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もめん随筆51

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:着物・好色秋秋のこころは内にこもつてたのしい。あけ放してあつた部屋部屋の仕切りに襖をいれる。見通しの広間はそこで一つ一つ
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着物・好色

秋——
秋のこころは内にこもつてたのしい。
あけ放してあつた部屋部屋の仕切りに襖をいれる。見通しの広間はそこで一つ一つの愛すべき小部屋となる。晩餐のあとの卓がいつまでも歓談の泉となつてゐたながい夏の習慣が自然にあらためられて、家族のものは晩の食事が終るとまもなくめいめいのそのちひさな部屋へひきこもる。ピタリと窓を襖をしめきつても秋の夜の空気は清冽な水のやうに胸にすがすがしい。襖をしめた部屋の何とプライベイトに親しいことか。そのしめきつた部屋のなかでおのおの自分ひとりのこころを取り戻す。いつも外に向つてひらかれてゐた長い夏のこころを、おもむろに自分ひとりの中へ取り戻す。そのひとりきりの部屋で彼等はめいめいに読み、書き、考へ……そしてわたしは、女であるところのわたくしは、電燈のコードをながくのばして裁縫をする。——
ちりりりりろろろろ……縁先で、勝手もとで、こほろぎはすみ透つた声をはりあげる。それにうながされるまでもない、肩させ、裾させ、冬を控へた主婦の仕事は押入れの中にありあまつてゐるのだ。まづ第一に自分は子供達の秋ごろもを取出して、すくすくとこのひと夏に伸びきつた身体にあふやう、そのゆきたけを揃へてやらねばならない……
色濃い紫の絹のきもの。久しぶりに見る紅絹《も み》うらの手ざはりのなつかしさ。わたしは女の子を持つたことのよろこびを今さらのやうにしみじみと味はひながら、紫の絹糸を針に通して新しい寸法の腰あげを縫ふ。去年はわたくしとおなじ脊丈であつた。今年は——どうだらう、一寸五分もおろしてやらねばならないのだ。来年はわたくしと連立つて戸外を歩くのはすこしきまりがわるい程成長するにちがひない。娘は母親をこえて伸びてゆく。そしてもうすぐ彼女は花のひらくやうに美しい年ごろとなるであらう……
紫の着物はその年ごろの娘が着るにふさはしい艶やかさを持つてゐる。わたしは腰あげをおろした着物にふぢ色の羽織をかさね、長じゆばんのえりにはうす紅のちりめんを、そこに誰かが着て起つてでもゐるかのやうに胸もとをきちんとかさねあはせて衣紋竹につるして見た。……さやう! 羽織のゆきも着物のゆきもちやうどいい。これならばもういつ深い霜の朝がやつてきてもまごつくといふことはない……
——不意に、自分はほろほろと涙をこぼした。ほ! この思ひがけないなみだは何だ。自分は自分の考へに、涙をこぼしてみて初めて気がつくのであつた。なんと愚かな事を自分は考へたものであらう。わたくしにはそこにつるされた一そろひの衣裳から、美しい年ごろの娘のからだがぬけだしていつて、彼女の着馴れた着物ばかりがここに残されたのだ……といふ風に思はれたのである。わらふべき瞬間の錯覚ではある。だがその瞬間に、わたしは取残された彼女のあはれな恋人であつた。捨てられた男の切切とかぎりない恋慕が不意にわたくしの胸いつぱいにふくれあがり、そして自分は思はずはらはらと涙をこぼしたのである。……ふ、ふ、ふふ、わたくしは笑ひだしてしまふ。さうしてまた思ふ。泣いたり笑つたり、人が見たならば気ちがひと思ふであらう。だがここは自分ひとりきりの部屋だ。笑はうと泣かうと何を思はうと、だれに掣肘されるといふこともない。ひとりきりの部屋の気易さ!
