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もめん随筆34

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:故郷をさがす今年も又夏の休みが来て、苦しい学課から解放された子供達はいそいそと旅装を調へて海へ山へ出掛けて行く。なかには
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故郷をさがす

今年も又夏の休みが来て、苦しい学課から解放された子供達はいそいそと旅装を調へて海へ山へ出掛けて行く。なかにはお故郷《く に》へ帰るといふ子もすくなくはないのである。
「ね、村上君のお故郷福岡なんですつて。今夜すぐたつんだつて、ずゐぶん早いのねえ」
成績簿と一しよに子供はそんな報告をもたらして帰つてくる。だがそれを母親に伝へる子供がべつに羨ましい顔もしてゐないのは、彼も又今年の夏は大阪へ行く予定になつてゐるからである。子供達は大阪を自分等のいはゆるお故郷だと思つてゐる。
子供は東京で生れ、東京で育つた年数の方が多いにもかかはらず、大阪に暮してゐた時分東京の話が出ると、東京へ帰ると云はず行くと云つた。江戸つ子江戸つ子と同級の小学生にはやしたてられ、自分でもそれをみとめてゐながらやはり東京がお故郷とは考へられぬらしかつた。学校の教室に西宮市の地図がはつてあつて、その中に鷲尾本邸とあるのをこれは僕の親類の家と云つたら、友達に嘘つきだと云はれたと泣き顔をして帰つて来た事があつた。
「江戸つ子が鷲尾さんの親類でなぞあるものか」
小さな愛郷者は肩を聳かして云つたさうである。昔ながらの伝統を重んずるその土地では、辰馬氏の事を本家、鷲尾を鷲尾さんと小学生迄がさんづけにして呼んでゐる。その鷲尾さんと風来坊の東京者なぞが親類であつてたまるかと彼等は肩を聳かしたにちがひないのである。
「だつてあそこはお祖母ちやんのお実家ぢやないの、ねえ。そんなら親類にきまつてるぢやないの」と子供は口をとがらしてゐたが、大阪にはその祖母さまの生れた家をはじめとして、父親の生れた古い家、伯父伯母大きな従兄姉達、それぞれにやはり昔ながらの家に暮してゐる。新宅して分家する者はあつても、転転と借家を移りすむ者は一人もない。
さういふどつしりとした生活ぶりが子供の心にも何か安らかな感じを与へて、いかにもお故郷らしい気持をおこさせるのであらうか、——お故郷といふ気持の中には伝統といふ色彩が強くふくまれ、変化のない事が第一の条件であるらしい。親類もなく家もない東京の土地を、子供が故郷と考へにくいのは又無理からぬ感情であらう。
夫は大阪に生れて大阪に育ち、まつすぐに大阪が故郷である。そして子供等は父親の故郷を自分の故郷と思ひ、そこへ行く事を楽しんでゐる。お祖母さまにはどんなお土産がよからうか、従姉の子供には何をあげようかと毎日小さなあたまをしぼつてゐるのを見ると、ふと私もそれにつられて、自分もどこかそんなお故郷へ土産物を携へて帰つてみたいと思ふのであつたが、私には帰るべき故郷がないのである。私の宿はどこですかとよくお上りさんの笑ひ話にあるけれども、私もそのやうに、私の故郷はどこですかと人に問うて見たい程の心地がする。
生れたのは札幌で、而も十七の年まで其処で育つたにもかかはらず、私が札幌を故郷と思ひ難いのは、子供等が生れた東京を故郷と思ひ難いのと、おなじ気持であるかもしれない。もちろん札幌には身よりもなく、生れた家は火事に焼けて、ただ父の建てた白壁の土蔵だけ変りなく残つてゐるさうであるが、それにまつはる少女時代の感傷はあつても、だから故郷だとは思ひ難いのである。内地、——といふ文字を新聞なぞで見ると、いまでもふいと胸の熱くなる時があるけれど、さういふ気持を知つてゐるのは、どう考へてもあまり幸福とは云へないやうである。内地。内地。北海道に暮してゐる程の人でその言葉を口にせぬ者は殆どなかつた。
