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記憶の絵35

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:尋常一年入学早生れなので、精神年齢が低くてまだ全くの幼児であるのに、お茶の水師範の小学校に入学した。お茶の水の小学校には
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尋常一年入学

早生れなので、精神年齢が低くてまだ全くの幼児であるのに、お茶の水師範の小学校に入学した。お茶の水の小学校には入学試験がある。
紫の矢絣の銘仙の着物と羽織の対の元禄袖に官女の袴のような緋色の小さな袴。前髪を下げたお河童の私は、黒のゴム靴をはいてぼんやりと試験場に入った。正面の黒板に桜と菜の花の絵がかかっていて、教師が鞭で指し示しながら(これは何の花ですか?)と質問した。私はその日が来るまで、殆ど絵を見て暮していたようなもので、自分でも絵を描いたり、色を塗ったりしていたのですぐにわかったが、生れて始めて、高い所に立っている人間から尋問されたような状況に出会ったので度胆を抜かれて、桜と菜の花とをあべこべに答えた。その絵をめくると今度は女が井戸端で洗濯をしている絵が出た。これは出来て次の場所に導かれると、卓子《テエブル》の上に1から10までの数字を書いた丸い紙の札が各々二枚|宛《ずつ》ごちゃまぜになっていたが、教師は更にそれを一寸まぜ直して9の札を指さし、(これと同じの札がどこにありますか?)と訊いた。次は6を指した。眼は馬鹿に早い方だからこれは直ぐに見付かった。一部と二部があって、試験が全部出来れば一部に入るのだが、桜と菜の花をまちがえたので二部に入った。その日付添って行った母親は、数字は100まで教え、片仮名と平仮名も全部、猿を仕込むようにして教えこんであったのに、桜と菜の花をまちがえて二部になったので失望した。もっとも教室の都合で二部に分け、何か便宜上やり損った子供を二部にしたのらしく、その試験はただ普通一通りの智能があるかどうかを試すために一応やったのに過ぎず、問題の当り外れよりも、中の方に隠れた智能とか、頭の働きの速さを見るためで、年配の教師が試験官になっていたらしい。何故ならお茶の水は師範学校という位で全国の学校から上等な先生をすぐって集めていて、今想い出してみてもたしかに悠揚せまらないようすをした立派な教師ばかりで、道徳を口先ばかりで押しつける感じはなく、どれも大体本物の道徳先生だった。大体というが、大体にしろ本物の道徳先生なんていうものはその頃もごく少なかったと思う。歴史の大塚先生、理科の堀先生、私が退学した五年の時受持ちだった岡井二郎先生、なんかとても立派で、大学の先生が勤まりそうな先生で、三十八、九から五十位の年齢だった。岡井先生は、後に私が転校するのでお別れの挨拶に廻った時、(やめるのか? この日記、先生に記念におくれね)と言って、紅く丸い顔の中の丸い生き生きとした眼で私を見た。その時私は一寸、後悔した。大塚先生は老いた楠正成の感じ、堀先生は活気に溢れていて、よくふざけた。私が靴の釦をのろのろはめていても、生徒全部が馬なら速歩で走っている時、並歩位の感じで走っていても、白い眼でみる先生はなかった。立派な上に、現代の先生のように甘かったのである。
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