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記憶の絵68

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:続・洋行私は夫の姉が二人とも怒っていても(長姉の方もむろん怒っていたらしいが利口な人なので黙っていた)ケロリとして、洋服
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続・洋行

私は夫の姉が二人とも怒っていても(長姉の方もむろん怒っていたらしいが利口な人なので黙っていた)ケロリとして、洋服を誂えたり、靴を買ったりがうれしくて欣然としていた。
洋服は巴里に行ってから拵らえる方がいいのはわかっていたが、着物でマルセイユに下りるわけにもいかないので、こっちでつくることになったが、誰から勧められたのか、布地と見本を持ってやって来たのは、横浜の支那人の洋服屋だった。父親が見本を見て、選んで誂えたが、ろくなのは出来上らなかった。白に灰色のストライヴのブラウス(襟元に黒リボンのボウがついている)なんかは一九〇八年のドイツの女学生のようで、父親の訳した「寂しき人々」(ズウデルマン?)に出てくるアンナ・マアルみたいだった。白無地にレエスのブラウスは気に入ったが、もう一枚の、オールド・ロオズなる色のサテンに、黒で胸や袖に刺繍のあるのは(袖の形はキモノスリーヴというので、先が広くなっていて、それが流行だと洋服屋は言ったが、二三年遅れの流行だったらしい)支那《チヤイナ》式だった。黒の形の悪いスウツに、黒い外套、巴里ではみんな肌色の靴下を履いているとは、夢にも知らないので、靴下も黒だった。靴は桜田本郷町の角に、なかなか洒落たのがあった。靴はとくに気に入って、私は黒い絹の靴下をはき、靴をはめてみて、内心得意で、早くこの靴で巴里を歩きたいと思ったのだから恐れ入る話である。
(洋行)といっても楽なもので、父親と母親とが、一寸法師のじいさんばあさんのような騒ぎで、(舟はじいさんの汁の椀)といった感じだったし、旅券から何から、すべて兄がやり、私は自分の足で船に乗っただけである。向うでの旅行では夫が鞄に荷物を詰め、私の化粧道具だけを寝台《ベツド》の上に出し、時計を見ながら待っている、といった調子。このごろはとうとう一人ぽっちになったが、旅行の時には萩原葉子(今度偉い文学をものしたのでそろそろ今までのように後輩扱いをしていばっていることも出来なくなりそうだが)が父母と夫の代りをやってくれる。どこまで悪運が強いのか知れない。しかも一切気を使わないのであるから天皇陛下の旅行以上である。次に母が心配したのは、兄と二人なので女の相談相手がないということだった。そこで、工藤さんという同じ船で行く奥さんに伝手を求めて頼みこんだ。工藤夫人は支那語が出来る。香港で夫人と私とを乗せた車夫が、行く先もきかずに走り出し、どこへ行くのかわからなくて恐怖に陥った時、夫人が何か言うと、車は無事|元《もと》の場所に戻ったので、青くなって立っていた兄もほっとした。そんな訳で私は、人を怒らせたり、厄介をかけたりした揚句、東京駅で父と哀しい別れをし、豪華な食堂のある船に乗って王女の気分で航海をし、兎にも角にもマルセイユの港に、到着した。
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