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なつかしい芸人たち06

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:ガマ口を惜しむ    高屋《たかや》 朗《ほがら》のこと昭和の初期に、ジョー・E・ブラウン、日本での愛称を大口《おおぐち
(单词翻译:双击或拖选)
ガマ口を惜しむ
    —高屋《たかや》 朗《ほがら》のこと—

昭和の初期に、ジョー・E・ブラウン、日本での愛称を大口《おおぐち》ブラウンという喜劇スターが居た。口許《くちもと》が大きく横に裂けていて、ドーナツを横に丸呑《まるの》みにしようという図が彼のトレードマークだった。チャップリンやキートンにくらべるとマイナーな存在だったが、しかし、晩年に客演した「ショーボート」や「お熱いのがお好き」など観《み》ると、ヴォードビルで鍛えた芸の持主だったことがわかる。
すこしおくれて、日本でも大口を売り物にした怪優が、浅草に現れた。高屋朗といって、あの田谷力三の弟子だ。はじめ、田谷朗という名にしたかったらしいが、師匠に怒られて、苗字《みようじ》の間に、か[#「か」に傍点]の字を入れたという。
なにしろ顔が与太郎そのもので、奥眼《おくめ》の大口、そのうえなにを演《や》らせてもぶちこわすから、こういうタイプは、浅草ですぐ人気が出る。たちまちガマグチという愛称がついて、オペラ館の仕出しからまもなく金竜館《きんりゆうかん》でガマグチショーという一座の座長になった。
もっとも身についた芸があったわけじゃない。田谷の弟子だから唄《うた》も歌う。声は朗々たるドラ声に近い。当時の綺麗《きれい》な声を震わせて歌うような歌手の列には、はまらないが、声量もわりにあって、私は高屋の唄は好感を持っていた。流行歌手にくらべれば、エノケンとか高屋の声は、よほど人生を感じさせる。ただし、エノケンは音程もきっちりとしていて、それなりに唄はうまいが、高屋のほうはまるで投げやりで、どこまでもだらしがない。
※[#歌記号、unicode303d]花つむ野辺にィ 陽《ひ》は落ちてェ
と霧島昇《きりしまのぼる》は柔らかくしっとりと歌う。
(が、私にはまるでつまらない)高屋朗は、はじめのワンコーラスを当人はまともに歌っているつもりなのだが、
ハァナツ、で一息いれて、ムゥノベェニィ、で切って、陽ワァ落、で一息、チィテェ、となる。実に恣意《しい》的に息を入れる歌手で、ツゥコーラス目は、これは意識的に崩しているのだが、
ハァン[#小書きの「ン」]ナツン[#小書きの「ン」]ムン[#小書きの「ン」] ノゥ ベェニィン[#小書きの「ン」] 陽ワァァン[#小書きの「ン」] オゥチィテ エエン[#小書きの「ン」]、
と、大口で、子供の悪ふざけみたいに荒っぽく歌って、ガマグチ流と自称した。たしかに我流だが、流というほど形式があるわけでもない。だから悪いかというと、いや、そのいいかげんなところがチョッピリ哀《かな》しくおかしく、なんとなくいい。
もうひとつ、「酒の中から」という唄があるが、これもお得意でよく歌っていた。有島通雄という歌手が歌った映画主題歌だが、立川談志《たてかわだんし》など、酔うと、
「高屋朗の唄、歌うよ」
といってこれを歌う。
※[#歌記号、unicode303d]盃《さかずき》に 映る灯影《ほかげ》を 呑み干して
今宵《こよい》も唄おう 我が友よ
楽しさは 酒の中から浮いてくる
酒の中から トトント
トントトント 浮いてくる
 ※[#歌記号、unicode303d]この部屋に 涙なんかは
ありゃしない
笑って唄おう わが友よ
楽しさは——(リフレイン)
歌詞を紹介したのは、後年の高屋朗の運命を思うと、まったく対照的で、実に哀しいからだ。
しかし金竜館の座長のころは、先輩を抜いた奢《おご》りもあって、当たるべからざる鼻息だった。それが西も東もわからない与太郎が出世した按配《あんばい》になる。幕内では、一度でも座長になった者とそうでない者とでは、たいへんな格の違いになるのである。
昭和十五年ころのことで、当時私は子供だったが、浅草の古手が茶受け話に高屋朗の失敗談ばかりしゃべっていて、それがまた実におかしい。
「おい、なんだ、この曲、スールブカイジョウって、なんのことだ——」
楽譜に横に書いてあ上海《シヤンハイ》ブルースを右のほうから読んじゃったのである。
もちろん譜面が読めるわけがない。立稽古《たちげいこ》で、ドラマーのところへ行って譜面をのぞきこみ、
「いいなァ、この曲、メロディがいいよ——」
ドラムの譜面にメロディなんかありゃしない。もっとも、金竜館の支配人も似たりよったりで、ドラマーを指さして、
「あの楽士はいい。ちっとも休まない。ラッパはなんだ。ときどき吹いてないじゃないか——」
やっぱり立稽古のとき、座長らしく立廻《たちまわ》りの見得《みえ》を切るとき、相手役の眼線を指示して、
「おい、あの、なんだ、サイセリアのほうを見て——」
サイセリアじゃない、シャンデリアなのである。
