。また、それをしないとなれば、首藤の家の名折れってもんだ」
香苗は顔を歪めた。「そんなの、余計なことです」
「遠慮なんかすることはないんだ。あんた方二人が一生食べていけるぐらいのものを出したって、あちらさんはちっとも痛みゃしないんだから」
「迷惑です。お蔭で私は、まるでお金目当てでやってきたみたいに思われて……。それに首藤さんは、真穂を首藤の直系として家に入れることはできないとか何とか、私には訳のわからないこともおっしゃっていました。あれも作田さんが何かおっしゃったからなんでしょう?」
作田は煙草に火を点けた。煙をひと息吐き出し、それから香苗の顔を見て静かに言う。「真穂ちゃんが首藤の家に戻る、私はそれが一番だと思ったんだ。首藤の家にとっても、それが一等いいことなんだから」
「そんな無体《むたい》な。だって、あちらにはあちらの家族や家庭というものがおありでしょうに」
「ないよ、そんなもの」
「え?」
時枝が家を出ていってしばらくして、修は新しい妻を家に迎えた。が、妻は二年もすると病に斃れ、急逝した。ほどなく次の妻を迎えたが、出産の折に死亡。妻が命を懸けて産んだ子供も、百日と生きることなく死んでしまったという。
聞いていて、香苗は背筋が寒くなる思いがした。それではまるきり累《かさね》の物語……。
「つまり今、首藤の家には家を継ぐべき直系がいないんだわ。だから十六代目は親戚筋の子を、跡継ぎにもらおうと考えている。だけどそんな血の薄い子供をもらうぐらいなら、まさに十六代目の血を引くあんたや真穂ちゃんをあの家に迎えるのが、どう考えたって筋だろうに。ことに真穂ちゃんは、誰が見たって首藤の人間だ。このあたりの村の人間ならばひと目見たらすぐにわかる」
新潟というのは雪深い閉鎖的な土地のようでいて、その実、太古から外に向けて門戸が開かれたところでもあった。外に向けての門戸、それが今の新潟港やその近辺の港町だ。だから新潟には、陸路を通じてより海路を通じて多くの人がはいってきた。むろん古来の大和民族とは明らかに別の民族も。それゆえ新潟にはいくつかの顔がある。俗に新潟美人と言われる色白でおとなしげだが、目鼻立ちがはっきりとして整った顔立ち。山での暮らしを常とする人々の、色黒で大作りなダイナミックな顔立ち。短躯、太り肉《じし》で、鼻も頬の高さも変わらないような、あんパン型の見栄えの悪い顔立ち。西洋人の血を思わせる透明感と、ガラス細工にも似た繊細な造りの優美な顔立ち……。
「香苗ちゃんや十六代目は、俗に言う新潟美人の系統だな。あんたと十六代目はよく似ている」
「でも、人が驚くのは真穂のほうです。作田さんだって初めて真穂を見た時は驚かれた。さっきも真穂は誰が見ても首藤の人間の顔をしているとおっしゃいましたよね? それって、矛盾しませんか?」
「どうして?」
「だって、十六代目に似ているのは私であって、真穂はまた、それとは全然別の顔をしている訳ですから。だったら明らかに首藤の人間の顔をしているのは私であって、真穂ではないということになるんじゃありませんか」
「それはさぁ、香苗ちゃん、十五代目っていうのが婿さんだったからだよ。十六代目は十五代目と同じ系統の顔をしている。つまり本来的には、首藤の家の外の人間の顔なんだ。首藤家代々の主流の顔はまた違う」
「だったら真穂は……」
作田はしっかりと頷いた。「そう、昔ながらの首藤の顔だ。肌が透き通るように白くて目が大きくて、ちょっと腺病質な感じがするぐらいにたおやかで……それが首藤の家筋の顔なんだよ。だからこそ私は真穂ちゃんがあの家に戻るのが筋だと、そう言っているんだ。なにせ見た目にも、あれだけ血を濃く引いているんだから」
真穂こそが首藤の血筋の顔。しかしそれはどこか曖昧で、具体性に乏しかった。誰もが「この人」と名指しするのを避けてはいないか。真穂は首藤家の人間の中でも、とりわけ誰かに似ていてしかるべきだった。でなければ人が顔色を変えたりまでする道理がない。それは時枝と修の知っている人間。作田もまた知っている人間。十五代目は入り婿。となれば……。
「あの、十五代目の奥さんは、真穂のひいおばあちゃんに当たる方は、何というお名前の方なんですか?」
