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記憶の絵45

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:続・仏英和高等女学校仏英和に入るとまず外国語はフランス語と英語とあるから、どっちか選べ、と言われる。そのころは英語しか通
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続・仏英和高等女学校

仏英和に入るとまず外国語はフランス語と英語とあるから、どっちか選べ、と言われる。そのころは英語しか通じない(今でもそうだが今よりもっと英語が盛だった)世の中だったので半数位は英語を選んだ。私の家では父親が、始めからフランス語をさせるために入れたらしいので、無論フランス語である。ところで哀れをとどめるのは何も知らずに英語の方に入った生徒たちである。校長がフランス人だし、フランスの学校だろうということは解っていても、学校の中で、それほどフランス勢の勢力が根を張っているとは気のつく親はなかったが、仏英和高等女学校に於けるフランス人の修道女の優勢と、英吉利のそれの劣勢というのはひどいもので、生徒たちも入学すると間もなくそれにいやでも気付かなくてはならなかった。第一英吉利人のシスタアは一人しかいない。何があってもフランス語の組の方が優先で、卒業式のコメジもフランス語の組の方が先きだし、コメジに使う衣裳を造ったりするのも、女中の修道女がフランス組の方を先きにやるのである。芝居も、フランス組の方が衣裳も多く要する大がかりなものを演《や》った。フランス語の生徒たちは忽ちエリイト意識を持って、英語の生徒たちを莫迦にし、英語の生徒たちはなんとなく小さくなっていた。フランス組と英語組の生徒が同時に雨天体操場に出て来て、そこで修道女に別れの挨拶をすることになる。するとフランス組の方がスウルも、生徒も意気揚々で、生徒は声を張り上げて「メッシ、マッス、オルヴァ、マッス」と唱えるように繰り返すと、英語組は隅の方に固まって「サンキュウ、シスタア、グッドバイ、シスタア」と心細い声で言うのである。西園寺公の孫だとか、フランス大使のナントカとかいう人々が大へんによく出来たり、スウルたちとペラペラ話したりするのは別として生徒たちは大体外国語に熱心ではなかった。フランス語の生徒も、教科書にある以外の言葉は意味もわからずに喋っていた。スウルが(これ、誰が落しましたか?)と落し物を高く差し上げてみせると、落し主は(セ、タ、モァ)とか(セ、パ、モァ)とか叫ぶし(これはお前のか?)と言うと(セ、モァ)なぞと答えるが、綴りを知っているわけではない。スウルが(メッシャントゥ)といえば怒られたのだと思い、(トレ、ビヤン)といえばほめられたのだとわかる。その外には(セ、フィニ)——もう書けました——位を知っていて課題が出来上ると(マスセフィニ)と大声を上げた。稀《たま》に本国から偉い司祭かなにかが来て、その人が来ると即製でラテン語の歌を覚えさせられて、≪ヴェニ、クレアトオル、スピリトゥウス≫(聖なる造物よ、栄あれ)なぞと歌って後《あと》は休みである。又スウルたちはどういうわけかきれいな菫色のインクを使わせた。スウルたちの音もなく、滑るように書く、菫色のフランス文字はひどく綺麗であった。
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