益田喜頓《ますだキートン》と鈴木|桂介《けいすけ》と高屋が三人連れだって、松竹座の前で車を拾おうとしたが、タクシーがなかなか来ない。
高屋|曰《いわ》く、
「あ、そうだ、きょうは電休日だな」
電力節約のために当時は週に一回、工場などが休む電休日というのがあったのだけれど、タクシーは電気で走っているわけじゃない。
もう数えきれない。ところがそのおかしさが舞台に出ない。愛嬌《あいきよう》はあるし、口唇《こうしん》をまっ赤に塗った与太郎風が出てくるから、どんなおかしいことをやるかと思うと、悪ふざけのドタバタ程度。本人は大真面目《おおまじめ》な楽屋のときが、たまらなくおかしい、という悲劇がときおりある。
私は子供心に、こんなに芸の奥行きがなくて、すぐあきられちゃったら、この先どうするんだろう、と思って(生意気にも)案じていた。そこへ、召集である。浅草じゅうの役者が、ガマグチにまで赤紙が来たのか、と、まッ青になったという。当の本人は、さほど屈託なさそうに出征していったし、私は私で、あきられないうちに出征欠場になって、よかったのじゃないかと思ったりした。
奇妙なことに彼は軍隊ではかなり受けがよかったらしい。シンガポールで慰問係をやって、元気にしている、というニュースがチラリ新聞に出たりする。
なるほど、本当は実直な好人物で、街の中に居たら皆から親しまれるオジサンだったかもしれない。コメディアンになったのがまちがいだったか。
大戦争では浅草の役者もたくさん亡《な》くなったが、高屋朗は(捕虜収容所関係の戦犯にまちがわれたとかで帰還はだいぶおくれたが)頑健《がんけん》な体格のままで元気に帰って来た。しかも、シンガポールで世話になったという人がスポンサーになって、浅草の喜劇王高屋朗帰還歓迎の夕べというのを日比谷公会堂で催すという。
やれやれ、あの珍妙な顔だから、さぞおもしろい芸人だろうと期待されすぎると、また辛《つら》いことになるぞ、と私は思わざるをえない。
生家の勝手口で、薪《まき》を割っていると、ラジオで日比谷公会堂の模様を中継している。大入りらしくて割れるような拍手だったが、前半が戦場漫談、後半が例の「誰か故郷を思わざる」。なんだか珍優らしいな、という先物買いの拍手だったと思う。
でもそれで彼の芸の引出しは、ほとんどおしまいで、日比谷公会堂の花火は一発で後が続かなかった。浅草で数年間、小劇団の座長格だったり客演格だったりしたが、なにしろ超ボケ役だから役があまりない。脇《わき》を固めるタイプでもない。
いつのまにか松竹の喜劇映画に端役《はやく》で浮かぬ顔の彼が出ているのを見かけるようになった。ギャングの手下で転がされたりする役をやっている。
川島雄三監督の「オオ! 市民諸君」ではヒロインの資産家の父親役だったが、これも紙芝居の金満家風で、しかしこれがいちばん大役だったのではないか。
それでも彼はわりに多くの人から愛されていたのであろう。端役だがちょこちょこ映画に出ていた。
新聞で、高屋朗さん自殺未遂、というあまりにも彼に似合わない見出しを見て驚いた。恵まれないにしても、夫人の十文字八重子(やはり浅草の古手女優)が呑み屋をやっていたし、窮乏の極ではなかったと思う。やはり彼なりの矜持《きようじ》があったのだろう。
私は遠くから眺《なが》めていただけで、くわしくは知らないが、知友たちで奉加帳が廻ったりもしたらしい。ところが本人がウツになっていて、もうあまりどこにも出ようとしなかった。それでそれからあまり時日を経ないうちに亡くなったと思う。私は、首を吊《つ》ろうとして果たせなかった彼の記事の印象があまりに強烈で、近年まで、再度自殺したように思っていたが、浅草の古い人にきくと、いや、病死だという。浅草の呑み屋は十文字八重子の娘さんがやっているはずだから、行けばわかるのだろうけれど、まだ出かけていない。
高屋朗の哀しい晩年のことを根ほり葉ほり訊《き》きたくない。なにしろ、うわッつらのことをいえば、若くて人気が先行して、芸の仕込みをしなかったのがいけない、とか、戦地での空白もあったにしろ時勢を見る眼がなく、楽天的すぎた、とか、なんとでもいえるのである。
それよりも、ずっとずっと前、高屋がまだオペラ館の青年部だったころ、つまり私は小学生だったが、ある朝の彼をかいま見た印象が忘れがたい。
学校をサボって、ランドセルを背負ったまま、朝の六区の興行街をうろついていた私が、まだ客を呼びこんでいないオペラ館の前で、朝帰りらしい高屋朗を見かけた。彼は、表方の呼びこみのオジサンと並んで、オペラ館の前の舗道にしゃがみこんでいた。
女のところに泊った帰りか、それとも徹夜|麻雀《マージヤン》のあとか、白粉《おしろい》焼けして妙に青白い顔をして、放心したようにしゃがみこんでいる。呼びこみのオジサンと向かい合うようにしているのだが、二人はなにもしゃべっていない。
歓楽の夜のあとの、というか、おもしろおかしい毎日に澱《おり》のようにたまってくる屈託、というのか、そんな色が表情に出ていて、それは与太郎風の顔とあまりにかけはなれて見え、オヤ、と見返った覚えがある。
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