内地は暖かくて、春になると練菓子のやうに真紅な椿の花がぽつてりと咲くさうである。五月、蜜柑の花の咲く頃になれば、紀伊の国から海をわたつて淡路島まで、胸のすくやうな花の匂ひをのせた風がふいてくるさうである。秋になればつぶらな柿の実がちやんと樹の枝に実つてゐて、可愛い小鳥がそれをつつきにくるさうである。内地は空まで明るくて、そこに住んでゐる人は皆物腰がやさしく淑やかなさうである。お行儀がよい。第一御飯の時にお漬物から先に食べたりなぞしないと私はよく母に叱られたが、その母の郷里は淡路島であつた。父は秋田の人間で、しかし祖先は京都の出で平親王将門の後裔だといふのが父の誇りであつた。将門の後裔はともかく、父の生れた秋田の僻村では全村殆ど同姓を名乗り、名前は先祖代代の小二郎小六郎といふのがあつて、将門の一族である事だけはどうやらたしかであるらしい。相馬の戦に破れた彼等が北方へ逃げのびて、羽後の山間にその余生を送つたものであらうか。村では言葉までが普通の秋田弁とちがつて一種の風格を持してゐる。
北海道に暮す人は一やうに内地へ帰る事を楽しみとし、いまに成功して内地へ帰るのを唯一の望みに働いてゐるやうであつた。父もよくそれを口にした。秋田のやうな田舎へ帰つても仕方がないから、東京へ家を建てて暮さう。死んだら鶴見の総持寺へ墓をたてて貰ひたい。いや墓はいつそ淡路島の方がよいかもしれぬ。あそこは日本で一番最初に出来た島だし、それに京都へも近いしなどと。そして父は待遠しさのあまり多額の費用をかけて白壁の土蔵なぞ建てて見たのかもしれなかつた。雪の国に白壁の土蔵はあまりに不似合だが、それが父のあたまに描かれた内地であつたのであらう。いまにして思へば胸が切ない。
だが両親のそれ程激しい思慕にもかかはらず、子供の私には内地がお故郷とはどうしても思へなかつた。それはあまりに遠すぎた。日常の環境から内地の人の生活を想像すると、まるで雲の上をさぐるやうに手頼りなく、つかまへどころがなかつた。淳仁天皇のお墓所をてんのの森と云つて、椎の木ばかりのこんもりとまるく茂つた美しいお山で、そのお山の麓に芝居で見る阿波の鳴門のおつるのやうな小さな巡礼の娘がやすんでゐる事もあるなどと聞かされても、それはまるで夢のやうな話で、芝居のつづきとより思へなかつた。菱の実が菱形をしてゐたり、ざぼんといふ香り高い果物があると聞いても想像がおぼつかなく、むしろ自分には飜訳小説で読んだろしあの人の暮しの方が、いきいきと身に近かつたのである。
空が、一ばん深い海よりも碧くひろかつた。さらさらとポプラの梢をわたる風の音は土用半ばに既に秋であつた。白樺の森、楡の林、小説の中に出てくる樹木が日常眼に親しいばかりでなくキヤベツのスープ、小麦粉のパン、酢づけの胡瓜や玉葱や花びらのやうに白い粉をふいたポテト。台所の天井には袋入りのハムがぶら下つてゐて、母はその下でグースベリイのジヤムをつくつた。しぼりたての牛乳、つくりたてのバタ、私は小説の中の人達とおなじやうなものをたべてゐるのである。野には蜜柑の花のかはりにほろ苦くあまいホツプの花の香りが流れて、長い薄暮にかつかつとまるで毛皮のズボンをはいたやうな逞ましい輓馬が、山のやうに積みあげた牧草の車を曳いてくるのに出会ふと、私にはその牧草が小麦粉の袋のやうに思はれ、その馬車に美しいアレキサンドラが乗つてゐはしまいかと眼を輝かせた。アレキサンドラといふのはその頃自分が熱心に読んでゐた「うき草」の中に出てくる地主の若い未亡人であつた。そして自分は恋をする少女ナタシヤになつたやうな気持で、朝早く、ろしあざらさのひだとレエスの多い洋服を着て、ボンネツトといふものをいただき、露の深い草原を散歩した。父は後年私を外国へ送るつもりで、そんな風に育てたのである。
