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孤独のとなり63

时间: 2020-02-24    进入日语论坛
核心提示:わが心のふるさと、夏の北海道わたしの女学校の頃、六月四日が黒い冬服から、白い夏服に変わる日であった。千何百名かの女学生が
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わが心のふるさと、夏の北海道

わたしの女学校の頃、六月四日が黒い冬服から、白い夏服に変わる日であった。千何百名かの女学生が、黒から白に変わったその日は、白い花が一斉に咲き出たようで、いかにも夏がきたという感じであった。
六月! それはまさに、北海道に住むわたしたちにとって、感動符をつけたくなるような光り眩《まば》ゆい季節なのだ。十月に初雪が降り、やがて十一月の末には根雪《ねゆき》となり、純白の季節が三月までつづく。長い冬のあとにくる四月は、黒土がその全容をあらわすが、木の芽はまだ固く「黒い春」だ。
五月になってようやく桜、つつじ、雪柳、水仙など一斉に喚声を上げるように咲く。五月から六月にかけて紅白の芝桜が夜目にもしろく土をおおって咲き、ライラックの、あの白と紫の絵具をたっぷり塗ったような花が街に溢《あふ》れる。チューリップは色鮮やかに咲ききそい、甘い匂《にお》いでむせるような、アカシヤの白い花が咲くのも六月の季節だ。
これは、わたしだけの感覚であろうか。毎年、わたしは六月にならなければ「今年が始まった」という気持ちにならないのだ。五月は、どうかすると桜の花のあとに雪が降ることがある。みぞれの降りそうな寒い日もある。が、六月になると、さすがにどこの家も、それまでぐずぐずとつけていたストーブを外す。(もっともこれは旭川《あさひかわ》の話で、釧路《くしろ》や稚内《わつかない》の方面では、一年中ストーブを片づけないでいるようだ)
そこではじめて、わたしは「今年が始まった」という気持ちになるのだ。だから、春宵《しゆんしよう》ではないが「一刻千金《いつこくせんきん》」で、一日一日がたまらなく貴重に思われるのだ。このふしぎな生活感覚は、何十年来、なぜか変わらない。で、いつでも、本州の人たちに半分遅れてスタートをしている感じなのだ。が、その遅れを取り返さねばならぬという思いに駆りたてられて、よく働き、読み、動き廻りはじめることにもなるのだ。北国に生まれ、北国に住みつづけたわたしは、どうやら熊に似て、冬眠の体質になったのかも知れない。
 さわやかな郭公《かつこう》の声を聞きながら、グリーンアスパラにマヨネーズをかけて食べるのも、六月の楽しいひとときである。すずらん狩りがあるのもこの六月である。
六月といえば、本州では入梅の季節だという。しかし、北海道には梅雨《つゆ》がなく、からりと乾燥したさわやかな、新緑の初夏である。
七月に入ると、北海道は森閑《しんかん》とした深い夏の季節になる。網走《あばしり》や、サロベツ原野の原生花園にエゾキスゲやハマナスの花の咲く頃、わたしはなぜか、妙に孤独を感ずる。
ようやく七月十日は山開きとなり、川や海に泳ぎに行くことのできる夏がきたのだが、その夏は一か月にも満たない短い期間だ。その短さが、心を孤独にさせるのだろうか。深いみどりの木々を見るにつけても、何か「極《きわ》まれり」という感じがしてならないのだ。
葵《あおい》の赤や白の花、庭先に咲く都忘《みやこわす》れ、そして百合《ゆり》の花、夏咲く花は妙にひっそりとわたしの目には映る。わたしがとりわけ旅に出たいと思うのも、ふしぎにこの七月である。
七月は果物の端境期《はざかいき》である。りんごも去年のは呆《ほう》けていて、今年のはまだ出ない。夏みかんも甘夏《あまなつ》も店頭から姿を消し、ぶどうもまだ早い。内地ものの西瓜《すいか》はあるが、地物《じもの》はない。そんな中で、地物のいちごが出廻るのはうれしい。旭川のいちごは甘い。木の実、草の実は、雨の少ないところほど甘い。雨の少ない旭川のいちごや西瓜やメロンは甘いのだ。庭の一隅につくったいちごが、宝石のように葉かげに光る。下旬頃から出まわる桜桃《おうとう》と共に、北海道の夏の味だ。