わたくしは眼には涙をたたへ、口許は笑ひにほころばせつつ、まだその一揃ひの衣裳をながめてゐる。と……気まぐれな思想には羽根が生えて跳躍する。
——バーンス氏は、といきなり自分は思ひだす。バーンス氏といふのは何処の国の人だか知らない。しかしその人が研究したのはアメリカの女性についてだといふから、それはやつぱりアメリカの学者なのであらう。で、その学者がアメリカの女子について研究したところによると、女子で男性を理想とするものが、九歳の時には全数の二分の一であるが、十八歳の時には三分の二であるとの事である。それほどに「時に女もまた男でありたい」願望はひろく女性の間を貫いてゐるさうである。とすれば、東洋の桜さく国ニツポンの女たちが、気狂《きちが》ひのやうに着物を買ひたがる心理を、時にまた男でありたい望みに外ならぬといつたら、人はその言葉の奇矯さをわらふであらうか。……
私はかつて、かぶと町で有名なある仲買店主の夫人の奇癖について聞いたことがあつた。その夫人は町に出て、美しく気に入つた柄の反物があると必ず買はずにはゐられないのだといふ。買つて帰つたその反ものを、仕立させて自分に着るでもない、似あはしい人を見つけてやるのでもない、彼女はただそれを奥の蔵へとしまひこんで何人にも手をふれさせないのである。メリンスなどは一巻《まき》づつ買つてきて、そのまま蔵の中へ投げだしておく故、すぐ虫がついて無数の穴があいてしまふといふ。わたくしはその話をきいた時、ふつと蔵の中にむしくはれてぼろほろと朽ちる一巻《まき》の友ぜんは、目ざむるばかりあでやかな姫君の、しばられて蔵へ入れられて髪もひざもあらはにとり乱して悶えてゐる横顔のやうにゆくりなく眼に浮んだのだが、そのいたましくもしどけない姫君の横顔を思ひ浮べた瞬間、わたしは自分の身体中の血潮が、ぐい! と逆流するやうな興奮をおぼえたのであつた。惨酷な蕩心! それをわたしに教へてくれたのは見も知らぬその夫人の奇癖なのである。
後年、自分はいささかの余裕を得たとき、町へ出ては新しい反物を買つて、人人にたしなめられた。「いりもしないものをむやみに買つてどうするのです……」まつたく私は、買つた着物をすべて着るわけではなかつた。わたくしの慰みはただその新しい反物に、じよきりとはさみを入れさへすればよかつたのである。新しい反物を買つてきて、日当りのいい部屋でそれをほどいて、じよきり、とはさみを入れた刹那の、胸のしびれるやうな惨酷な蕩心! それはおそらく男でさへも知らぬ男の蕩心ではなかつたらうか。——女は着物を買ふ。あらゆる女は着物を買ふ。買へぬ女は盗みさへする。だがその凡てが、己れを美しく装はうて男に愛されたいがためにほかならぬとは、どうして断言することができよう……
女は知らないかもしれぬ。彼女自身、何のために着物を買ふかを彼女もまた知つてはゐないかもしれぬ。だが、仕立上つた一枚の着物であるよりさきに、それはすでにひとつの独立した生命あるいきものではないか。着物自身の持つ年齢。着物自身の持つ雰囲気。それは持主とはなんの関係もなく厳然として独立したひとつの存在ではないか。わたくし達は一枚の着物のむかうにいつもその着物のスピリツトであるところのひとりの女性を見るのである。一まいの着物を手に入れることは一人の美女をあがなふことにひとしい。男でありたい女にとつて、これほど素晴らしい秘密の快楽が、どうして他にあり得ようか……
わたくしはこの秘密を知つて以来、餓鬼のやうに着物をあがなふ一切の女性を軽蔑せぬこととした。わたしはただ、いたましく悲しい微笑でそれをながめる。女にゆるされる情慾の世界は、……この世に於てゆるされる範囲はそれ程までにせまいのである。彼女等は道徳の林の中でわづかにこのぬけ道へ息をふきこんで生きるのである。「着物はいく枚も持つてゐるのですがね、殆どそれは着ることがないのです。いつも質素なものを着て満足してゐる。さうして時どきたんすの中から着ない着物を出してきて眺めて楽しんでゐるのです」ある夫はふしぎさうにさう語つた。夫はその細君が、なぜ着ない着物をほしがるのかと思ひ、細君もまたなぜ買ひたいのかとわれながらあやしまれつつ、而もその慾望は抑へ難いのである。何事も経済と結びつけずにおかないわが関西地方では、着物は女の財産と見なされ、だから女は着物を買ひたがり、買つた着物は大切にたんすの中へしまふのだと主人も細君も信じてうたがはないのだか、関東にくらべて一そう男の放蕩の自由である関西では、女の着物に対する執着もまた、関東の女のそれより数倍色濃いものであることを人人は知つてゐる、着物を財産とおもひこんでゐる女たちの、それは彼女自身にも気づかぬ好色の数字表ではなかつたらうかとおもひやるわたくしの独断を、人人よとがめたまふな……
ゆるく、ねぢがほどけたやうな音いろで時計がなつてゐる。ひとつ、ふたつ、とかぞへるともなくかぞへてゐた自分は、まだ九時であつたのかといまさらに水のやうなあたりの静けさに驚くのである。自分はぼんやりとながめてゐた紫の衣しやうの前からたちあがり、もう一度押入をあけて、新しいぬひものをとりだしてくる。さうして再び電燈の下で、あたらしいきぬ糸を針にとほしつつ、こんならちもない考へごとを、いつまでも、うつとりとつづけてゐられるたのしさを、秋の夜ながのたまものとしみじみおもふ……
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