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記憶の絵24

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:ダイアモンドころは明治三十二年、昭和生れの人なんかにとっては大正時代でさえ昔であるから、それこそ昔の昔の大昔である。ロシ
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ダイアモンド

ころは明治三十二年、昭和生れの人なんかにとっては大正時代でさえ昔であるから、それこそ昔の昔の大昔である。ロシアに革命が起ってロマノフ皇帝一族が殺され、宮廷の人々は散り散りになって、それらの人々の持っていた宝石の類も、どこへともなく人の手から手へと渡ってしまった。そのおびただしい宝石の中の一つが、古物商の鞄の中に入って或日、私の母の家に運ばれた。微かに淡黄《たんおう》をおびていたが、一カラット七十のダイアモンドである。母の父親が母のためにそれを買った。
眼の大きな明治美人の顔と痩《や》せ形《がた》の姿、ことに母の青白くて指の長い手に、ダイアモンドはところを得たというように固く、冷たく光っていた。まるで無色の暗い炎である。やがて私のものになったダイアモンドは、私の顔には不満だったかもしれないが、手の方は淡黄で、美しかった私の父の手に似ていたから、直接住む場所としての私の指にはそれほど失望していなかったと思う。ところが、ダイアモンドが私の指の上で輝く機会は全くわずかだった。私は女であるから虚栄心はあって、それを嵌《は》めて歩くのはうれしかったのだが、出かける時に嵌めるのを忘れる時が多かった。それに指輪を嵌めていると指の根が擽ったくなる癖があって、外出先でも直ぐ抜いてしまったからだ。
戦後、売る運命だと知っていたら、もっと忘れずに方々に嵌めて行けばよかった。掻くなっても我慢して嵌めていて、自慢すればよかった、と今になって後悔しているのである。私はその指環をよく指に嵌めて見入っていた。私は極上品といわれている、真白に輝く種類よりも、暗く、冷たく光るその宝石《いし》の色が好きだったし、微かに淡黄なのも気に入っていた。それに私を溺愛した父親とどっちかという程、私を愛してくれた母方の祖父の手にふれたことがある、ということが懐しかった。その指環が私の手から永遠に離れ去ったのは、終戦後、銀座の裏通りにある、或宝石店の卓子の上でであった。終戦後の或日、とうとう一文無しになる日が近づいて来たので、弟の奥さんの縫った袋にその指環を入れ、帯止めに結びつけて疎開先から上京した。銀座へ出て、御木本、ダイアモンド商会、白牡丹、等を廻った末に、或一軒の宝石店で、私のダイアモンドは私の手から、禿頭の爺さんの手に、渡った。特筆しておきたいのは御木本の番頭の態度が立派だったことである。彼はけちなぞをつけず、今|家《うち》では入れませんので、と断った。宝石《いし》を売って、落したら一大事の大金を受取った私は、恐る恐るそれを直ぐ近くの銀行に一時入れ、その金の千分の一で新宿で上生《じようなま》を買って帰った。おかしかったのは緊張したので、宝石店の出口に下っていたベッ甲の大亀におでこを打つけたことである。後《うしろ》では爺さんが「あれっぽっちの金で泡をくっているわ」と思って見ていたにちがいない。
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