ジヨンといふ遊び友達は金髪のイギリス人の子で、ミリアムさんはメソヂスト教会の牧師さんの娘であつた。紅いジヤケツを着てゐた。町には教会が五つも六つもあり、日曜日には休業する店が多かつた。冬の吹雪する日は白い沙漠のやうな往来に二日も三日も人通りが途絶え、農学校の時計ばかりが、怠りなく正しい時刻を告げてくれる。くらべるものもないあの清澄な音色を吹雪の中で聞いたものは、恐らく終生忘れ得ぬ響をその胸にたたみこんだであらう。交通の途絶えた町に一時間おきに正しく時計が鳴るといふ事は、天候に虐げられた人間にとつてまるで救ひの鐘のやうに心強く頼もしかつたのである。私はストオヴの傍で編物をしながら、その農学校の最初の校長さんであつたクラーク博士の事を考へた。偉いクラーク博士は小さな私のあたまの中で神様のやうに偉かつたのである。そして私には日本の歴史といふものが、内地とおなじやうに遠くはるかのやうな心地がした。
いま私は、父や母があんなにも帰りたがつた内地に住んでゐる。だが私は内地に住んでいつも何となく坐りのわるいかすかな不安を感じつつある。父母の墓は淡路島にたてたが其処を故郷とは思ひにくいし、東京はもとよりの事。それなれば札幌こそまがふ方なく故郷であるべき筈なのに、やはり私にはうなづけないのである。札幌にはもう誰もゐない、その事が私の心を疎くするのであらうか——ああほんたうに誰も彼も帰つてしまつた。クラーク博士は夙くの昔であるが、ミリアムさんもジヨンさんもおしやべりのグレースさんもそれぞれアメリカへイギリスへ帰つてしまつた。父母は骨になつて淡路島へ帰つてゐる。私は何処へ帰ればよいのであらうか。
私は小さい時から怒りつぽく腹立ちやすい少女で、おまへは多分滝夜叉姫の生れ変りであらう、だからそのやうに人に逆ふのであらうと父はよくからかつたが、その性癖はいまもなほらず、ママは怒つてさへすればきげんがいいのねと子供等まで心得てゐるが、長い間私は自分の腹立ちぽさを体質のせゐと考へてゐた。それは勿論一因ではあらうが、もつと重大な原因は、帰るべき故郷を持たぬ不安さにもとづくのではなかつたかと、此頃になりふと気がついたのである。松杉を植ゑる、——と昔の人は云つたやうだが、さういふ故郷を持つ人は幸福である。故郷なぞどうでもいいではないかといふ人でも、さすがに自分は日本人かと疑つて見た事はないであらう。私はまちがひなく日本人でありながら、あたまの何処かがぼんやりとぼやけて、折折自分の故郷はどこか遠い遠い、行つた事もない外国の、野の果に風車のまはつてゐる片田舎ででもあるやうな、へんな錯覚をおこすのである。
帰る帰ると云ひ暮した父母の言葉が身にしみて、やはり私も何処かへ帰らねばならぬやうに、ちやんと内地に住んでゐながら、いつも前のめりの椅子に腰をかけてゐるやうな危い心地がするのである。私は自分の松杉をどこへしつかり植ゑればよいのか、それがきまれば、日常のつまらない腹立ちはみんな消えてしまふだらうと考へるが、それは一たいいつになる事か。
私は大阪へ持参する土産ものを子供と一しよに考へてやりながら、やはり自分ひとり取残されるやうに、心細さをとどめ難い。
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