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もめん随筆35

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:絹もすりんこのあひだ林芙美子さんがお書きになつた小説の中に札幌の事が出てゐた。何心なく雑誌の頁を繰つてゐると、ふと札幌と
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絹もすりん

このあひだ林芙美子さんがお書きになつた小説の中に札幌の事が出てゐた。何心なく雑誌の頁を繰つてゐると、ふと札幌といふ字が眼についたのでそこを読んでみると、一生に一度でもいいから札幌見物がしてみたいと何処か田舎の宿屋の女中さんが云つてゐる。芙美子さんだなと直ぐ思ひ、子供が当てものをする時のやうな愉しさではらはらと頁を返して作者の名を見た。やつぱり芙美子さんであつた。私は机の前に坐り直して、こくこくと搾りたての牛乳を飲むやうに読んでいつた。
自分の生れた土地の姿を人の筆で読む事は自分のうしろ姿を思ひがけなく見せてもらつたやうになつかしい。いまでは家も身寄りもなく故郷といふ言葉に遠い心地もするが、十七年のあひだその土地から一歩も出た事のなかつた身には、白白と長いアカシヤの垂れ花の匂ひのやうな切なく甘い思ひ出が胸をしめつけるのである。私は読み終へてのちしばらくは茫然と空を見あげたまま机に頬杖をついてゐた。頭の中でさわさわと豊かな楡の葉ずれの音がしてゐる。楡の樹かげにペンキ塗りの粗末な洋館があつて、窓が展いてゐる。白い絹もすりんの矢飛白の単衣を着た少女が、額ぶちにはめられたやうに胸から上を見せてオルガンを弾いてゐる。……君は谷の百合みねのさくらうつし世にたぐひもなしと唱ひながら弾いてゐるその少女は、遠い日の自分の姿であると同時に又、友達の誰かれの姿でもあつた。私達はどんな真夏の盛りでも浴衣といふものを着た事がなく、それから又どんな時にも三味線といふ楽器を手にした事がなかつたのである。
十八の時初めて上京して、ふとした機会から踊のお稽古に通ふやうな事になつた。御縁があつて牛込の藤間勘次さんに教へて頂いたのであるが、踊などといふものは三つ四つの頃近所に若いお妾さんがゐて、退屈しのぎに私を借りていつては深川だの奴さんだのを教へてくれた事があるきりで、手の出しかた足の踏みかたてんで見当のつけやうもなく、つるつると滑つこい舞台の上を、ただ辷るまいといふ一心で浮腰に歩き廻つた。爪先立つていまにも転びさうな私の足許へぢつと眼をそそいでゐたお師匠さんは、やがて一緒にお茶を飲みながらさり気なく云はれるのである。
「おたまさん、あなたの足袋は幾文なの」きかれても私は知らなかつた。
「家から送つてきたのをそのまま穿いてゐるんですけど、……」
「さう。道理で変だと思つた。その足袋はきつとあなたには大き過ぎるんですよ、一ぺん足袋屋へいつて寸法をはかつてお貰ひなさいよ。足袋だけはきつちりしたのを穿かなくつちやね。……」
私はお師匠さんに教はつた通り早速通寺町の美濃屋へ行つて寸法をはかつて貰つた。八文の足袋がきつちりと合つた。あらためて家から送つてよこしたのを調べると、こはぜに九文と刻んであつた。
神楽坂の夜店に金魚売りや虫屋が幅をきかす頃になると、女の人の姿が眼に立つて美しくなり、散歩に出る人の数が急にふえてゆくやうに思はれた。人間洪水といつていいやうな凄まじい群集の間をくぐりぬけて、矢来のお師匠さんのところまで辿りつき、黒つぽい縞もすりんの単衣の袂からたたんだ手巾を出して顔を拭いてゐると、二階から降りて来たお師匠さんが私を見て「暑いでせう」と声をかけた。
「おくにでは今頃でもやつぱりさういふ風にもすりんを着てらつしやるの」
「ええ、……」と私は頤をひいて自分の衿を見るやうにした。
「夜のお稽古は浴衣でいいんですよ。……昼間だつてお稽古の時はねえ、汗になりますからねえ」
夜の神楽坂を歩く女の人が急に美しく見え出したのは、くつきりと鮮やかな浴衣のせゐであつた事にやつと私は気づいたのである。
浴衣は人形町へ行つて買ふものだと教へてくれた人があつたので、直ぐと人形町まで買ひにいつた。浴衣を着た時は足袋を穿くものではないとまた人が教へてくれたので、私はあゐ染めの縮に黒繻子の帯をしめ、素足に日和下駄の歯の音をたてながらお師匠さんのお宅へゆくと、神楽坂の人ごみをぬけてきた足が埃でざらざらした。毎晩女中さんに頼んで濡れ雑巾で拭かして貰ふのが何となく気がひけたけれど、それでも自分はこれでもうしきたりに於て些かも欠けるところがないのだからと、顧みて自ら慰めた。
