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もめん随筆06

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:借家の庭わづか三坪ほどの庭なのだが、石を惜しまない此の地方の特色で、くつぬぎの大きな自然石をはじめとして大小のとび石、も
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借家の庭

わづか三坪ほどの庭なのだが、石を惜しまない此の地方の特色で、くつぬぎの大きな自然石をはじめとして大小のとび石、もくこくの根元の岩のやうなすて石。庭の前面は一体に高く土を盛り上げてそこも大小の石でかためて、石と石との間には、さつき霧しま柘植平戸など丸くひくくつくつた樹が植ゑてあるので、飛石と向う側の盛土の石との間はそれらの樹でおほはれてあるため、まるでいつもせんけんと水の流れてゐる小流れのやうな錯覚をおこさせる。つまりこれ等がごく普通な借家の庭のこしらへ方なのであらう。塀も下の半分は石でたたんでその上に丈の低い焼板をめぐらし、土を盛り草を植ゑ、そと側は美しいかなめを揃へてある。板塀の上からあをい緑のかなめがあたまを出してならんでゐるが、こちらからの眺めでは石垣の感じの方が強くて、まるで石ばかりで出来た庭のやうな気がされる。塀に沿うて半頃に一本亭亭とそびえる松の樹の根もとには一基の化燈籠もすゑてある。樹は松、斑入りのまさき、しんぱく、もくこく、けやき、つげ、八つ手、南天、よくもこの小さな庭にこれだけの樹が入れられたものである。殊に八つ手は東南に突出した厠の目かくしに植ゑてあるのだが、その大きさは厠の屋根をこさうとして、つねに涼しげな緑のかげを厠の中へおとしてゐる。この家を建てた人は何か風流な好みの人と見え、小さな家には不似合に厠はたつぷりと余裕をとつて辰巳の方へつき出してあり、黄いろい壁土をたたきつけたやうに塗つた壁づくりで、一間の格子窓と小さな書院窓とをとつてあるため、それは厠といふより離れ座敷への廊下ででもあらうかと思はせる。厠に灯のつく時は八つ手の葉うらが緑に透けて、庭中にほのかな明色がただよふ。まことに初夏のけしきである。厠のむかう側には木犀と乙女椿の樹があるのだが、それはこちらからは見えないで往来の人の眼にふれるばかりである。厠と松の樹との間、一けんばかりの処を遠く緑の葉がくれに汽車が通る。家の前は往来をへだてて二階が建つてゐるのだが、その左側は田圃で、汽車の線路まで一軒の人家もなくひろびろと展けてゐるせゐである。線路は高架線になつてゐて土地よりはだいぶんに高いため、汽車の通るのは部屋に坐つてゐても見える。おひる時、南向きの座敷で食卓をかこんでゐると、遠くから、からからからと耳に快よい軽らかな響が伝はつてくる。あ、つばめが来たと自分達はしばらく箸をおいて、あのスマートな昼の急行列車の東上する姿を、八つ手の葉ごしにかなめの塀の上に眺めるのである。いま神戸を出てきたばかりのつばめは、その響の明朗なる如くその姿も颯爽として、初陣の若武者といつた感じがし、後尾の展望車が通りすぎた後は、毎日の事ながら一抹の郷愁を自分の胸へ落す。東京を遠く離れて思はぬ土地にすまひする者の無理からぬおもひであらう。つばめの響は近くで聞くとどの列車にもまさつて強烈な物凄い地響きであるさうだが、このあたりで聞くとまるで車輪が線路の上をとんでゐるかと思ふ程ごく軽いタツチで、からからからからと、五月の空によくまはる矢車のやうに聞えてくる。おなじつばめは夕方にもやつてきて、それもおなじくからからとやつてくるのだが、その時は特別に眺め入る気もおこらぬのは、自分勝手な感情である。もうあと十分ほどで神戸へ着くつばめは、すこし旅疲れのした気持であり、屋根には埃がたまつてゐさうで、そこにはもはや何のあこがれもないのである。もしも東京が、神戸よりもまだ西にあり、夕方のつばめがそこへ上《のぼ》るものとしたらどうであらう。われわれは夕餉の仕度の忙しい中からでも、つばめは? と座敷まで、その時間には必ず見にくるであらうに。……
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