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記憶の絵94

时间: 2020-03-30    进入日语论坛
核心提示:伯林の夏私の父親が死ぬまで夢にみていた伯林の、リンデンの並樹の下を歩いたのはそれから直ぐ後だった。ウンテル・デン・リンデ
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伯林の夏

私の父親が死ぬまで夢にみていた伯林の、リンデンの並樹の下を歩いたのはそれから直ぐ後だった。ウンテル・デン・リンデン、ストラッセから遠くないシュタイン・プラッツにあった、パンジョン、シュタイン・プラッツの、濃い緑の実をつけた焦茶色の木の葉模様の壁紙を張った部屋に入った時、そこは紛れもない伯林だった。窓からリンデンの並樹の幹が見え、午《ひる》の明《あか》りが流れこんでいる。がっしりした卓子《テエブル》に椅子が三つ、長椅子。パリの、水色の縞と薔薇との壁紙の部屋が、冬空の下でも明るいのに比べて、この部屋は明るい午の光の中にあってもどこか暗い影が沈んでいる。千駄木の家の奥の部屋で、父親が鈴木春浦に口述していた「稲妻」の、「幽霊」の、「人の一生」の、そうして「寂しき人々」の、部屋だ。伯林の夏はリンデンの並樹の、濃く厚い緑に蔽われ、黄金色《きんいろ》の産毛の、白い衣=ここではどうしても洋服ではなくて衣《きもの》である。何故なら父親の翻訳では衣《きもの》で、たとえば、青い衣《きもの》を着たミス・キョルヌ、手に薔薇の花を持ちて登場、という具合だからで、私にとっては伯林の町は父親の翻訳小説や戯曲の町以外のなにものでもないからである=を着た娘たちは薔薇色で、粗野で、山の桃か野茨《のばら》のようで、女学生は青い梨を噛り、白い歯で笑って歩いているが、こんな娘たちの中の優雅なのがグレエトヘンなのだろう。事実、大正十一年という年代には、独逸にはグレエトヘンが、維納《ウインナ》にはクリスチィネが、又東京の下町にはお玉が、いたのである。(自分の境界の中にじっとしていて、ふと生まれた恋も偶然の運命で失った、恋人の岡田が投げた石で死んだ雁が象徴しているところの可憐なお玉は、いつからか「雁」〈お玉が主人公の小説〉の広告にも、所謂、境遇に抵抗して目覚めたり、起き上がったりする、自覚の女として紹介されるようになった。映画なら監督する人の作品だから、切角希臘神話をひそめたような話だと思うが、別に言うことはないが、小説の広告まで映画に釣られては困るのである)パンジョン、シュタイン・プラッツは千近くも部屋があり、鍵も鬼のように頑丈で、私がもし一人で下宿していたとしても、どうやっても紛失《なくな》しようのないような、薩摩芋位の大きさの木製の楕円形の球《たま》に部屋の番号を彫った鉱《かね》の板が張ってあるのが、ぶら下がっていた。伯林の下宿人には私のような落しものの名人が多かったのかも知れない。パンジョン、シュタイン・プラッツには学生のチンメルマン、珠樹の独逸語の教師、ハインリッヒ・カハァネ、フロイライン、フリィダ等が出入りし、辰野隆、矢田部達郎、箕作新六等の梁山泊の面々も引越して来ていた。山田珠樹の卓《つくえ》の上にはストリンドベルヒの「ファアテル」(父)が置かれてあったり、私の映像《イメエジ》の中の、(パッパの伯林)にふさわしく、「アルト・ハイデルベルヒの想い出」や、ワグネルのオペラ、「ロオヘングリィン」、「ヴァルキュウレ」などの舞台が、私達の前に展開した。
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