途端に作田の顔に不穏な翳が落ちた。「どうしてそんなことを聞きなさるのかな?」
「その方が、真穂に瓜二つの方にちがいないと思ったからです」
あははと、作田はいきなり弾けたように笑った。「あんたは本当に正直というか、かけひきのない人だな。そう率直にこられたのではこっちも話さない訳にはいかない。──そうだよ。真穂ちゃんは首藤家のひとり娘だった、十五代目の奥方に瓜二つなんだ。名前は、首藤いちのさんといったっけ」
「その方は今?」
「とうの昔に亡くなったよ。もう三十年以上も前になるかねぇ」
「三十年以上前。ちょうど母が東京に出た頃ですね」
「……いや、それよりも」心なしか作田の口調が重たいものになった。「たぶんもっと前のこと。まだママがこっちにいた頃の話だから」
「どうしてお亡くなりになったんですか?」
「事故、だったかな。よく覚えていないよ、なにしろずいぶんと前のことだから。それにしても香苗ちゃん、あんた変わっているね。昔のことなんかより、今のことを考えたらどうさ? 首藤の家は十六代も続いた豪農だよ。なのにこのまま放っておいたら、早晩よその人間にとって代わられちまう。あの家だって、県や国が文化財として残すだなんて馬鹿げたことを、いつ言ってこないとも限らない。そんなことにでもなってごらん、もういじろうったっていじれない。蔵の中には見事な書画骨董の類や、今となってはお宝みたいに扱われる古い道具類もいっぱい眠っているんだ。みすみす他人に渡すことはなかろうに」
それを欲しがっているのはほかでもない、あなた自身ではないのか──、もう少しで香苗の唇から言葉が滑り落ちそうになった。それを遮ったのは、突然の真穂の高らかな笑い声だった。キョキョキョキョという、ホトトギスが鳴くような奇矯な声だった。その人間離れした笑い声に、作田ばかりでなしに香苗もぎょっとして真穂を見る。真穂は、また別の顔になっていた。顔そのものは真穂なのだが、そこに浮かんだ表情が、妙に老熟していていやらしい。気のせいか、顔にも細かな皺が見えた。どう見ても、八歳の子供の顔とは思えない。
「文治《ぶんじ》、相変わらずだねぇ、お前何を企んでる?」
粘り気のある、くぐもった声で真穂が言った。その目は底に意地悪そうな笑みの色を湛えながらも、作田のことを睨みつけている。
「お前の腐った性根は死ぬまで直らないとみえるね。この身の程知らずの小作人の小伜がっ」
一度に作田の顔から血の気が退いた。眼からまでも色が脱け落ちて、顔全体が白く凍りついている。はたで見ていても、身の毛がよだっているのがわかるようだった。作田の身に、次第に震えが走りだす。それを見て真穂は、またキョキョキョキョと、人とも思えぬ声で、さもおかしそうに笑った。笑う時、目を細めるくせにその隙間から、瞳をきらきらさせて相手を見ている。目尻にできたいく本もの皺が、何とも意地悪そうで気色悪い。
弾かれるように、いきなり作田が立ち上がった。刹那、身のバランスを崩してよろけかける。それを見て、真穂は嘲笑うように腹を抱える。
「祟りだな」作田は波立つ声で、半ば呟くように、半ば吐き捨てるように言った。「いちのさんの怨念が、この子にのりうつっている」
「作田さん──」香苗は座ったまま、作田を見上げた。
作田は色の脱けたままの眼をして、香苗を見下ろして言った。「悪いがこの子は化け物だ。早いところ悪霊祓いをしてもらったほうがいい。憑いているのがいちのさんじゃ……こりゃあ半端じゃない」
それだけ言うと、ここへわざわざ香苗を訪ねてきた目的も忘れ果てたかのように、作田は部屋を飛び出していった。その顔は、部屋にはいってきた時とはまるで別人、ひび割れたコンクリートのように強張《こわば》り、崩れかけていた。
作田が大慌てで逃げ出していったのを目にして、真穂は快哉を叫ぶように、また声を立ててキョキョキョキョキョと笑った。
「真穂……。真穂ちゃん、しっかりして。いやよ、そんな声出しちゃ。ねえ、真穂ちゃん!」
真穂はそれからしばらくの間、何かに憑かれたように笑い続けていた。
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