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もめん随筆40

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:大阪の雨   二このあひだうちから新聞でさわがれてゐた颱風が、急に思案をかへて東京の空をとほり、おかげでやうやく新秋の爽
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 大阪の雨
   二

このあひだうちから新聞でさわがれてゐた颱風が、急に思案をかへて東京の空をとほり、おかげでやうやく新秋の爽かな涼風を吸ふ事ができたけれども、そのかはりせつかく楽みにしてゐた萩がすつかり枝を折られてしまつた。宮城野といふ紅萩でべつに珍しいものではないが、私はその花のやや盛りをすぎた頃、いやしい色の花びらのまるで紅皿からこぼれたやうに一面に地に散りしく趣きをこの上なく愛してゐるのである。萩といへば阪神西宮の広田神社の白萩の美しさはいまもなほ忘れ難いが、あの見事な白萩もこの秋はどうであらう。六月末のあの暴風雨には持ちこたへたかもしれないけれど、八月の二度目の水禍は広田の池をつぶしたといふ。萩もつつじも枝を折られ根を浮かされた事と傷しい。
萩やつつじばかりでない。広田の池がつぶれたなら、西宮にゐる間ぢゆう住み馴れた常盤町の平家も、ひとたまりもなく水中へ没し去つた事であらう。長年なじんだ家の柱に濁水のなだれこむありさまを思ふと、自分のふところへ水がはいつてきたやうに肌寒い。
あの家へはよく東京からたづねて下さる方があつた。徳田秋声先生が旅のついでにお寄り下さり、Tさんと一しよに尼ケ崎のホールへ行つたのもその家にゐた時である。森田草平先生が法政大学の講演に下関まで行かれた帰途立寄つて下すつたのもやはりその家で、さきに記した思はぬ失敗はその時惹き起した事なのである。
一たい西宮といふ土地はふだんから水が豊富で、阪急山手の別荘地には大きな屋敷の塀のそとへ清らかな流れをひきまはして、あやめかきつばたなど植ゑこんだ見るから涼しげな家もあれば、西洋風の建築にコンクリートでたたんだ浅い小みぞへ美しく水を走らせた瀟洒な家もあつたりして、常には町を歩いてゐてせいせいとするのだけれど、一たん豪雨となるとたちまちそれ等の小みぞへ水があふれ、あふれた水は道路へおし出して山手から下町へ、路を川にして滔滔と流れるのである。それに備へて大ていの家は道路よりも五寸か一尺、石をきづいて土台を高くしてあるので家へ浸水する憂ひは殆どないけれど、見る見る家の前の道路が一筋の川と化して、激しい勢ひで流れる水を見る心地は、いくら馴れても凄じかつた。そのくせ元来が砂地のせゐで、雨があがれば水のかわきも早く、一ときのまに又もとと変りない道路になつて、ぬかるみとか水たまりとかそんなものは見たくも見られぬ。何処へ雨が降りましたかといふ風で、さつと顔を洗つたやうにさつぱりとしてしまふのである。
七月の初めの事で、前夜は美しい星空であつたにもかかはらず、朝になつて突然烈しいゆふ立が来たかと思ふともう家の前はいつもの通りの川になつた。土佐堀の宿屋の方で森田先生が待つてゐて下さるので、お約束の時間までにぜひ伺はねばならないのだがどう手のつけようもない急流で、半町程離れたところへ電話をかけにゆく事さへ出来ぬやうな状態である。あせりながら手をつかねて茫然と時を過ごし、やうやくおひる前に大阪の宿へ行くと、先生は苦い顔で、僕は朝の六時から眼がさめてぼんやりとしてゐるのだよ、読みたいと思つても本一冊手許にはないし。……先生のお鞄は西宮の家におあづかりしてあつたので、なほさら恐縮な次第なのであつた。
こちらは降らなかつたのでせうかとおたづねするまでもなく、大阪へきて見ると穿いてきた足駄がきまりわるい程かつとした日照りである。それや降るには降つたがほんのすこしだつたなと、先生には私のいふ西宮の豪雨がどうにも信じられぬ御様子なのを、とにかくもう一度自家までおいで下さいと無理に西宮まで入らして頂いたが、さつきまで滔滔と川であつた家の前はいまは掃いたやうに美しく、からりと空が晴れてゐる。私は一層面目を潰したかたちで、もう一度降らないかしらと空を恨んだ。
東京へ帰られた先生からお叱りのお手紙を頂いて、私はしばらく気が鬱した。だがそれが機縁となり、自分の書いた小文が世へ出るやうになつたいきさつはこみいつてゐてちよつと書けないけれども、すべて森田先生のおかげなのである。その時森田先生が肝癪を起して下すつたおかげなのである。雨も風も私には偶然か必然か思ひ分ちがたい心地がされる。
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