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もめん随筆08

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:男の魅力・女の魅力松にからまる藤の花といふ古い比喩がある。新緑の五月、奈良へ遊ばれた人は必ずや記憶せらるるであらう、あの
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男の魅力・女の魅力

松にからまる藤の花といふ古い比喩がある。
新緑の五月、奈良へ遊ばれた人は必ずや記憶せらるるであらう、あの春日神社への坂をのぼる途すがら、右手の森深くうつさうたる杉木立の頂き高く懸つて、ゆらゆらとたわわな紫の花房が滝津瀬のやうにしだれ咲いてゐるうつくしさを。——藤の花といふもののほんたうの美しさを私はあそこで初めて知つたと云つても過言ではない。そして、男を松や杉のやうな颯爽とした緑樹にたとへ、女をなよやかな藤の花としてそれに配置した諺の巧みさをもそのとき同時に悟りえたのである。
松といふ樹の梢にはいくら風がわたつてもその葉がそよぐといふことがない。ポプラやプラタナスやわづかばかりの風にもすぐに応へてひらひらと葉をひるがへす饒舌な樹木にくらべて、いかにも沈着ながつしりとした感じが手頼しく思はれるのであらう、日本の庭をつくるといへば何よりもまづ第一に考へられるのは松の樹で、枝ぶりの面白い松を池にのぞませそれに藤の花をあしらうた風景は、閑雅な中に一点の艶かさを添へるものとして誰にも好まれた定石のひとつではなかつたかと思はれるのだが、この頃ではさういふ庭はおひおひに我我の眼前から失はれて、赤瓦の文化住宅にふさはしく明るいローンの庭が新しい美を訴へようとしてゐる。男にたよる事ばかり考へてゐた蔦や藤の花のやうな女性が、自ら街頭へ出て働く事をおぼえつつあるいまの時代では、松の樹の魅力はしぜんに彼女等のあたまからうすれて、秋になればその葉が黄ばみ初夏は新鮮な緑の影を舗石の上におとし、風にそよぎ雨にぬれそぼつプラタナスやポプラのやうな、自然に対する感受性の豊かな、つまりは話題の多いものわかりのよい男が好もしく思はれだしてきた事は否めない事実であらう。細君が戸外《そ と》に出て働き夫は家にゐて薔薇の虫でもとつてゐようといふ家庭は、私達の周囲にも加速度にふえつつある。失業洪水のもたらす一風景にちがひないが、昔はそんな男はどうやら男の数には入れて貰へなかつたもののやうに思はれるけれど、この頃ではちやんと旦那様で通るのである。細君は学校へ出て英語を教へその上にまだ家庭教師までして終日孜孜として働いてゐるのに、その夫は家にゐてただ書物ばかり読んでゐるといふある家庭の話が出て、男も男だがその細君の気が知れないと評したのは齢知命を越えたある大学教授であつたが、それでいいのではありませんかと反駁したのは彼女自身職業戦線へ出て働く可能性を持つた婦人であつた。さういふ女達にとつては何かにつけて亭主の威厳をふりまはし、気むづかしくかまへてゐるやうな手数のかかる男は最早や必要がないのである。
だがそれなれば、亭主は気易くものわかりさへよければどんな怠け者でもかまはないのかと反問されるならば、ちよつとお待ち下さいと私は答へる。ある女学校の同窓会できいた話だけれども、多額納税者の次男のところに嫁いで何不足ない若い夫人が、クラスメートの羨望の質問にせめたてられてただ一言、わたし別れようかと思つてゐるのと答へた。とんでもないと昔の主任教師が眼をまるくしてどうしたのです、何かそんな原因がお二人の間にあるのですか、あなたがとても辛抱できないといふやうな……と暗に富有な男にありがちの女のまちがひでもとたづねると、若い夫人は頭をふつて、いいえ主人はとても私を愛してゐてくれますのと別に鼻白みもせず答へたのであつたが、続けていふには、しかし主人は何にも仕事をしないのです。