このたび私は、キリスト教のラジオ伝道牧師である羽鳥明先生と、そしてコロムビアレコード専属歌手胡美芳さんと、一夕食事を共にした。胡美芳さんはクリスチャン歌手として、羽鳥先生と伝道のために旭川に来られたのである。
その席で胡美芳さんは、
「わたくし、歌う前は、食事がろくろくのどを通りませんの。胸がどきどきして」
と、すまなそうにいわれた。
「まあ! 胸がどきどきなさるんですか」
私は驚いて、胡美芳さんのふくよかな顔を見た。彼女は日本で育ち、日本の学校教育を受けた中国人で、戦後|北京《ペキン》の音楽学校を出たあと、二十五年間にわたってコロムビア専属歌手として活躍してきた人である。二十五年間のキャリアがあるのに、彼女はうたうたびに胸がどきどきするというのである。驚く私に、羽鳥明先生も言われた。
「実はわたしも、講演の前は、必ず胸がどきどきしましてねえ」
「ええっ? 先生もですか?」
私は思わず先生の顔を見た。ラジオ牧師として、キリスト教界に高名の牧師である。真実なその信仰は、共産党員として長く活動された弟さんをはじめ、親族三十八人を伝道者に育てられたほどである。この力ある牧師がまた、講演の前には胸がどきどきするといわれるのである。
はじめは驚いた私も、深くうなずくところがあった。
(これこそが、本物だ)
私はそう思った。私自身、これまで幾度講演をしたかわからない。テレビにもレギュラーとして出たし、何千人の集会でも話をした。だが一度として、心臓がどきどきしたなどという経験はない。聴衆が多ければ多いほど、話し易いという極めて鈍感な魂の人間である。これは、はじめからそうであった。話は下手だが、とにかく「あがる」ということを知らないのだ。
それはさておき、お二人の話を聞きながら、私はかつて臼井吉見氏にいわれた言葉を思い出した。私は氏にこう言ったのだ。
「先生、わたしは一作一作、素人なのです」
生まれてはじめて「氷点」という長編小説を書いた私は、次々と注文に応じて、短編、中編、長編と、様々な小説を書かなければならなくなった。どれもが、はじめての経験なのだ。だから、どの小説に対しても掛け値なしにズブの素人なのだ。すると氏はいわれた。
「もしもね三浦さん、一作一作素人だと思って書きつづけることが出来たら、これはもう凄《すご》いものだよ」
言外に、そんなことは出来ないのだと、氏は言われたのかも知れない。確かにそうであった。小説を書いて十四年|経《た》った今、「氷点」を書いた時の初々《ういうい》しさは失われている。そのことを私は、羽鳥先生と胡美芳さんの話を聞いて思い出したのである。そしてお二人のその道における成功の秘訣《ひけつ》が、わかったような気がしたのである。
開演の前に胸がどきどきするということはどういうことか。それはつまり、毎回素人であるということである。いや、素人の心を持ちつづけているということである。何十年ものキャリアがありながら、そのたびごとに新鮮な感動と、そして謙虚な畏《おそ》れを失わないということである。これがつまり成功の秘訣なのだ。
私たちの人生において「この胸のとどろき」が、果たしてよく保たれているだろうか。私はここである牧師の祈りを思い出す。
「未《いま》だかつて誰《だれ》も経験したことのない、この新しい朝を与えられたことを、感謝いたします」
この祈りこそ、私たちの忘れている謙虚さではなかろうか。私たちは生まれて以来、数え切れぬほどの朝を迎えている。が、考えてみると、今日という日は、誰もまだ、一度も経験したことのない日なのである。言ってみれば、今日という日に対しては、誰もが素人なのだ。今日を経験して、今日を迎える人はいない。
そう考えてくると、私たちはいかに今までの経験によりかかり、惰性によって生きているかに気づかされるのではないか。いつの間にか夫婦の間が冷たくなっている。親子の断絶が、どうにもならないところに来てしまっている。仕事に、事業に身が入らなくなってしまっている、などなど、気づいた時にはどうにもならない亀裂《きれつ》が私たちを取り囲んでいる。
もし私たちが、結婚した日のあの喜び、子供を与えられた日の感謝、職を得た日の緊張を忘れずにいるならば、
(どうしてこんなことになったのか)
という嘆きは、もっと少なくなるのではないだろうか。
とにかく、新鮮な感動と、謙虚さを持ちつづけることの大切さを、私は羽鳥先生や胡美芳さんによって、改めて知らされたのである。