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記憶の絵39

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:凄い美人最初の記憶に残っている母親は薄藍色地に共薄《ともうす》で二本|縞《しま》のある糸織の普段着を着ているが、完全な姿
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凄い美人

最初の記憶に残っている母親は薄藍色地に共薄《ともうす》で二本|縞《しま》のある糸織の普段着を着ているが、完全な姿となって残ってはいない。清心丹(上野の守田宝丹で買った)を常に懐《ふところ》に入れていたために、清心丹の香《にお》いがする胸とか、抱かれた膝なぞが断片的に見えてくるだけだ。今でもはっきり見えてくるのは、千駄木町の家の奥座敷の廊下に、硝子戸に寄りかかって、何か想っているような母である。白地に薄い灰色で細かい石垣のような模様のある単衣に、銀糸の織り出しで桐の葉が、お太鼓の所や前に出るところに大きく出ている黒い紗《しや》の夏帯を締めている。いつも洗ったばかりのような束髪の横顔は、庭の青葉が映ったように青白く透っていて、十五世羽左衛門の明石の島蔵にそっくりである。私のようなうす暈《ぼ》けた長円《ながまる》の顔の娘が生れてきたことが信じられない、凄い美人である。今は言葉の意味が昔とちがってきて(凄い美人)といえば(大変な美人)という意味にすぎないが、母親の顔はその頃の意味での凄い美人である。伝法な、悪事をしかねない、という感じの凄さである。母親が親類の法事に行くために結った髪がそのままになっている毛手柄《けてがら》(丸髷の手柄の代りに手柄の形に毛を巻く結い方)の丸髷《まるまげ》で、鼠《ねずみ》弁慶(灰色と黒の弁慶格子)のお召にお納戸《なんど》博多の丸帯、黒|縮緬《ちりめん》の羽織、という造《こしら》えで部屋に入ってくると、父親が(お母ちゃんは中味はお嬢さんだが、外から見たところは羽左衛門の妲妃《だつき》のお百だから、伝法ななり[#「なり」に傍点]が似合うのだ)なぞと言ったが、その通りだった。母親にとっては父親が「ボルクマン」を訳したり、それにつれて役者が家に来たり、歌舞伎座で父親の「日蓮上人辻説法」を演《や》ったり、歌舞伎座や明治座の楽屋を廻って談話筆記をしていた鈴木春浦が父親の「ノラ」や「稲妻」の口述筆記をしに家に来たり、という風だったことは全く幸いで、もし単に陸軍中将の奥さんだったらとてもそんな好みの着物は着られなかっただろう。父親は許しても、その頃は境遇で服装が定まっていたからだ。女の人が紋付の羽織を着て歩くのは軍人か、官吏、又は校長先生の奥さんか、芸者だけだった。私が母親と、向島へお墓詣りに行った帰り、浅草でお料理をたべたり、南京玉《ビイズ》や人形、ままごと道具等を買って貰い、さて、何台も満員の電車をやりすごして、ようよう乗り込み、私は母親の腰の辺りにくっついて中の方へ進んでいると、二三人の職人が母親を見て、(ヘン、女でも紋付きを着りゃあご婦人だ)と大声で言ったりした。母親が黒縮緬の羽織を着るとすごく粋《いき》だった。外出の時、すっかり帯を締めてしまってから、母親が黒縮緬の羽織を空《くう》に泳がせるようにしてはおると、羽左衛門(十五世)の福岡貢が黒い紗《しや》の羽織を着るところのようで、きれいな風が起るようだった。喜多村緑郎の浪子も河合武雄の満枝も吹っ飛ぶ美人だった。
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