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記憶の絵49

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:亀井伯爵夫人とバナナ私の父方の祖父は津和野の殿様の侍医だったので、家《うち》では亀井家のことを亀井様と言っていて、年に何
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亀井伯爵夫人とバナナ

私の父方の祖父は津和野の殿様の侍医だったので、家《うち》では亀井家のことを亀井様と言っていて、年に何度かよく知らないが父親は、東京の亀井様のところにご機嫌伺いに行っていた。又そこの家令の増野《ましの》さんの奥さんに、増野|季子《すえこ》という人がいて、よく家に来ていたが、戦後の或日、私の部屋に少間《しばらく》話して居てから丁度台湾から出て来て宿っていた兄のいる奥の部屋へ行きながら、「於菟さまにおもの[#「おもの」に傍点]を申上げてこなくては」といって私をおどろかせた。華族の家で使う言葉らしかった。一年に一度ずつ下されものがあって、大抵反物で、紋羽二重や、羽二重の白無地や、友禅だった。私の着物や羽織になる時が多かったが、緞子《どんす》をいただいた時は客用の座蒲団《ざぶとん》になった。茶色と紺との緞子の時には座蒲団の裁《た》ち残りの細長い布《きれ》で、祖母の男帯を造らえた。薄桃色の緞子は、母親の少女の頃の着物だったらしい紫地に枝垂《しだれ》桜と手毬《てまり》の模様の布《きれ》と合せて、芝居の殿様が敷いているような額縁の座蒲団を造った。眼が醒めるような綺麗な座蒲団で、私が雛祭や誕生日に友だちを招《よ》ぶ時とか、女客の時に主《おも》に使った。
或日水野錬太郎という人から父親が何かの宴会に招《よ》ばれたが、都合が悪くて兄と私が代理として行った。築地精養軒だったが、控え室に入ると大勢の中に亀井伯爵夫人がいた。私の父親はよく「西洋の貴族の女は、人が大勢いる時に一人や二人にだけ話すようなことはない。満遍なく周囲《まわり》の人間に一寸なにか言ったり、微笑《わら》いかけたりするものだ」と言っていて、母親が「そうですか、でもあたしにはそんな上手なことは出来ません」というと「お母《かあ》ちゃんのは黙って座っているのだから貴婦人以上だ。王族だね」と笑っていた。亀井夫人は父親の言った通りだった。肱掛椅子にゆったりとかけ、美しい微笑《わら》いを浮べて話す人の方を見たり、又誰かに一寸何か言ったりしている。夫人の微笑《わら》いは、自分を取り囲んでいる五、六人の人々の、その後の方にいる人人にも柔《やさ》しく投げかけられる。私はすっかり感動して、美しい夫人ばかり視ていた。私は時々、こんなようすをしてみたいと思うが、やっぱり、夫人を敬っている人々で、辺りが一杯だから出来る芸当である。私なんかがやれば、見物人のいない役者のようなものだ。やがて食堂に入ると、素晴しいことに私の真前《まんまえ》が亀井夫人だった。私が夫人の一挙一動を一心に見ていると、果物の時になり、ボオイが果物の盆を差し出した。夫人は私と同じにバナナが好きらしくバナナを取った。そうして皿の上にとったバナナの内側の方をナイフで一皮きれいに剥き、中の身にはす[#「はす」に傍点]にナイフを入れてからフォオクで口に運んだ。「なんて素敵なんだろう」私は感歎して、以来会なぞに行ってバナナが出ると、誰かが見ていますように、と思いながら、亀井夫人の通りにするのである。
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