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記憶の絵10

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:ヤッタルデこの世で褒《ほ》めたたえられるものは(根性)を持つ人間である。大松精神の如きものを持つ人間である。という通念が
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ヤッタルデ

この世で褒《ほ》めたたえられるものは(根性)を持つ人間である。大松精神の如きものを持つ人間である。という通念がこのごろ特に盛り上って来ている。このヤッタルデ精神は野球、その他の選手の気構え、入学試験にとりくむ学生の勉強のやり方から、小説を書き、戯曲を書き、詩を造る人々のやり方、すべてに蔓延していて、よく勉強する子供や、一寸骨のある、しっかりした若い女優などを見ると、この子は根性がある、この女優は根性を持っている、というような讃めたたえ方がされていて、まさにヤッタルデ時代である。ヤッタルデ精神は、オリンピック以来いよいよひどくなったが、所謂根性的な、凝り固まった人間は私の好きでない感じの人間なのである。何故好きでないかというと、見ていて息苦しくなってくるからだ。
眉宇に、相手を打ち負かし、捻《ね》じ伏せなくては止まぬ精神を漲らせ、小鼻のあたりはキンキンに緊張し、口元は歯ぎしりしそうに結ばれている人間はたしかに、大変に勇ましそうだが、そういう人を見ていると、だんだん呼吸が詰まってくるのをどうすることも出来ない。私は日本の運動の選手たちが、他の国の選手と競技《ゲエム》をする場合、鉢巻きをし、体中の筋肉がこりこりに緊張したようになってやり、優勝すると抱き合って泣き、負ければ口惜し涙にむせぶのを見る度に、可笑しくなる。新聞には試合、打倒何々、というような殺伐な言葉が目白押しに並ぶ。他の国ではゲエムであり、日本では試合いである。外国の選手たちは子供が遊びで勝った時のようににこにこしている。これはもともと日本には昔からあった根強い精神らしいが、武士にしろ、剣道の先生にしろ、ずばぬけて偉い人物の中には、いかにも根性を持っているぞ、と言わぬばかりのこちこちの人は見当らないようだ。ピイタア・オトゥウルを見ていると(こう言っても映画好きでない人にはなんのことか判らないかも知れないが、「アラビアのロレンス」を主演した近来の名優で、批評家が全部賞讃している男である)小学校の時には授業時間中いつも窓から空を見ていたのではないかと思われるような男であり、自分の靴の紐を結ぶのものろくさそうな男であるが、ピイタア・オトゥウルに根性がないはずはなかろう。私は根性でこちこちになっている人を信じることが出来ない。熱心はみとめるが、そういう人間の仕事には或限度の山があると思う。仕事というものはすべて、ある限度の山を越えて、その上に出ているかいないかで、優れた仕事か、平凡な仕事かが定まるのだし、数学とか、化学とかいう仕事も、或地点を越えれば芸術の世界と同じで、そこからさきはむやみに緊張するばかりの所謂根性ではやって行けないのである。
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