この頃になると、わたしの家の庭から見える大雪山《だいせつざん》の白雪もほとんどなくなり、山は茄子紺《なすこん》の色となる。この大雪山の左裾《ひだりすそ》に、有名な層雲峡《そううんきよう》があり、右裾には、さほど有名ではないが天人峡《てんにんきよう》がある。この天人峡には、美しいこと日本一といわれる羽衣《はごろも》の滝《たき》がある。
そして、この天人峡に行く途中から、左に山に登ると勇駒別《ゆうこまんべつ》という温泉があり、ここからロープウエイで、大雪山中の最高峰(大雪山は一つの山でなく、群山の総称)旭岳のお花畑に行くことができる。
また、大雪山の右に連なる十勝連峯《とかちれんぽう》には、白金《しろがね》温泉というところがあり、ここは車で雪渓のあるところまで登れる。ここに行く途中の、両側に五キロもつづく白樺林《しらかばばやし》も見事だ。
 七月も二十日を過ぎると、子供たちが川泳ぎに行く日がつづき、気温も三十度を超える日が、何日かつづく。アイスクリームや、ビールが飛ぶように売れるのもこの頃だ。よく、
「北海道のアイスクリームやビールはおいしい」
といわれるが、第一の原因は、北海道の空気がからりと乾燥しているせいだろう。のどが渇けば、水でもお茶でもおいしいのだ。
冬も好きだが、わたしは北海道の夏は日本一だと思う。夏、大阪や九州へ行くと、時折、わたしは誰かにさわられたようで、思わずうしろをふり返ることがある。その正体は、もやもやとまつわりつくような、熱気のある空気のせいなのだ。この空気が幽霊を生んだそもそもの犯人のような気がするほどだ。しかし、少なくともわたしの住む旭川の夏は、そんなもやもやした多湿の夏ではない。北海道は虫も少ない。蚊帳《かや》の要《い》らぬ地方もたくさんある。それが、虫ぎらいのわたしには実にいい。
北海道も年々大工場などが進出してきて、次第に海や河川が汚れつつあるが、それでもまだまだ美しい自然が残っている。北海道の特徴の一つは、やはり清さでもあろうか。旅行者が何に一番感じて行かれるかわからないが、北海道の風物の持つ清さに感動されるならば、幸いといえよう。
 八月七日の旧暦の七夕《たなばた》も過ぎ、十日頃になると、夕風に乗って、盆踊《ぼんおど》りの太鼓《たいこ》の音が、遠く近く聞えてくるようになる。その頃になると、浴衣《ゆかた》一枚では肌寒いほどに涼風が吹きはじめる。
盆踊りの太鼓は、夏の終わりを告げる音でもある。盆踊りの歌を聞きながら、ふっと衿《えり》もとをかき合わせる時の、あのいいようもない淋しさは、北海道の人間でなければわからぬものであろう。
が、この頃になって、初とうきびが出る。このとうきびは、どうしても現地でなければ味わえない。それも、もいでから一時間以内だ。時間が経《た》つと、一体どこにあの甘味は消え去るのであろう。わたしはいつも、とうきびの味覚一つにも、神秘なものを感ずるのだ。
とうきびに前後して、地物の甘い西瓜やメロンが出る。そして馬鈴薯《ばれいしよ》も食卓にのぼるのだ。地物の西瓜は、いつも「寒い寒い」といいながら食べる。もうまちがいなく秋風が吹いている。
こうして、北海道の短い夏は、あっという間に過ぎて行く。この短い夏を、わたしは貪欲《どんよく》に、むさぼるように、一日一日味わうのだ。このひたすらな夏への愛着は、長い冬を過ごす北国の人間の、必然的な心理なのだ。そして、それはまた、四季の折目正しい移り変わりの中に、
「この時をいかに生きるべきか」
と、生きることの意味を問うことにも通ずる心情でもあるのだ。
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