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記憶の絵15

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:庭私は家はあまり欲しいとは思わないが庭にはまったく憧れている。雨が降る時、大きな広い葉や、小さな細かい葉の上に、微かにち
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私は家はあまり欲しいとは思わないが庭にはまったく憧れている。雨が降る時、大きな広い葉や、小さな細かい葉の上に、微かにちがう音で降りそそぐ雨の音を聴きたいと思う。風がひどい日も雨のあととか、野分け(野分けといっても、二百十日といっても若い人の中にはわからない人もあるかもしれないが、九月のはじめ頃にくる暴風雨のことで、戦後からキティとかエリザベットとかいう女の名になり、=アメリカ人が台風に女の名をつけたのは、アメリカでは女が男のように荒れるからかも知れない=このごろは台風第一号、第二号、になった)の後の風なんかは、庭があるととても趣きがあってうれしい日になってしまう。春のいやな強風の日でも、家の中にいて、硝子戸が方々で鳴るのも(それには広い家が必要になってくるが)いいし、古道具屋でボンボン時計でも買ってくれば、三時がくればボンボン時計が、長閑な音で紅茶をのむ時間を報らせる。マルセル・プルウストの失われた時の再現のように、私は幼かった過去の中に還ることが出来る。その硝子戸の音も、ボンボン時計のひびきも、庭がなくては趣きがない。
大して立派な家でもない、ごく普通の日本建ての家に、家のわりには広い庭があって、片隅に薔薇の花壇がある。(アーチなぞはない)それも、大した腕前の薔薇造りでもない主人が、ただ好きで造っている。そんな家に、夏の終りの夕方なぞに行くと、まだ薔薇がのこっていて、まだ十《とお》を越えるほど、薄紅色《うすべにいろ》や白に、夕やみの中に浮び上っているのなんか、とても好きである。小説の中で造った、魔のようなものを持った少女が、その庭に立っていて、少女を愛している青年が薔薇を截って上げようと言うと、(この人は好きだけど、家は大きくないし、綺麗でもない。でも薔薇は欲しい)そう思って、黙って凝《じつ》と青年を視、顎だけで肯く。そんな場面を想像するのである。その庭は私の上の息子の友だちの庭で、私はその庭を一度しか見たことがない。私の知っているもう一つの庭、濃く青い、翳ったような芝生で、塀のぐるりや家の際《きわ》にリラの木なぞが少しあるきりで、とてもよく、半日位眺めていたい庭である。風のない、夏の夕方がいい。昔|欧羅巴《ヨオロツパ》で、どこの町だったか忘れたが、夫と人気《ひとけ》のない田舎道の崖の上を歩いていた。ふと崖の下を見ると、眼も心も吸い寄せられるような庭があった。家はどうだったか覚えていない。見もしなかったのである。林檎の木と、何だか白い花のある木なぞがぽつんぽつんと立っていた。木はどれも根元の周囲《まわり》を草花で丸く囲んであった。ただそれだけの、全体に手入れなぞしてない、ぼやぼやとした庭である。私は今でもその庭を覚えている。どんな人の家だったろうとも、考えない。私は夫に頼んでその庭を撮ってもらったが、戦災は他《ほか》の宝物と一しょに、この写真も灰にしてしまった。
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