短冊形の大根にささがし牛蒡、竹輪せり〓肉、それに焼いた切餅を入れ青のりをふりかけて七種《いろ》になる。これが私の生れた札幌のお雑煮。白味噌仕立で大根人じん頭の芋、お餅は丸いので花がつををそへてたべる。これは関西の夫の家のお雑煮。
家を持つて初めての新年にはどちらのお雑煮をするかきまらないで困つた。普通なれば一も二もなく夫の家の風に従ふのだらうけれど、年よりのゐない気楽さにはそんな必要もなく、それに第一東京では丸餅をこしらへて貰ふのもちよつと厄介で、切餅となると自然に私の主張の方が通つた。大晦日の年取りの御馳走なども夫の方は何もないのに、こちらは山海の珍味をならべて家内一同おなじ祝ひ膳につく風習があつたから、夫の方でその勢におされた形でもあつた。お年取りに御馳走がないんですつてまあけちくさいと、私は自分の生家のしきたりをひけらかして、鯨のお汁はぜひなくてはならないんですから探してきて下さい、とその頃はまだあまり見掛けなかつた皮鯨を下町まで買ひに行つてもらつたりした。その鯨のみそ汁に茶碗むし、さしみ焼物は云はずもがな、口取りは大皿にこてこてと盛りあげて見ただけで満腹するくらゐ、それから手拭を一筋とみかんを二十ばかり、御祝儀袋をそへてお膳の傍におくのよと云つたら、ふんそれはわかつたが俺の祝儀袋には誰が金子を入れてくれるのかねと問ひ返され、あなたのだけはないのですと云ふと、それではおまへさんのおつしやる自由平等にならないぢやないか、俺だつて金子はほしいからね。
ぎやふんとまゐつて口がきけなかつた。つねづね私のうちは自由平等主義で女中も一しよにおなじ食卓に向うのですと自慢してゐたのを見事にやられたのである。云はれてみれば父だけは食事の時間がちがふので、いつも一人でお膳をひかへてゐたのだから、女中さんが家族と一しよに向上したのだか、女子供が雇人と一しよに下落してゐたのかよくわからない。
御馳走御馳走と眼の色をかへてさわぐのは、ふだんおいしいものをたべてゐない恥をさらけ出すやうなものだと気のつく頃には子供もだいぶ大きくなつて、男の子は白味噌のお雑煮がよいと云ひ、女の子は〓肉や竹輪のはいつた賑やかな方がよいと云ひ、子供の好みに従つて或る年はお元日を白味噌に二日をお清汁に、次ぎの年はそれを逆にといふ風にくり返してきたが、年取りのお膳に御祝儀袋をそへるのは父の存命中東京でお正月を迎へた時に一度、夫からみんなへ配つて父を喜ばせた事があるきりなので、子供達は御祝儀袋の中からお正月のお小使ひを出してみて、多かつたりすくなかつたり、買ひ初めの胸算用に忙しい大晦日の夜の味は知らないでゐる。
昭和八年の元旦、二見ケ浦の宿屋で新年を迎へた。家を持つて以来初めての経験で、年こし蕎麦のついた晩御飯をたべてしまふとあとは何にもする事がなく、手持無沙汰で困つた。風が吹いて寒さうなので戸外へ出てみる勇気もなく、もう一度おふろにはいつて早くから寝てしまつたけれども、あんまり早く寝たのでかへつて眠られない。枕に近く波の音が通ふやうでもあり、それはただこちらの気のせゐのやうにも思はれる。二見ケ浦といふからには海岸にちがひないけれども、宿へつくまでどこにも海は見なかつたので、何となくあやふやな気もちで思案してゐるうちにそれでもうとうとしたらしく、波の音がだんだん近づいて来、高まつてすぐ部屋のそとまでおしよせてきたと思つたらはつと眼がさめた。どうしたのか大変そとが騒がしい。
ぢやりぢやりがらがらと小石をふみしだくやうな下駄の音に交つて絶えまなく人の話し声がつづき、何だか知らないけれども大勢の人が大変いそいで何処かへ行くところらしいので、何事が起きたのかとあわてて廊下へ出てみると、宿の中はしんとして何の気配もなく、騒ぎはただ戸外だけの事なのである。明方の寒さにふるへながら宿のどてらをかさねて今度は硝子障子のはまつた縁側の方へ出て見ると、縁側のすぐさきは砂地の広場でまばらに松の影が見え、松の樹の向うは低い柵にくぎられてもう往来になつてゐるらしく、ひしめきあひながら通る人人の姿がそのへんのあかりに幻燈のやうに浮いて見えた。みんなおなじ方角をさしていそぐのである。
自分には関係のない事らしいけれども、やつぱり気になつて眠られない。それに又枕の上に頭をのせてゐると、次第次第に早くなる戸外の足音が地響きをして伝はつてくるやうで、ぢつとして居られない。起きてみたり寝てみたり、炭斗の炭をありつたけつぎたして顔をあぶりながら途方にくれてゐると、さすがに子供まで眼をさまして、火事なの? とはね起きた。いいえさうぢやないけど何だかもうさつきから無暗に人が通つて、そしてそれがだんだん駆け足になるやうなのよ、ねえ、どうしたんでせう、ベルをならしてきいてみませうかと云ふと、ぼんやりと寝ぼけ顔で煙草を吸つてゐた夫が突然ふきだした。
初日の出を拝みにゆく人達だつたのである。あ、成程と子供の時から見なれた二見ケ浦の絵はがきを思ひ出し、あのしめを張りわたした岩と岩とのあひだから初日がのぼるのね、ふーんそれを拝みにゆく人達なのねと感心したけれど、事情がわかつてみるとあんまり気をつかつたせゐかがつかりして、俺達も見に行かうと誘はれてももう一ト足も部屋から動くのはいやである。僕は行つてくると男の子の駆け出したあと、縁側の椅子に腰かけて、おひおひ白んでくる朝の光の中に往来の人人の顔のはつきりしてくるのを眺めてゐると、その往来のすぐ向うに霧がはれてゆくやうに海が見え出した。あをいちりめん紙をのべたやうな海が見えた。
岩と岩とのあひだから、海から朝日がのぼるのは三月のお彼岸頃だけで、初日は山の方からさし出るのださうである。女中さんにさういふ話をききながら新年のお膳について、おとそとお重詰を祝つたあと大きなお椀のふたを取ると、黒いお椀の底にまつしろなお餅が二つ丸くかさなつて、二寸ばかりの若菜が白い根をひきながらふはりと末広なりに鮮やかな緑を浮かせてゐる。おつゆは水のやうに澄んでゐて、あまりの清らかさにお箸をつけるのがためらはれた。
水のやうに色のないおつゆに得も云はれぬ味があつて、こんなおいしいお雑煮は生れて初めてたべると思つた。子供たちまでそれから後は白味噌も〓雑煮もよろこばなくなり、来年はきつと伊勢まであのお雑煮をたべに行きませうねと、お正月のお膳に坐る度くり返してゐるけれども、それからまだ一度も行かれない。風はあつたが空はよく晴れてゐて、二見から山田まで走らせる自動車の中はぽかぽかと陽が暖かかつた。雲雀がないてゐさうであつた。お正月は伊勢参宮にかぎりますと私は人の顔さへみればすすめたい気がしてゐる。