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「まさか」の人に起こる異常心理02

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:強迫神経症といえる病的な癖もある ところが、こういう人がいる。十九歳のお嬢さんで、その母親の言によれば余分な物は全部捨て
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強迫神経症といえる病的な癖もある

 ところが、こういう人がいる。十九歳のお嬢さんで、その母親の言によれば余分な物は全部捨ててしまう。したがって何もストックできない。ストックすることが身の毛もよだつほどいやだという。いやというより、むしろ恐怖というのだ。
普通の家庭なら、何日分かのトイレットペーパーがストックしてあるはずなのに、それもいやがって捨てるように母親に命令する。薬も食料も、はがき、切手もしかり。歯磨きでもなんでも余分な物は置かない。これではいざというとき、生活が困るに違いない。
その理屈は本人も理解している。しかし、わかっちゃいるけど、やめられないのだ。本人は悩んではいるが、どうしてもやめられないのだ。親がお小づかいをやっても突っ返してしまう。したがって、お小づかいをためて貯金するなど、とんでもない行為なのだ。
本人も自己の行動について悩んでいる。むろん、そのために母親をはじめ家族全員が悩んでいる。自分が正常でないという認識はある。認識はあるけれどやめられない。ある考えから逃れよう、逃れようとしても逃れられない。どこまでも追いかけてくる。その考えが強く迫るという意味から、この状態を「強迫神経症」と呼ぶ。そして、その考えを強迫観念と名づける。
この強迫神経症という病気は少なからず存在する。何事も確認しないと気がすまないから、行動に長い時間を要する。アイロンのスイッチを切ったかどうかが気になって出先から帰宅してしまう人、はがきがちゃんとポストに入ったかどうかが気になって、再びポストにとって返してポストの周囲を確かめて歩く人、絶えず手を洗わないと気のすまぬ人など、いろいろな病態がある。
要するに病気に入れるか入れないかは量の問題で、母の輝子の場合は量的に少ないから病的とはいえず、このお嬢さんの場合は量的に多いから、強迫神経症という病名がつけられるわけで、その境界は、はなはだ微妙で、むずかしい問題である。
ところで、これが病気か病気でないかにこだわる人がいる。ことに日本人に多いような気がする。病気であるか、病気でないか、どっちだっていいではないか。要するに、従来とくらべて変化が起こったり、周辺の人々や社会が迷惑をこうむったら、それに適切な対応をすればいいわけである。
いつだったか、不登校(登校拒否)が病気か病気でないか、という論争があったが、それはなんの意味もないことだ。そういう論争をする人は、病院は病人しか行ってはいけない場所、という誤解か錯覚を持っているに違いない。同じ不登校にも病的な問題をかかえているケースもあるのだ。
再び言う。病院は病人だけが来る場所ではない。もっともっと門戸を広げている場所なのだ。
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