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記憶の絵11

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:続・ヤッタルデ私たちがともかくも、守らなくてはいけない(正義)。これもしゃっちょこばった感じで守っている人をみると、私は
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続・ヤッタルデ

私たちがともかくも、守らなくてはいけない(正義)。これもしゃっちょこばった感じで守っている人をみると、私は呼吸《いき》が詰まってくる。(ともかくも守るというのは、明治生れの老婦人の言葉としては変であるかも知れないが、私としては正しいことは、或程度の余裕《ゆとり》をつけて守るべきだと思っている。人に迷惑をかけない、という限度を守った上で、多少の振幅をつけて守る方が、正しい道を踏み外さないで行かれるやり方だと考えている)
私の敬愛しているフランスの大衆作家の(大衆作家というのはきらいな名称であるが、他に言葉が見つからない)ジィプ夫人は、彼女の名著の「マドゥモアゼル・ルウルウ」という愉快な、抱腹絶倒の戯曲の中で、主人公の、少女ルウルウにこんな言葉を言わせている。ルウルウは、父親と森《ボワ》に、朝の遠乗りに行き、すれちがう馬や、貴婦人、父親の友人を批評しているところである。〈パパ、あの人の馬、正義みたいにこちこちね。黄金《きん》のまぐさをたべさせてるみたい〉私はその白《せりふ》が大変に気に入り、好きな言葉として覚えている。
私たちは人の家に火を点けてはいけないし、人を殺してもいけない、のは勿論、他人《ひと》のものをひそかに持って来てはいけないし、他人《ひと》の財産を悪辣《あくらつ》な手段で巻き上げたり、卑怯なやり方で他人《ひと》に迫害を加えたり、すべて法律で禁じていることはしない方がいいのであって、それが正義を守ることなのだが、或種の人々のように、あまりにこちこちに正義づいていると、余裕というものがないので、息苦しさをおぼえ、柔かみのある、素晴しい人間は感じられない。こんな感想は私だけだろうか? 私だけなら、黄金《きん》のまぐさをたべている馬のような正義派の人々をみとめよう。世の中にたった一人で、何ものかに反撥を唱えるとしたら、その人は変な人間であって、その説は引っこめなくてはいけないからである。
文学の世界にも、根性時代は来ていて、のびやかなものを持った小説。愉快な笑いをもった小説。きれいな風のようなものが、その中を吹きぬけているような、透明な美しさを持った小説は重んじられない。欧羅巴の、その人間が生きていた間は理解されなくて、排撃され、投獄された作者の、思想を中にひそめている小説、なぞ、すべて正義を守り、醇風良俗の中で息を詰めて、生きている人々が苦々しいと思うような小説は、少数の秀れた作家、大家といわれる人々が書いた場合に限って認められている。私なぞのように、どこかそういう傾向にあるらしい、(らしいというのは自分ではっきり自覚しているわけではなくて、書いている内に、そんな方向に向いてくるのだからである)勉強中の人間はいつも落胆させられる。非常に困ることがらである。
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