ある晩、池の端の納涼博覧会へ行かうといふ話になり、お師匠さんも私もその年流行の養老縮の滝じまに鹿の子織の帯をしめて「浴衣に足袋はあれだけれど、電車に乗るのだからやつぱり穿いてゆきませう」お師匠さんがさう云ひながら足袋のこはぜをかけるのをうしろに坐つて扇いであげながら、私は突然お腹の中で火のもえるやうな心地がした。手拭につつんでしまひこんだお稽古の足袋をそつと取出して、燈火の消えた舞台の陰で人に知れないやうに穿いていつたが、かつと熱くなつたお腹の中がいつまでもほてつてゐて、納涼博覧会はおしまひまで暑かつた。
 廿年会はなかつた友達が京都から出て来たについては、その頃の連中が集つてお茶の会をするから是非出席するやうにとの案内状を受取つて日比谷の松本楼へ行つてみると、通された三階の広間に座布団ばかりがずらりとならべてあつて、お客さんはたつた一人しか来てゐない。西洋風に展いた硝子窓の向うに爽やかな緑が揺れ、近くのテニスコートで打つのであらう、ポーンとゆるやかな球の音が空にひびいてかへつてくる。口数すくない先客とぽつりぽつり話してゐると、しんとした四辺の気配にふと札幌にゐるやうな思ひがけない心地がした。放課後の校庭でくらくなるまでテニスの練習をした記憶が、ゆるやかなボールの音に誘ひ出されてゐたのである。
いつの間にやら人が集り、いつの間にやら窓のそとの緑が黒ずんできて、みんなはお酒にでも酔つたやうに、そちこちで甲高い話声が乱れた。京都から出て来た友だちが私に向つて、家への道すぢをたづねるままに「あたしんちはね」と答へかけると「あつ」と友達は不意に手を挙げて私の言葉を遮つた。
「ちよつと待つて。……まあなつかしい、私東京弁をきいたわ。あたしんちつてそれ東京弁よ、まあなつかしい。……」
友達は日本橋に生れて下谷の府立第一を卒業した生粋の東京つ子なのだけれども、廿年京都に住み馴れていまでは優しい京なまりがちらちらとのぞくのである。
「そして、それから?」としばらくして友達は、すつかり照れてしまつた私を顧みて促した。
「ええそれからね、此処んとこをまつつぐ行くと、——」
「あつ」と友達は又叫んで手を振つた。「それ、それ、そのまつつぐつてのそれ東京弁よ、まあなつかしい」
「いやだわ。私こそ今日は皆さんの東京弁を伺つて勉強しようと思つてきたのに、——」
林さんの小説の中の宿屋の女中が、一生に一度でもいいから札幌見物をしてみたいと思つてゐるやうに、この年年大阪に対する執着が強くなつて、一生に一度でいいから笠屋町辺に住んでみたいと願つてゐる私は、いつとはなしに東京の習慣も言葉も忘れ去つて、自分では標準語以外に何にもわからなくなつた気がするのに、ふかふかの九文の足袋をはいてゐたむかし、築地明石町あたりを逍遥つて、身体中を耳にしながらおぼえこんだ言葉のかずかずが、いまなほ身体の何処かに沁みついてゐるのかと思ふと、我ながら浅間しいやうな、そのくせ昔なつかしい心地がされなくもないのである。
遠くから話を聞き咎めて「あら、……」と青山生れの友達が歯ぎれのいい美しい声で云つた。
「おたまさんは江戸つ子ぢやなかつたの、まあ驚いた。私いま迄あなたは東京の、それも下町に生れた人だとばかり思つてゐたわ」
うまくお土砂をかけてくれるのである。
「ええ、私むかしね、田村俊子さんにさう云はれた事があるの。あなたは深川生れね、かくしたつて駄目よつて。——つまりあれなんでせう、北海道育ちの荒いところが、怪我の功名で本場の人を欺いたわけなのね」
田村俊子さんほどの人からさう云はれた時には身内がひきしまる程うれしかつたが、それと同時に拾ひあつめた孔雀の羽根でかざる烏の嘆きを、身に沁み沁みと痛く感じた。どのやうに孔雀らしく見えようとも所詮烏は烏に過ぎぬ。と云つて私の生れた札幌には、日常のしきたりに何の伝統もよりどころもなかつたのである。
震災以来大阪に住み馴れて、初めのうちは大阪の女の人が真夏の夜に、もすりんの単衣を着る事を野暮の骨頂と冷笑してゐたが、一ト夏上海にゐた妹から、ふらんすの婦人服地だといふ白地にラヴエンダ色の細かい縞のはいつたもすりんを贈られて、気まぐれに仕立てて見ると、さらりとした肌ざはりが思ひの外に涼しく、軽くてしかも透きとほらず、暑さの耐へがたい真夏の夜など煽風器に吹かれながらゐるには此上なく快適の着物だといふ事を知つたのであつた。やはり大阪の婦人は一歩を先んじてゐるのであつたと心ひそかに敬服しながら、此頃では足袋も昔のやうに木型にはめたやうにきつちりとしたのをやめて、いくぶん大きい目のものを穿いて足を休めるやうにしてゐるが、浴衣や足袋の苦労を忘れて以来、何となく身も心ものびのびとして再び少女の頃にかへつたやうに、一切の附焼刃をふり落して気らくになつた心地がするのである。夏は何よりもそれが涼しい。
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