わたしそれが厭なのです。——その真剣な語気にうたれて級友達は瞬間しんと静まり返つたといふのである、どのやうに彼がゴルフの名手であつても、どのやうに彼が音楽のフアンであつても彼自身燃えたつ仕事慾を把握してゐないかぎり、その愛妻の心をつなぎとめる事は不可能であるらしい。建設と独創の才に恵まれぬ女性の特質として、自分に欠けてゐるところのものを男性によつて満たさうとし、それを育てあげるためには一身を犠牲に供してなほかつ悔いることがないのは、古今を通じて女の胸に流れる本流ではないかと思はれる。家にゐてただ書物ばかり読んでゐる夫のために孜孜として働く婦人も、形の上には現はれずともその夫の心の中に渦巻く仕事慾を見ぬいての事であるかも知れぬ。しんそこからの怠け者を唯唯として養ふ程に女はまだ力もなく、又それ程に寛容ではない筈である。女はいつの世になつてもナポレオンが好きにちがひないのである。
他人の批評はどうあらうとも、妻は戸外に出て働き夫は家にゐて書物ばかり読んで暮される家庭などは、お互ひの心持のピタリとしてゐる点で羨ましい限りだけれども、さういふ家庭はまだまだすくなく、いまの世の中では恋愛結婚までしてもうまくゆかないで別れる夫婦の方が、かへつて多いのではないであらうか。私の身内にも不幸にして二度も三度も細君と相合はず別れてしまつた男がゐる。いまでは子供まであつてよそ目には幸福に暮してゐるけれど、家庭といふところは別に楽しいところではない、誰でもただ楽しさうな顔をしてゐるだけの事であらう、さう思つて自分もこの頃はそれ程面白くない事でも面白さうに笑つて暮してゐるのだと彼は述懐するのである。敢て立身出世を望まずただ申分のないよい細君をもらつて申分のない第二の国民を得たいといふ事だけを一生の願ひとしてゐたのであつたが、その素直な彼の願ひを遂に満足させ得なかつた女達について考へる時、私は女が女らしくある事のいかに難きかを思ふのである。彼女等はいづれも勝れて美しく利口な女であつたにもかかはらず、どうやら女の魅力に欠けてゐたのではないかと思はれる。魅力の正体はただ一言、女らしさにつきてしまふのだが。
昔、細君こいといふ歌をきいた事がある。お顔がきれいで姿がよくつてついでに持参金を沢山持つて、学芸優等で、品行方正で交際上手な細君こいつたら細君こい、細君こいてば細君こいといふのでその虫のいい註文にふきだしてしまつたおぼえがあるのだけれど、私の親戚の男の註文もその歌とあまり変りがなく、当時私達はそんな三国一のお嫁さんがほんとにあるのかしらとかげで噂しあつたものだが、東京の大学を卒業してちやんと銀行につとめてをり、次男の事故姑のうるささはなし、分家する時には相当の財産も分けて貰つてその上に男振りも悪くはないといふ条件は、お婿さんとしてなかなか有利なものであつたらしく、まつたく驚く程多く美人の写真が集つてきて、本人は望み通りの細君をその中からえらみ出す事ができ、私達は唖然とした。お顔がきれいで姿がよくつてついでに持参金を沢山持つてとあの歌のとほりの細君が彼のところへ嫁いできたのである。
花のひらいたやうに幸福な事であらうと私達は彼の生活を推してゐた。だから一年程経つて突然彼がその細君を返してしまつたと聞いた時には、私達は再び唖然とするばかりであつた。見合結婚とはいひながらこれならばと打込んで貰つた細君なのである。別れようと思ひながらまだ一緒に暮してゐたある日の事、ふらりと大阪の町を歩いてゐてむかうからくる美人に心を惹かれ、お、あんな女をこそ貰ひたいものだと近寄つてゆくとそれが自分の細君であつた、とそんな挿話さへある程みめかたちは気に入つた細君なのである。
おほかたの男はみめかたちさへ気に入つた女なれば多少の我儘も愚鈍も辛抱してしまふものらしいのに、彼にはそれができなかつた。いや、さうではない。彼の細君は愚鈍でも我儘でもなかつた。新婚旅行に東京へ来て何を一番先に見たいかと云はれ、言下に上野の音楽学校へ行つて見たいと答へた程ハツキリしたあたまの持主であつた。花嫁はヴアイオリンのたしなみがあつたのである。そして夫も音楽は好きであつた故この点でも趣味の一致した似合の夫婦といはねばならなかつた。だがそれ程揃つた夫婦であつたにもかかはらず、別れてしまつた破綻の一因は既に新婚の初夜にあつたのである。
この頃は性教育といふ事がやかましく云はれてゐる。あまりに神秘の奥深く閉され、時には若い娘の恐怖の源とさへなつた秘密の扉をひらいて、人間生活の正しい認識を与へようとする教育は勿論望ましい事にちがひないのだが、過ぎたるは及ばざるに如かず、あまりもの事をハツキリさせてしまふと、昔は眩しいもののやうに思はれてゐたその夜の気持までひどく事務的なものになつてきて、男の方が反つて照れてしまふ場合もおこつてくるらしく、彼のこの頭のよい花嫁もやはりそのお仲間で、新婚の夜の部屋の床の間に挿された一瓶の花を眺めて、あれは誰が生けたのかとたづね「法にかのてしめへんな」と突込む程、理智的で冷静であつたのである。花嫁は夫に仕へる態度に於て欠くところはなかつたが、彼等は新婚旅行から帰つた日、東京で買ひ残した土産ものを揃へるために三越へ行つて、出てくると戸外は雨であつた。夫婦は梅田の駅まで出迎へた本家の番頭の傘をかりて、乗物のあるところまで仲のよい相合傘で行くのだつたが、ふと途中でうしろをふり返つた若い夫は、そこに頭から濡れながら随いてくる番頭の姿を見ると思はず云つた。「お、房吉は濡れてかあいそやな」言葉の終るか終らぬに花嫁は凜と答へたのである。「一本の傘に三人もはいれしめへん」……
理窟やなア。……と此のいきさつを私に語りきかせた彼の長兄は云ふのである。そやけどと彼はつづけて、これやがな、嫁さんの方がうしろ向いて房吉濡れてかあいさうな云うて、亭主の方が一本の傘に三人もはいれんやないかと云うたのやつたらなんにも問題はおこらへなんだのや、あべこべやつたよつて難儀な事になつてしもたんやと長兄は嘆ずるのである。「一本の傘に三人もはいれしめへん」……あつと私も驚いて、花嫁の冴えた頭に感じ入つたが、さて落着いて考へてみると成程やはり長兄のいふ通りに、これが反対であつた方が事はおだやかであつたらうと思はれてくるのは是非もない。理智に冴えわたつたあたまは近代の花嫁としてもつとも好もしいものに相違ないけれども、いきなりむきだしの理窟はせつかく新婚の夢に酔はうとする夫の眼をさむざむと白けさせてしまふばかりで何の効果もなく、反つてこの女はおもひやりに欠けてゐると若い夫は一ぺんに胸を冷たくしてしまつたのである。だがしかし、女房といふものはどうしてかうも眼下の者におもひやりがないのであらうと、その後いくへん貰ひ更へてもおなじ欠点をその細君に見出した彼は、つくづくと匙を投げてしまつたのだが、私も彼と同様に、時代が変れば女の魅力の内容も変つてくるのは当然の事ながら、それにしても初夜の羞恥と日常の温かいおもひやりだけは、いつになつてもその胸にすまはしておいて欲しいものだと望まずにはゐられない。このやうに考へる私は結局、下を向いて咲く藤の花の美しさを女の魅力と思ふのかもしれないが、どうやら古くさいこの比喩がやはり真理ではないかと思はれてくるのである。
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